暴走チャリの男
本当の今日、授業が終わると、俺はそそくさと一人教室を出て、家に向かった。
その理由は二つあった。
石野の笑顔を見ていたいと言う気持ちの反面、石野の近くにいると、振られた心の傷が俺を締め付けたりもする。
微妙な心のバランスが、あの時、俺を石野のいる空間に居づらくさせた。
そして、もう一つは、茉実をついつい避けたいと思っているため、学校と言う茉実といつ会うか分からない空間から、逃げ出したかったのだ。
が、新しい今日は違う。
石野にあんな怪我をさせる訳にはいかない。
今日は石野が教室を出るまで、自分の席で時間を潰す。
「ねぇ。まだ帰らないの?」
茉実がやって来て、俺に問いかける。
その表情にはかつての輝くような笑みはない感じがする。
「ああ。ちょっとな」
「そっかぁ」
それだけ言い残して、茉実は俺に背を向けた。
以前だったら、「なんで」とか、「えぇぇーっ。一緒に帰ろうよぅ」とか言っていただろうに。
茉実との距離もどんどん不自然な形で、遠のいていく。
でも、今は石野を事故から救う事が最優先である。
ごめん。心の中でそう呟き、遠ざかって行く茉実を見送った。
そして、石野が教室を後にすると、少し離れて後を追う。
石野は後ろから来た自転車にひかれたと言った。
すなわち、俺は石野の後方で、自転車に注意を払えばいいと言う事だ。
石野が自転車事故に遭った本当の今日と同じで、楽しげに田寺と微笑み合いながら、石野が校舎を出た。
その輝くような石野の微笑みは、ラブレターを下足箱に忍ばせたあの日を思い出させて、俺の胸を締め付ける。
そんな痛みをこらえて、距離を置いて石野たちの後をついて行く。
石野が言った、自転車にひかれた駅までの坂は校門を出てすぐに始まる長い下り坂。
俺は前を向きながらも、後方の気配に注意し、時折直接後方を振り返り、近づいてくる自転車に注意を払う。
車道側を走って行く自転車。
ブレーキ音をたてながら、ゆっくりと坂を下って行くママチャリ。
そのすべてに目を向け、石野へ危害を加えそうかどうかの判断をする。
そんな俺には気づいていない石野は、相変わらず楽しげな笑みを浮かべて友達と坂を下って行く。
坂の中ほどまでやって来た頃だった。
坂の上からかなりのスピードで歩道を下って来る自転車を発見した。
これに違いない。
乗っているのはヘルメットを被った若そうな男。
突き進んで来る自転車に向かい合うようにして、俺は歩道の真ん中で立ち止まった。
自転車の男からすれば、俺は障害物以外のなにものでもない。
俺の左右のどちらから抜けようかと迷っているのだろう。男の顔が左右に振られている。
その間にも近づいてくる自転車の男は、俺との距離が10m程度になったところで、ようやく減速を始めた。
距離が縮まったところで、俺は駆け寄ると、男に文句を言った。
「ここは歩道だろうが。
あんたに背中を向けて歩いている人たちが大勢いるだろ!
そんなスピードで飛ばして坂を下りてきたら危ないじゃないか!」
「悪い。悪い。
でも、気を付けてるから、大丈夫だよ」
「大丈夫じゃない!」
「何を根拠に言ってんだよ」
男はちょっとムッとした口調で、俺に言い返してきた。
俺には知っている事実があるが、言ってもはじまらない。
「とにかく。こんな所で飛ばすんじゃない」
「分かったから、もう行かせてくれ」
そう言うと男は俺を無視して、自転車をこぎ始めた。
ここで一度停止した訳だし、俺が文句も言ったしで、これで男の自転車はそれほどの速度にはならないはず。
と、俺は思ったが、すぐにまずいと思いなおした。
俺とこの男のちょっとした騒動に、近くを歩いていた人たちは立ち止まって、俺たちを見ていた。
そこに自転車の男が再び自転車に乗って漕ぎ出したので、歩道の進路上にいた人たちが左右に分かれて、道を譲ってしまった。
障害物が無くなり、ブレーキをかける必要も無いとばかりに、スピードを上げて遠ざかって行く自転車の男。
その先にはまだ何人か人影があって、自転車の男に背を向けて坂を下っていた。
石野たちはさらにその先のはず。
今、男を止めれば間に合うはず。
そう思った俺は坂を駆け下りながら、大声で叫んだ。
「止まれぇ。危ないだろ!」
自転車の男が振り返った。




