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8 大人は汚い?

 レアとロマーノは、ロマーノの家で思いっきり遊びました。

 紫の天幕のあるベッドで、遊び疲れて一緒に休んでいるとき、レアがこう切り出しました。

 「ロマーノのしゅきな人って、どんな人でしゅか? レアに教えてくだしゃい」

 「うーんそうだな、レアになら」

 ロマーノは少し考える仕草をして、そうだと、何かに思い当たったようにパチンと両手を合わせました。

 「説明するより、見たほうが早いよね。今わたしのママとパパと話してるはずだから、応接間をちょっと覗いちゃおう」

 ちょっと覗くということはレディーとしてどうかとレアは思わなかったわけではないのですが、それでも好奇心に打ち勝つことはとうとうできませんでした。

 時に好奇心は禍のもととなるのだけれど。


  「ね、すてきでしょう?」

  仮面の模様が大きく描かれたガラスの扉の奥。そこに見えたものとは。

  レアは空気の抜けた風船のようにその場にしゃがみこみました。

  「確かにそれはレアも認めましゅ。あの方はそこらへんの男とは一味違いましゅ。が」

  レアは水のかけられたカエルのように飛び上がると、ロマーノに向かってぺこりと頭を下げました。

 「ごめんなしゃい。レアはロマーノを応援できないでしゅ」

  残念そうにロマーノは薄茶色の眉の端を下げます。

 「どうして?」

 「しょれは」

 レアはしょぼくれた目を一度あらぬ方向に投げかけると、再びロマーノのほうを見据えて、

 「あの方はレアの大親友の想い人でもあるからでしゅ」

 そう。

 仮面の描かれたガラスの向こうにある、真っ赤なソファが黒いテーブルを囲む応接間で、ロマーノのご両親と会話をしているのは、なにを隠そう、

 「えるねしゅとしぇんしぇーだったなんて」

 レアはぼやきました。そういえばラロシェルで彼はしばらくイタリアに行くと言ってましたっけ。

 ことは厄介です。もちろんレアは親友、ロマンヌを応援するつもりですが、ライバルの方が彼に年齢が近いという意味では有利な気がします。もし仮に、ロマーノとエルネスト先生が結ばれたら……? それはロマーノの友達として喜ばしいことでしょうか? でもロマンヌが悲しむのは目に見えているし。うーん……。

 「そう、なんだ。……でもねレア。わたしが有利っていうのはどうかな?」

 「えっ。聞こえてたでしゅか」

 レアは我ながら、心の中と口が直結というパパから受け継いだ性質を呪いました。

 「ごめんね。つい聞いちゃって。……大人だからって子どもよりも有利とは限らないんじゃないかなぁ」

 カーニバルの終わりを惜しむときのように、どこか寂しそうに視線を俯けたロマーノにレアは目を瞠りました。

 「そう、なんでしゅか?」

 「大人って汚いもの。だったらきれいな心をしてる小さな子のほうを好きになる人もいるかもしれない」

 「大人が……汚い?」

 レアの頭の中はクエスチョンマークでいっぱいです。

 「レアの周りの大人達は、そうじゃないんだね、きっと。でも世の中の子どもの多くはね、不幸な存在なんだ。大人が汚いってわかっていながら、生きていくために大人に従うしかない。そうやって自分もだんだん、大人になっていくんだよ」

 わからないものが絡み合うリボンのようにレアの頭の中でいくつも入り混じって気持ち悪くなります。

 頭の中のごちゃごちゃの塊を、ぽーんとレアは遠くに投げました。

 「そんなのおかしいでしゅ」

 いつになく静かな声でレア反論します。

 「パパが言ってたでしゅ。それじゃ死んじゃってるのと一緒になっちゃうでしゅ。心を諦めることが、大人になるってことなんでしゅか?! だったらレアは大人になんかならないでしゅっ」

 がしっとレアはロマーノの右手を小さな両手で握りました。

 「ロマーノ、なにか方法があるはずでしゅ。心を諦めずに、大人になる方法が」

 「レア……」

 ロマーノはコーヒーの底のように黒い瞳でしばらくレアを見つめていましたが、やがて小さく頷くと、

 「レア。レアにね、言わなきゃならないことがあるんだ。わたし、ほんとうは」

 ロマーノがそこまで言いかけたとき、扉が開きました。

 飛び出してきたのは、正装した大人の男女です。黒い巻き髪を腰まで垂らし、目元を先のとがった豪奢な仮面で覆い、右肩が出た青いドレスの女性がレアには目もくれずに言います。

 「ロマーノ。どうしたの、こんなところで。もうパーティーが始まる時間ですよ」

 「はい、ママ」

 ロマーノは母親に手を引かれて連れて行かれてしまいました。

 「待ちゅでしゅ! ロマーノ!」

 「威勢のいいお友達だ」

 レアが叫んだとき、その動きはスーツの胸元に白ユリをさし、やはり白い仮面を被ったロマーノの父親によって封じられていました。

 「君の入場口はあいにく、ロマーノとは別なんだよ」

 「……え?」

 「案内しよう。こちらだ」


 レアがパーティー会場へ連れて行かれるのをじっと凝視していた男の人がひとり。彼はぱーティー会場の舞台建築を頼まれていた人物でした。

 ――へぇ。こりゃまいった。ロマーノちゃんの身代わりがまさか、我れがレア嬢だったとは。こいつぁますます見過ごす手はねーな。

 彼はスパンコールいっぱいの衣装がたくさんかかった洋服掛けの影から出て行くと、すぐ目の前にある扉の向こうで眠り薬によって眠らされている人物に向けて、親指を突き立ててみせました。相手が片目だけをうっすらと開けて合図を送り返してきます。

 ――それにしてもエルネストの奴、たぬき寝入りのうまいこと。

 彼はパーティー会場へと向けてピカピカに磨かれた黒い靴で覆われた足を踏み出しました。


 ヴェネツィアの夜をテーマにした舞台は、紫から黒へのグラデーション。天井である紫の星空には真珠が散りばめられ、漆黒の海をイメージした足の踏み場にはうっすらと、波に映る港町が描かれています。

 そこに立つのは、黒いスーツのロマーノの父親です。

 「紳士淑女のみなさま。今宵お集まりいただきましたのは、明日スカラ座デビューを控えておりますわたしたちの愛娘、ロマーノをご披露するためにございます」

 わっと舞台きわから会場の奥まで敷き詰められた人々がどよめきました。海賊、妖精、女王……。みなそれぞれにきらびやかな仮装衣装に身を包み、仮面をつけています。

 「ご紹介しましょう。彼女こそロマーノです」

 会場中央に仮面の奥から視線が集まりました。

 そこにいたのは。

 「どういうことでしゅの??」

 漆黒の舞台にちょこんと立ったレアは、戸惑うばかりです。

 割れんばかりの拍手が自分に向けられています。

 「ロマーノ嬢」

 船長の仮装をしたある紳士が、右手をたくましい胸にあてながらレアに声をかけてみます。

 「どうぞ、我々にアリアを一曲ご披露願えませんか」

 「え? えぇっと……でしゅね」

 どうしましょう。

 戸惑ったのが一瞬だったのはさすが舞台女優志望のレア。すぐに名案を思いつきました。

 レア、知ってましゅ。ありあって歌のことでしゅ。なんか歌えばいいんでしゅね。

 よし、ぶれすでしゅ!

 息を吸うという意味の専門用語など心で思い浮べて、さん、はい。

 「ボンジュール ボンジュール

 レアはレアと言いましゅ

 レア・ヴェルレーヌでしゅ

 元気印 赤いリボンの女の子」

会場が先程とは別の意味でどよめきました。

 「なんだ、あの歌は」

 「どう考えてもオペラじゃないぞ」

 歌っているうちにいつしかレアはその歌詞が向けられている人のことを思い出すようになりました。


 手をつないでいつも一緒に学校帰り

 話したいこといっぱいあるの 聴いて聴いて聴いて~


 ロマンヌ。

 いつもレアの我がままや冒険につきあってくれる、物静かだけど頼れるお姉さん兼大親友。今回のイタリア紀行も彼女が一緒ならもっと楽しいものになったろうな。ラプラスのお洋服、レアも欲しい。ロマンヌだけずるいって、ダダをこねましたっけ。ラロシェル帰ったらちゃんと謝るでしゅ。


さびしくないってゆーしかない スナオなふりをしゅるのでしゅ

「だいじょうぶ」って言うだけで うるうるするの


 ママ。

 病気で入院してるから、たまにしか家に帰ってこれない。でもママがいると安心してそのお膝でおねんねしたくなるんでしゅ。

 フランしゅに帰りたい。

 それでもっともっといっぱいお話ししたい。

 ママ……。


 「どーどけ、この気持ち~、ぐすん。レアのメロディーに乗って。元気な風に乗ってみんなみんな笑った顔になれ……ぐすん」

 だんだん涙声になる歌。観客のみなさんは不思議そうにレアを見ています。

 とゆーかそもそも帰れるんでしょーか。

 勝手にパパとはぐれたところから始まって、今では帰り道さえわかりません。こんな異国の地で、いまさらながら自分はなんということをしてしまったのでしょう。

 レアは目を擦りました。

 「ラロシェルに帰りたいでしゅ……」

 そう呟いた直後、パン! という鋭い音とともに頭の中に警報が鳴りました。これは、銃声。あたったら、死んでしまいます。

 それだけはだめです。レアにはママが、ロマンヌが、パパがいるのです。そしてそれは、ロマーノも同じはず。

 レアは、狙われたロマーノに飛びかかり、彼女もろとも床に伏せました。

 壁に穴が開き、かすかな煙が立ち上りました。


 起き上がると、レアは大声で叫びました。

 「あの男の人でしゅ! あの人がコートの影から銃を撃ったの、レア見てたでしゅ。つかまえて~!」

 とっさに海賊の衣装を着たその男のすぐ近くにいたロマーノのお父さんが男を取り押さえます。

 「おのれ、よくもロマーノを」

 しかし黒い曲線の帽子を被ったの当の男は全く慌てた様子もなく、

 「おやおやお嬢ちゃん。証拠もないのにそんなことを騒がれても困るな」

 「本当でしゅ。レア見たもんー!」

 「これ以上吠えると、侮辱罪で訴えてもいいんだよ」

 「え」

 そりゃ困ります。レアには女優としての未来があるのですから、評判、大事です。

 「簡単なことさ」

 男はレアに近寄り、レアの小さな顎をくいっと持ち上げると、

 「だって君はラロシェルに住んでいる平民だろう? ロマーノお嬢さんの替え玉として用意された」

 「……どういうことでしゅの」

 ちら、とロマーノの方を見やると、彼女はそれはそれは悲しそうにレアを見返してきます。

 男はおもしろそうに口元を歪めました。

 「知らないんだ? じゃぁ教えてあげよう。君はね、このパーティーを開いた一家の人々にうまーく利用されたん」

 そこまで言うと男は音もなくその場に倒れました。

 「ちょいとおしゃべりが過ぎるぞ。男のくせにマドモワゼルを傷つけるだけの情報をべらべらと」

 倒れた男の後ろには、深緑のフロックコートで全身を固め、羽の着いた同じ色の帽子を被った背の高い紳士が立っていました。

 その紳士の名をレアは知っていました。でもあまりにその姿はレアの知っているものと違い過ぎて。

 「ジョエル、兄しゃん……?」

 とぎれながらもその名を呼ぶと、紳士はにかっと笑いました。

 「助けに来たよ。レア」

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