石野に告るのを忘れちゃってさ!
放課後の校舎の廊下。
俺は教室のドアの取っ手に手をかけて、大きく息を吸い込む。
廊下の窓を通して、校庭で部活をしている生徒たちの声だけが聞こえてきている。
辺りを見渡す。
長い廊下に生徒の姿は無い。
二回目の今日は、一回目の今日と同じだ。
ここまで、大きく未来を変えるような事にはなっていない。
教室のドアに設けられた小さな窓から、教室の中に目を向け、もう一度大きく息を吸い込み、心を落ち着かせると、ドアの取っ手を持つ手に力を入れる。
ガラガラ。
思い切ってドアを開けると、石野が俺に目を向けた。
目と目が合うと、今日もにっこりとほほ笑んでくれた。
「や、やぁ。
何してるの?」
「ノート忘れちゃったんだよね」
石野がそう言いながら、カバンのチャックを締めた。
「そ、そ、そうなんだ」
「伊藤くんは、どうしたの?」
全く、昨日と同じだ。
茉実が教室にやって来るまでが勝負。
戸惑ってなんかいられない。
「お、俺はさ、ノートじゃなくて、石野に告るのを忘れちゃってさ」
言った、言った、言ったぞぅぅぅ。
心臓はばくばく。顔は真っ赤になっている気がしてならない。
へ、へ、返事は?
緊張する俺に、石野が微笑んだ。
こ、こ、これは成功?
そんな思いで俺も微笑むが、プレッシャーでちょっと顔が引き攣っている。
「もう。伊藤くんったら!
そんな冗談言われたら、ちょっと照れるじゃない」
冗談っぽく言ったのがまずったのか、告った事を本気に受け取ってくれなかった?
「い、い、いや」
冗談なんかじゃない。
そう言いたかったが、そこに茉実が登場した。
「准くん。何してるの?」
来たぁぁぁ。もう来ちゃったよ。
ぎこちない動作で、茉実に目を向ける。
「あん?
いや、特に何と言う事は」
今日もだめだった。
だが、昨日より成果はあった。
告る事はできた。
ただ、冗談に受け取られてしまっただけだ。そう思いたい。
「じゃあ、また」
石野が俺ににこりと笑顔でそう言うと、カバンを手に廊下を目指して歩き始めた。
あれ?
昨日は手を振ってくれたような。
そんな思いで、石野の後姿にロックオン。
石野は廊下に出ると、そのまま振り返らずにそのまま姿を消していった。
あれ?
昨日は振り返って、微笑んでくれたはずなんだが。
そんな思いで、ちょっと小首を傾げている俺の前に茉実がやって来て、言った。
「何も無いんなら、帰ろうよ」
「あ、ああ」
それだけ言って、一歩踏み出す。
茉実に女の子のシグナルの話は振らない。
これで、茉実から告られる事も避けられる。
そう思って、黙ったまま廊下を目指す。
「ねぇ、ねぇ」
そんな俺を茉実が呼び止めた。
振り返ると、茉実が立ち止まって、俺を見ていた。
「なんだ?」
「あのね。二人っきりだね?」
「ああ」
そう言った俺は足早に、廊下に出ようとした。
理由は簡単だ。
昨日の事が無ければ、俺だって気づかなかっただろうが、今の俺なら分かる。
このままでは、茉実に告られてしまうだろう事を。
それを避けるため、廊下に向かおうとした俺の制服のシャツの背中を茉実に掴まれてしまった。
ちょっとズボンからはみ出し気味になったところで、俺は立ち止まった。
ここで、力づくで廊下に出るなんて事は、その後の茉実の事を想像するとできやしない。
昨日の晩御飯のメニューが変わらなかったように、昨日の事件が変わらなかったように、どうやら今日、俺は茉実に告られると言う運命らしい。
「な、な、なに?」
告られる覚悟を決めた。
ほんの少しだけ、違う話題だと言う事に期待しながら。
「今日はさ、二人っきりになる事があったら、言おうと決めていた事があるんだ」
「あ、ああ。何?」
「あ、あ、あのね。あのね」
うつむき加減の茉実の緊張が伝わってくる。
茉実が顔を上げ、俺に視線を合わせたかと思うと、少し強張った表情で一気に告って来た。
「私、准くんの事が好きなんだ」
予想通りだった。
俺の今日の人生やり直しは失敗だ。
茉実の告白を断る勇気は無い。
とは言え、「俺も好きだ」と言う言葉はさすがに口にできない。
「あ、ああ」
どちらなんだか分からない曖昧なその返事が限界。
「私じゃだめなの?」
「そんな事ないよ」
全く昨日と同じ繰り返しだ。
「よかったぁ」
そう言って、茉実は俺の右腕に抱き付いてきた。
昨日と同じで、俺の右腕の素肌に直接伝わる茉実の胸の膨らみ。
二度目とは言え、やはりちょっと興奮してしまう。
結局、それから俺は茉実の成すがままになって、一緒に下校し、次の日から一緒に登校する約束をして別れた。
そう。恋人たちのように、別れ際に何度も手を振り合って。