55話 親子の事情 2
「・・・クリス」
クレアさんが、子どもの名前を呟く。子ども、クリス君は小首を傾げたが、すぐにクレアさんに気づき、顔を恐怖にひきつらせた。
「お、かぁ、さん」
「クリス! ごめんなさい。お母さん、クリスとの約束を破って、仕事に行ってしまって。本当は、クリスとバザールを見て回りたかったの! それなのに・・・」
泣きながら、クリスに謝るクレアさん。みんな、成り行きを見守っていたが。
「うそ、だよ」
ポツリと、落ちた言葉。クリス君は、納得しなかった。
「クリス・・・?」
「お母さん、うそばっかりだ! 約束破るの、これで何回目だよ!? 俺、我慢してたよ! 本当にお母さんが忙しいの知ってたから! でも、この間は違った! 買い物帰りに、俺の知らない若い男の人と歩いてた。荷物まで持ってもらってさ!」
クリス君の感情が爆発した。怒りの矛先は、当然クレアさんだ。
ガタガタガタガタ。
部屋の中の物が、音を立て始める。
ビュン、ビュン、シャッ。
幾つかの本や剥製が浮かび、すごい勢いで飛び始めた。
ポルターガイスト現象を引き起こすとか! あのクリス君、実はすごくない!?
「マサヤ、じいちゃん! クレアさんを守って!」
僕はすぐさまネギボウさんのところまで一足飛びに近づいた。万一、ネギボウさんが気絶でもしたら、この儀式は失敗に終わってしまう。
「「わかった!」」
じいちゃんが結界でクレアさんたちを守る。
こっちは完全に無視だね。まぁ、あんまり物は飛んでこないからいいけどさ。
逆にじいちゃんの方、クレアさんには攻撃が集中する。
「ち、違う! 違うのよ、クリス! あれはたまたま、買い物帰りに親切に荷物を持ってもらっただけで、本当に私はよく知らない人なの!」
「なんで、そんなやつと歩いてたんだよ! おかしいだろ!?」
「たまたま、私が薬草を買い取ったからよ! それ以上の理由なんてない!」
悲鳴のように叫ぶクレアさん。
双方とも、興奮してて話にならないね、これは。
「・・・まずいのだ。指輪に込められた負の感情が、クリスの心をひきずってるのだ。このままじゃ、そのうちクリスに際限なく負の感情が入り込んでしまうのだ。指輪でも耐えきれなかった負の感情が一気に入ってきたら、子どもの柔らかい心などひとたまりもないのだ」
さらに状況悪化。これ、誰か調停者が必要じゃないかな?
困ったときのマサヤとじいちゃん頼み(他人任せとも言う)!
「じいちゃん! とりあえずクレアさんを店の外に出して落ち着かせて! マサヤはクリス君の説得お願い!」
「なんで俺!?」
「わかった、一旦外に出ているのじゃ!」
「俺は?」
キョロキョロと周囲を見渡し、結局じいちゃんの方についていく隊長さん。
ガチャン、ガチャガチャ。ドスン。
あ、近くに小鬼の像が来た。回収しとこう。
「お母さんなんて、きらいだ。僕の気持ち、全然わかってない」
クレアさんがいなくなった途端、ポルターガイストが収まった。しゅんとして膝を抱えるクリス君。
本当は、お母さんのクレアさんが好きなんだろうなぁ。
そして、往生際悪く抵抗してくるマサヤ。
「なぁ、テルア。俺じゃなくてもお前が・・・」
「頑張ってね、マサヤ」
「いや、俺よりも絶対お前の方が・・・」
「頑張ってね、マサヤ」
「そもそもの発端はお前んとこの魔物とお前が買った時計・・・」
「頑張ってね、マサヤ(笑顔)」
「・・・・・・・・・。はぁ。覚えとけよ、テルア」
フッ、勝った。マサヤを動かすのに刃物はいらぬ。言葉さえあれば可能! なんちゃって。
でもさ、見た目同程度か少し上くらいの外見でしかない僕よりも、多分マサヤの方がいいんだよ。だって今のマサヤ、おじさんだし。
「あー、クリスだったか。お前、クレアさんのこと、本当に嫌いなのか?」
「・・・きらいだよ」
「俺にはお前が意地張ってるようにしか見えねぇんだけどな。クレアさんだって謝ってたじゃねぇか」
「謝っても許さない」
クリス君は顔を膝に埋めながら、いやいやと言う風に首を横に振る。
んー、とがしがし頭をかきながら、マサヤは呻いていたけど、不意に僕の方を向くと、謝った。
「悪い、テルア。先に謝っとく」
僕は意味がわからなかったけど、マサヤの次の言葉ですぐに何故僕に謝ってきたかを悟った。あの話をするつもりだ。
「お前、ふざけんなよ。いつまで甘えてんだ」
マサヤは腕を組み、クリスを見下ろした。クリスはビクッとし、思わず膝から顔を上げる。そして、顔を上げたクリスは後悔したようだった。
無表情になったマサヤは、かなり迫力がある。研ぎ澄ました怒りというか。
「お前は大嫌いだって、好き勝手言ってるけどな。お前、明日クレアさんが急にいなくなったらどうする気だ?」
「え」
クリス君の瞳に恐怖が映る。
「俺は本人に何の落ち度もねぇのに、二度と自分の仲間に会えなくなったやつを、一人知ってる。わかるか? 二度とだ。昨日まで普通に話して、一緒に冒険して、笑いあってた、かけがえのない仲間だ。俺は、そいつがどれだけ仲間を大事にしてたか知ってる。そいつは、しばらく何にも手につかなかったよ。何やっても、上の空で、見てて痛々しかった。俺は、それが嫌で、そいつに仲間に手紙を書くよう言った。だけど、すぐに見つかって、手紙を届けることもできなくなったんだ」
ぎりっと、マサヤは歯を噛み締めた。
「自分の無力さが悔しかったよ。おまけにこれ以上の間接的な接触をするなら、仲間の立場も危うくなるって言われて。どうしようもなくなった」
「・・・・・・・・・・・・。」
「別れも直接言わせてやれなかった。それでも、そいつは俺に礼を言った。ありがとう、ってな。礼なんて欲しくなかったよ、俺は。お前、このままクレアさんと喧嘩別れして、二度と会えなくなっても、本当に後悔しないのか」
マサヤの瞳は真剣だ。だからこそ、偽りを言えば、ただでは済まない。じわり、とクリス君の瞳に涙が浮かぶ。
「やだ。やだよ、そんなの嫌だ!」
「なら、戻ってこい。今ならまだ大丈夫だ。クレアさんだって、きっとお前のことを待ってる。な?」
何度も何度もクリス君は頷いた。ようやく本音を口にしたクリス君にマサヤは息を吐く。その唇が小さく、良かった、と動いた。
「良かったのだ。これでなんとか体に戻せそうなのだ。月の女神よ、さ迷いし幼子の心をあるべき場所に戻したまえ」
パン。
ネギボウが手を叩くと、クリス君の姿が光の粒になって、体へと降り注ぐ。
「最後の仕上げなのだ! 聖なる水よ、彼方と此方の道に溜まりし悪しきものを清めたまえ。清めたまえ、清めたまえ!」
パン、パン、パン。
三回手が打ち鳴らされると、瓶に残っていた水が、道(?)の方へと流れていき、水がなくなると自動的に道が閉じた。
「ふぅ。これでもう大丈夫なのだ!指輪も外れるようになっているのだ!」
僕は恐る恐る寝ているクリス君の指から、指輪を抜き取った。
手にした指輪は冷たい感触を伝えてくる。
コンコンコン。
「もう、入ってもよいかの?」
「あ、じいちゃん! うん、大丈夫!」
僕が元気よく答えると、外からじいちゃんたちが、店内に戻ってきた。
「あの、クリスは? クリスはどうなりましたか?」
クレアさんが、恐る恐る訊ねてくる。
「後は目が覚めたら連れ帰るだけなんだな!」
元気にネギボウさんが答えると、クレアさんは再び安堵で泣き出してしまった。
「クリス、良かった。本当に・・・良かった」
「おかあ、さん? ない、てるの?」
「クリス!」
親子が感動の抱擁を交わしている。わんわん泣くクレアさんにクリス君が目を白黒させる。
「仕方ないんだな。指輪に取り込まれてた時のことは、忘れてるんだな」
「へぇ。そうなんだ。っていうか、この指輪どうしようか」
僕は、銀の指輪を見つめた。見れば見るほど、きれいな指輪だ。呪具だったとは思えないよ。
「もう、浄化されてるから身に付けても大丈夫なんだな。でも、心配なら僕が買い取るんだな」
「あ、それなら買い取りしてネギボウさん。で、お金はあっちに渡したげて」
僕が親子を示すと、ネギボウさんが心得たとばかりに頷いた。
すぐにお金を取ってくるのだ!と、ネギボウさんは財布を探し始めた。
「ネギボウさん。多分、財布そっちの本が散らばってる下」
「おお! 見つけたのだ。それじゃあ、買い取り金額をあっちの二人に渡してくるのだ」
意気揚々とネギボウさんは二人に買い取り金額を渡した。あれ? 二人が固まってるけど、そんなに買い取り金額高かったのかな?
まぁ、いいや。
「それじゃあ、指輪を渡してほしいのだ」
僕がネギボウさんの手のひらに指輪を落とすと、ネギボウさんは嬉しそうに指輪を眺め始めたんだけど。
シュッ。
指輪は横からかっさらわれた。
「「あっ」」
かっさらった相手はあの、小鬼の像だった。あれ? 像って動くっけ?
「ぎぎぎぎぎっ。ぎぎぎぎぎっ」
すっごく嬉しそうに笑ってるよ。ん?
なんか手招きされてる? 指輪を返してくれるのかな?
僕が手を出すと指輪をすぽっとはめられた。あ、返してくれるんだね、良かった・・・
指輪には着脱不可(最強)の呪いがかかっていた。テルアは指輪を外せなくなった!
「えぇぇええええええ!?」
「うるせぇ! いきなり叫んでどうしたんだよ、テルア!」
「指輪が外せなくなった!」
「はぁ!? 何で身に付けたんだよ!」
とりあえず指から取ろうとするけど、本当に全然取れない!
どーすればいいの、これ!?
叫ぶ僕の横では、小鬼の像が嬉しそうに笑っていた。
悪いことしてると機嫌がいいなんて、まるでうちの母さんみたいだ!




