215話 イベント五日目 5(※)
「な、なんて強烈な臭いなんだ。あまりの臭さに気絶するとか・・・うぷっ」
「サイガ、袋だ! ここにやれ!」
ナーガが慌てて適当な袋を用意する。そこに、サイガは顔を突っ込んだ。
何かを出そうとする音は聞かなかったふりをして、ナーガは風魔法で部屋の換気を行う。換気をしても、しばらくこの部屋は使いたくないと、切実に思った。
「大丈夫? そんなにシヴァの薬が効くとは思わなかった、ごめんなさい」
「そういえば、シヴァとハイドは無事ですね。嗅覚がないので、シヴァはあれを作れたわけですか」
さりげなく口呼吸に切り替えながら、チャップが薬瓶を嫌そうに見た。本当に、凄まじい臭いだった。生ゴミを幾日も放置してカビが生えたところに甘酸っぱい果実と、糞尿を加えて混ぜたかのような、強烈な悪臭だった。
ただの悪臭だけなら、臭いとなっただけだろうが。特に嗅覚に優れていたサイガなど真っ先に気絶した。チャップやブラッド、ナーガでさえ、気絶してしまうくらいだったのだから、当然の結果ともいえる。無事だったのは、ハイドとシヴァだけだ。あのヤマトでさえ我慢した挙げ句最後に気絶したのだから。
「あのね、これをね、誰かが体に振りかけて、囮になるの。これだけ臭かったら、きっと囮の方に気が取られると思うし」
「絶対に俺はやらないからな、その囮役!! うぷっ!」
サイガが叫んでから再び袋を口に押し当てる。
ほとんど胃液しか出ないのが苦しいようで、気の毒に思ったナーガがそっとその背を撫でている。
「私も囮役は遠慮したいです。ハイドかシヴァがやった方がいいでしょうね」
「う〜ん。それも考えたんだけど、シヴァはそんなに早くないから、ハイドに頼もうかなって、思ってる」
全員の視線がハイドに集う。ハイドは別に構わない、と了承をした。じいちゃんからの課題は、必ず達成させなければならないからだ。
「ちょっと! 鉄斎のじいさんから聞いたけど、あんたたちしょうき・・・」
突如開いた扉。その奥から姿を現したのは鈴音だったが、鈴音は室内の空気を吸い込んだ瞬間、ばたん、と倒れたのだった。
「う、う〜ん。う〜ん。はっ!!」
鈴音が目を覚ますと、そこは、見覚えのない天井の部屋だった。
「ここは?」
「ん、おお、気づいたか、鈴音」
「鉄斎のじいさんかい?」
鈴音は起き上がった。その拍子に額に乗っていた濡れた手拭いが布団の上に落ちた。鈴音はいつのまにかベッドで寝かされていたのだった。
ちなみに、運んだのはハイドだ。臭いがつかないように、ちゃんと鈴音を薄目の掛け布団に巻いて運んだ。そのお陰で、鈴音の体からはほとんど悪臭はしなかった。
「鉄斎のじいさん。一体に何があったのか説明してくれないかい?」
「あー、いや、その、じゃな。お前さんが気絶したって連絡を受けてな。自分達にはまだ悪臭がついとるから、ここはさっきの部屋ではなく、別の部屋なんじゃが。すまんかったの」
「どうして、鉄斎のじいさんが謝るんだい」
「ああ、その。あの薬は、シヴァがかつて鬼神族に伝わっていた薬を再現したものなんじゃ。シヴァにそのレシピを売ったのは儂じゃからな。どうやら儂らのような鬼人族にも効いてしまうらしいの」
鉄斎が困ったように肩をすくめた。
「じいさん。軽率だよ、それは」
いくらシヴァたちの危険性が低いからといって鬼人族に効きやすい薬を作成したというなら、放置しておけるものではない。どうしたものか、と頭を悩ませる鈴音に、続いた鉄斎の言葉は衝撃的だった。
「まぁ、あやつらが帰ってきたら、妙な物を作るなと叱れば良かろう」
「待っておくれ。じいさん、あいつらはどっかに行ったのかい?」
「あぁ、森の北の主のところに行くって、ついさっき出てったが」
「なんだって!? まずい、止めないと!」
鈴音の焦燥に、鉄斎が訝しげな顔をする。
「何を驚いておるんじゃ? 北の主は別にあやつらの手に負えないわけではなかろう?」
「それが、手に負えないかもしれないんだよ! 今年は、百年目の節目なんだ! 森の北の主は、酒呑なんだよ!」
「なんじゃと!?」
百年に一度の節目は、必ず森の北の主は最凶最悪の鬼神族となることは、鬼人の村にずっと伝わっているのだ。
何故、百年周期なのかは解明されていないが、今年は絶対に北には近づくなと、有楽月にも念押ししている。それぐらい、酒呑は恐れられている存在なのだ。
その酒呑が相手では、勝ち目はないかもしれない。
「・・・・・・待つのじゃ、鈴音。どこに行くつもりじゃ?」
「決まってるだろ! あいつらに知らせに行かないと! あたしは義理は果たす性質なんだよ!」
「言ってはならん」
鉄斎は重々しく告げた。鈴音を押し留める腕は、振りほどけないほどに強い力が込められている。
「何するんだい、放しておくれ!」
暴れる鈴音の鳩尾に、鉄斎は拳を埋め込んだ。がは、と言う音と共に、鈴音は痛みにのたうち回って、気絶した。
「すまん、鈴音。こうでもせんと、止まらんからの。昔からそうじゃったな、お前は。じゃが、行かせるわけにはいかん。お前には可愛い二人の娘がおるじゃないか。骨を折るのは年寄りの仕事と、相場が決まっとるわい」
鉄斎は鈴音に掛け布団を掛けて、その頭を撫でた。
いつだって、鈴音は自分がやると決めたことは押し通す性分だった。子供の頃から全然変わっていない。
苦笑をこぼしつつ、鉄斎は立ち上がる。そこにもう、甘さはなく、表情はいつになく真剣だ。
「行くかの。今からでは追いつけるかは微妙じゃが。すまん、そこの。頼みたいことがある」
大カラスに村への伝言を任せると、鉄斎は建物を出た。
一路、北を目指して、老鬼は走り出すのだった。
次→21時
 




