黄色い小さな傘
俺が保育園に到着した時、すでに豪雨は絶好調だった。
保育園の園庭も水で溢れかえり、傘を差しているはずの俺の下半身はおろか、上半身までもずぶぬれ状態だ。
そんな状態でも、茉実が安全な家にいると思うだけで、憂鬱な気分にはなりやしない。
保育園の庇の中に入って、傘をたたむと、彩佳の組の部屋に目を向ける。
「お兄ちゃん!」
俺を見つけた彩佳が嬉しそうな顔をして、教室を飛び出して俺のところに駆け寄って来た。
その時だった、俺はポケットの中でスマホが震えるのを感じた。
それは予想通り警報が出たので、彩佳を保育園まで迎えに行ってほしいと言う母親からのメール着信だった。
「ラジャー。
と言うか、今保育園についている」
そう返信すると、俺にまとわりつきながら、見上げて微笑んでいる彩佳の頭をなでなでしてやった。
「帰るぞ」
「うん」
彩佳は嬉しそうな顔をして、一度教室に戻って行った。
ガラス越しに先生に何か言っている彩佳は嬉しそうだ。きっと、お兄ちゃんが迎えに来てくれたとか言っているんだろう。
お帰りの準備を終えて彩佳が戻って来ると、俺が持ってきていた袋からカッパを取り出して、彩佳に渡した。
彩佳が頑張って一人でカッパを着始めた。
それをほほえましく見守る俺。
やがて、彩佳は一人で着終えると、嬉しそうに俺を見た。
「よしよし。よくできたな」
もう一度、頭をなでなでしながら、ほめてやった。
昨日と言うか、一回目の今日と同じ展開。
違うのは、茉実が無事な事。
そう信じながら、長靴にカッパに傘と言う完全防雨態勢の彩佳と一緒に保育園を出た。
小さな子には大雨も関係ないのか、どしゃぶりの雨の中、楽しげにふらふらと歩いている。
その小さな顔はすでに水浸しだ。
保育園から俺の家に続く坂の下にたどり着いた。
そこは人が歩く道路と言うより、もはや川と言っていいほどの状態で、坂の上から大量の水が流れ落ちて来ていた。
一抹の不安を抱きながら、坂の上に目を向けた。
そこにはただ川のように水が流れる坂が続いているだけで、用水路の辺りに立つ人たちの姿は俺の辺りにも、ずっと坂の先にも無く、俺は少し安心した。
未来は変わったんだ。
そう思いながら、川のようになった坂に足を踏み入れた。
視界もままならないほどの大雨。
もはや、道路と用水路の境目は無くなっている。
「おい、気をつけろよ」
横を歩く彩佳に言ったが、雨の音がうるさくて聞こえていなかったのか、一回目の今日と同じで返事がない。
とりあえず、手を差し出して、傘を掴む彩佳の腕を掴んだ。
「なに?」 的な顔つきで、俺を彩佳が見た。
とりあえず、にこりとだけ返すと、びしょ濡れの顔で彩佳もにこりと微笑み返してきた。
差し出している腕を、雨と彩佳の傘から流れ落ちて来る雨水が濡らすが、どこからが用水路か分からないこの坂では、危な過ぎてその手を離せやしない。
彩佳と二人、川のように水が流れる坂を上って行く。
中ほどに差し掛かった時、傘を打ち付ける音に混じった別の音に気づいた。
視界を妨げるほどの豪雨の先に、ヘッドライトを点灯させて近づいてくる車がいた。
用水路側と反対の端に彩佳と並んで、車をやり過ごす。
元々ずぶぬれだが、車のはねる雨水が俺たちを襲った。
「長靴の中がぁ」
彩佳が情けない声と共にしゃがみ加減になって、ちょっとよろめきながら長靴を突然脱いでさかさまにした。
逆さにした長靴から、水が流れ出していく。
はねた水が長靴の中に入ったんだろう。
彩佳はもう一方の長靴も、よろめきながら脱いでさかさまにして、中に入った水を捨てた。
「行くぞ」
彩佳が長靴をはき終えるのを待って、そう言うと俺は妹に手を差し出しながら、歩き始めた。
が、俺の手に触れるのは大粒の雨だけであって、彩佳の小さな手はいつまでたっても触れてこない。
どうしたんだ?
そんな思いで、振り返った瞬間、俺は焦った。彩佳の姿が無いのである。さっきまで、俺の横にいたはずだと言うのに。
「おい。彩佳!」
辺りを見渡す俺の目に、絶望に叩き落すものが飛び込んできた。それは用水路の上を流されていく黄色い小さな傘だった。




