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356話

 早朝。八敷家で一番早く起きたのは彼女だった。

 八敷由美。正也の妹である。

 彼女はカレンダーを見ながら、気合いを入れ直す。まもなく、そう、もうすぐやって来るのだ。女性が愛しい人にチョコを贈る、バレンタインデーが。


バレンタインデーの起源がどうとか、そんなのは関係ないし、本来の趣旨から外れていることは、ゴミ箱にぽいとする。

 この趣旨が外れまくったイベントに乗らなければ、近づくことさえできないのだ。

 今年は、できるならチョコクリームを使ったケーキにするつもりだ。それ故、今日から練習する気満々で、早起きをした。

 台所は、帰宅してから使おうとすると、母親に怒られる。夕飯の支度ができなくなる!と。

 仕方ないので、朝食前に作るつもりで、由美は早起きした。

 材料を用意して、由美は、計量しながら、小麦粉をふるいにかける。

 牛乳と卵と薄力粉、砂糖を順番に入れながらきっちり混ぜて、混ぜて混ぜまくる。とにかく、この混ぜる行為が一番重要だ。きちんと泡立てながらでなければ膨らまない。だいぶん泡立ったので、ココアパウダーを投入すると、生地は茶色くなった。味見をしてみるが、少し物足りない。バニラエッセンスを混ぜてみる。リキュールのようなお酒などを入れる方がいいのかもしれないが、さすがに渡す人間が未成年なのでやめておいた。生地をバターを塗った型に流し込む。後はオーブンで焼くだけだ。


「よし!この間に、チョコクリームを作って・・・」

 

 また再び、由美はクリームを泡立て始めた。全自動泡立て器がこの時期は凄まじい大活躍を見せる。


「さて、焼けたかな」


 由美は、オーブンから取り出したスポンジケーキのあら熱をとってから、真ん中から二つに切り分けた。


「!! やった!」


 ケーキはきれいに中まで焼けていた。それが嬉しくて、由美は歓声を上げる。


「っはよー。ねみぃ。ふぁーあ」

 あくび混じりに起きてきたのは八敷正也。由美の兄だった。今日も朝練なのだろう。近頃は明け方とみに冷えるというのに寒くても、きちんと起きてくるところがこの兄らしい。


「あ、兄貴! おはよ。ちょっとこれ、味見してみて」

 毒味・・・ではなく、味見をしてくれそうな兄が来たので、由美は正也にチョコクリームのボールを突きだす。正也の眉間にしわがよったが、ぐいぐい来る由美の勢いに押されて、正也はクリームを口に入れた。

「!!」

「どう!?」

「あっま!? 胸焼けしそうなくらい甘いんだが!?」

 すぐさまお茶を入れて口の中の甘さを流した。由美は、あれぇ?と腕を組ながら思案している。

「そう? 一応、レシピの通りに作ったはずなんだけど・・・明日はちょっと少なめにしてみる」

「明日もあんの!?」

「バレンタインまでには間に合わさなきゃいけないの! 今日から試食に付き合ってもらうからね、兄貴!」

 その由美のケーキ続く宣言に、正也は胸焼け気分に陥ったのだった。



「・・・・・・てなことが、今朝あってな。しばらくケーキ作りが続くんだと。俺、体重制限してんのに」

 朝のHRが終わると、正也は僕に絡んできた。今朝あった出来事の一部始終を話して聞かせてくれる。

 正也は剣道部であり、体作りには真剣だ。体が重くなると、出足が遅くなるので、太るのを嫌っている。僅かな違いが勝敗を分けるから、というのが正也の剣の師の言い分だ。わからなくもない。だが、それを素直に聞き入れて実行してる正也は、素直にすごいと僕は感じる。言うのは簡単だが、体作りや体重制限は結構厳しい。食べたいものを我慢しながらひたすら卵の白身だけを食べたり、豚肉、牛肉はなしで、鶏肉だけだったりと、制限が多い。特に、僕らは食欲旺盛な高校生だ。お腹が空かないはずがない。

「正也も徹底してるねぇ。ストイックでかっこいいけど。今年も正也はかなりチョコもらいそうだよね。本命とかいるの?」

「本命ー? そうだなぁ。ちょっと、耳貸せよ」

 僕は正也に耳を寄せた。正也がぼそぼそと名前を挙げる。

「それ、本気なの、正也?」

「本気も本気。俺にとっちゃ、な」

 若干顔を赤くした正也は照れてるようだ。それはいいとして、出てきた人の名前が問題だ。

 まさか、年上趣味だったとは。

 でも、残念ながら正也の夢は脆くも崩れ去るだろう。何故なら。

「アイドルからもらいたいとか、正也も夢見る少年なんだねぇ」

「うるせ、ほっとけ!」

 正也とふざけあいながら、今日も一日穏やかに日々が過ぎていく。だが、僕は知らなかった。

 この平穏は嵐の前の静けさというものであり、嵐はすぐそこまで迫っていたことを、僕は知らなかった。


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