リセットを見送った俺
振り返りながらも、坂を下って行く自転車。
その先の人々も振り返って、近づく自転車に気づいて、進路を譲って行く。
割れて行った人の壁の先に見えたのは、後姿の石野たちだった。
振り返っていた自転車の男が、正面に視線を戻した時、石野たちとの距離は間近だった。
男のブレーキの音が響いた次の瞬間、石野は吹き飛ばされていた。
吹き飛ばされ歩道に倒れ込んだ石野に駆け寄る田寺の姿が、ぼんやりと俺の視界に映っている。
今日、石野が自転車の事故に遭う事を知っていて、それを避けるために俺は自転車の男を止めたと言うのに、結末は同じじゃないか。
なんでだ?
俺の思考回路は迷走していて、足も動かず、歩道で立ち尽くしてしまった。
石野を撥ね飛ばし、自分も歩道に倒れていた男は、よろけながら起き上がると、俺を睨み付けた。
ヘルメットをしていても、顔は無防備。
女の子と言っても、人一人を撥ね飛ばすほどスピードを出していただけあって、男も顔に傷を作っているらしく、血を流している。
「痛ってぇなぁ。お前のせいだぞ」
その言葉は俺の怒りを呼び覚ました。
石野を怪我させたことへの怒り。
撥ね飛ばし怪我をさせた石野に詫びようとせず、自分の痛みを主張する態度への怒り。
そして、自分が悪いはずなのに、俺に怒りを向けて来た事への怒り。
右手の拳に力を込めると、俺は一歩を踏み出した。
その瞬間、躊躇が一瞬芽生えた。
このまま暴力沙汰になれば、まずかないか?
でも、それはすぐに消え、別の考えが浮かんだ。
あの装置を使えばいい。
全てを無かった事にできる。
その思いは、俺の心のブレーキを一気に消失させた。
「お前が悪いんだろぅぅぅ」
そう叫びながら、右の拳を振り上げて、男に駆け寄る。
「石野に謝れぇぇぇ」
そう叫びながら、男の顔面めがけて、拳を振り下ろした。
そこから先は、俺の思考回路は熱暴走状態だった。
お互い殴り、殴られ、蹴り、蹴られ。
そんな俺の熱暴走から覚めさせる音が耳に届いた。
パトカーのサイレンだ。
その音は、自転車の男の動きも止めた。
まじまじと顔を眺めると、目の前の男は怪我だらけで、どれが自転車でこけた時の怪我で、どれが俺との殴り合いで生じた怪我なのか、分かりやしない。
殴り合いが収まり、俺も正気を取り戻した事で、今、何をしなければならないかがすぐに思い浮かんだ。
歩道に転がっていた俺のカバンを拾い上げると、中に手を突っ込みごそごそと、あの装置を探す。
手に触れる小さくも、大きくもない四角い物体。
それを取り出して、ボタンを押す。
これで、この騒動は無かった事に。そして、石野の怪我も無かったことにして、もう一度やり直せる。
普段なら、すぐに襲ってくるくらくらしためまいのような感覚が来ない。
辺りを見渡してみる。
数m離れたところに、怪我をした自転車の男。
別の場所には怪我をした石野と、寄り添う田寺。
辺りには、俺の行動を不審げに見つめる野次馬たち。
耳にはますます大きくなったパトカーのサイレン。
その時、俺は思い出した。
本当の明日の朝に、この装置を使ったのだった。
一日使うと、一日使えない。
新しい明日の朝まで使えないんだ!
俺って、迂闊ぅぅ。
いや、ただのバカ?
結局、その日、俺は警察に連れていかれ、みっちり絞られてしまった。
次の朝の教室。
俺が昨日引き起こした騒動は、学校中に広まっていた。
当然、俺のクラスの中はさらに特別だ。
痛々しい包帯と絆創膏姿の俺を取り囲むクラスメートたち。
「怪我はどうなんだよ?」
「石野がひかれた事に怒ったのか?」
はっきり言って、まだ傷は疼く。
「違ぇよ」
俺は不機嫌な表情で、興味本位な質問ばかり繰り返すクラスメートたちを適当にあしらいつつ、時折時計にちらりと目を向ける。
24時間経ったところで、あのボタンを押す。
それでリセットだ。
クラスメートたちの質問をあしらいつつ、時計に目を向ける。そんな繰り返しのさなか、俺を取り囲むクラスメートたちの壁が割れた。
その先にいたのは、怪我をした姿の石野だった。
昨日、俺は警察に連れていかれたので、石野の怪我の状態を知らなかった。
包帯に絆創膏。
だが、それは最初に見た本当の今日の石野の痛々し過ぎる姿に比べれば、ましな姿だ。
その事に驚いて、石野を見つめる俺の目は大きく見開いていた。
俺がやった事は無駄ではなかったのかも知れない。
「昨日はごめんね。
巻き込んじゃったみたいで」
「あ、いや。」
あいつ、危ないよなぁ。
怪我、大丈夫?」
「まあまあかな?」
そう言って、にこりと小首を傾げる石野は怪我をしていても、輝いて見えた。
石野の怪我を無かった事にする。
それが目標だったはずだが、石野の笑顔にちょっと心が鈍ってしまった。
今、もしかすると、石野の中の俺のポイントはアップしているんじゃないのか?
リセットして、もしも石野が無事だったとして、俺の努力が石野に気づいてもらえないって事だってあり得る。
だったら。
そんな思いから、リセットのチャンスを見送ってしまった。




