1 残念な目覚め
朝、ゆっくりできるということは幸せです。
ここのところ、家事や育児、仕事におわれて気づけば毎日3時起きであったロジェは、つくづくそう思います。
『ロジェ』
「……ん……」
夢の中で、金色の髪をなびかせた、愛らしい女性が呼び掛けます。
『ロジェ。……好きよ』
「プレヌ……」
切なげに、ロジェは彼女の名を呼びました。
悲しいものです。妻である彼女は病気のため、ここから何キロも離れたヴァンセンヌの病院で入退院を繰り返しているのです。
『ロジェ……好きよ。愛してるわ。だから……』
ロジェは、彼女の言葉の続きをただ辛抱強く待ちました。しばらく待って、プレヌがようやく口を開きました。その言葉とは。
「プレアデス・アターック! 」
「えっ?! 」
ドシンという振動とともに、腰に激痛が走ります。しばらく、なんと表記して良いかわからない雄叫びが、ここ、ヴェルレーヌ家に響きわたったのでした。
数分後。その部屋には、ベッドの上であぐらをかいて腕を組むロジェと、その真正面にちょこんと座る少女、レアの姿がありました。
「いいかレア。パパを起こすときは、もっと普通にだな」
娘に説教するロジェですが、レアの方は壁のある一点を注視してどこふく風です。
「レア。聞いてんのか? 」
「どーしゅるんでしゅか、パパ」
「え? 」
レアは注視していた方向――右斜め上を指さすと、
「もう時刻は9時でしゅ。学校で習いたてだけど、レアも時計読めましゅ」
「ん、あぁ。苦労したけど、読めるようになってよかったな。……で、9時がどうかしたか? 」
「やーっぱり、忘れてりゅ~」
レアは一度空気を胸一杯に吸い込んで、ほっぺたを大きく膨らますと、
「いいでしゅか。昨夜、ママが言ってたこと、よーく思い出すでしゅ」
「えー? 」
仕方なしに、ロジェは顎に手をあてて考え始めました。
『ロジェ。……好きよ。愛してるわ。……だから』
そう。それは甘い甘い記憶。
昨夜は、長女、ロマンヌの誕生日に買ってやるブランドもののワンピースの資金をなんとか工面できた祝いにと、ワインをいつもより多めに飲んだのでした。
そんな彼に、病院から一時退院中の妻は言ったのでした。
『…だから、明日から一週間、レアの面倒、お願いね~。私、ロマンヌとロンドンまで行って、ラプラスのワンピース買って来るからー』
「……!! 」
あのとき彼はなんと言ったのだったでしょうか。おそらく、酔いがまわっていたため、二つ返事で――。
『キャーッ!ありがとう、ロジェ。……愛してるわ』
「絶望的だ」
「うーむ。しぇっかくの長いお休みに、パパのお守りとはちょっと不満でしゅが……」
「オレの台詞だよ」
悲劇は、これだけでは終わりませんでした。
「パパ、思い出しましたか? ママが言ってたこと」
「あぁ」
「それと、パパがレアにした約束も」
「約束?」
うーん。ロジェは再び首をひねりました。
『せっかくの長期休暇だ。どっかレアの好きなとこ、行こう』
そう。昨晩自分は確か、こんなようなことを言ったような気が。そして次に浮かんできたのは、元気よくピーンと右手を上げるレアの姿でした。
『わーい! じゃぁレア、イタリアに行きたいでしゅ! 』
『イタリア? なんでまた』
『とぼけるなでしゅー、パパ。前にママから聞いたでしゅ。昔パパとママはイタリアでデートしたことがあるって』
『よし。じゃ、オレたちのデートスポットを案内してやる。明日の6時に出発な。寝坊すんなよ、レア』
『あいあいさーでしゅー』
「……」
ふと目の前を見れば、そこには、昨日と同じ笑顔を顔いっぱいに浮かべているレアの姿が。
「思い出しましたか? パパ」
「昨晩のオレのバカヤロー」