114話 ダークエルフの村 2 (※ナーガ視点)
ナーガは焦っていた。状況がわからないことで不安と恐怖がつきまとい、このままでは自分の命は風前の灯火だ。逃げたいというのに、体が動かず、ここまで運ばれてきた者たちに、何かの台の上に乗せられ、横たえられる。そのまま、じゃらりと手鎖や足鎖で台にくくりつけられた。
かつて、ナーガはよく似た状況に陥ったことがある。
これは、生け贄の祭壇だ。
ナーガの顔を覆っていた袋が取り払われた。
時刻は夜中のようだ。
周囲は既に闇に満ちている。
そんな中、月はとても巨大に見えた。祭壇のほぼ真上にまで来ている。
「偉大なる女神、我らを導きくださる月の神。かつて、この世界の柱を担った女神、ティティベル様よ。お怒りを静め、我らに安寧をもたらしたまえ。我らはあなた様の忠実なる僕。我らはあなた様の・・・・・・」
祝詞の奏上が長々と続くが、ナーガはこの儀式に違和感を感じ始めていた。
ティティベル神は、本当にこんなことを望んでいるのだろうか?
確かに、彼の女神は強く、ひどく残酷な一面も持っていた。だが、思い返してみると、ティティベル神は、常に生け贄を求めるような血に狂った女神ではない。八つ当たりの対象として、生け贄が捧げられるのはありがたい、とは言っていた。その生け贄が気に入れば、気紛れに加護を与えることもある、と。
まさか、と思った。自分が生け贄にされたのはひょっとして。
誰かがティティベル神の加護を得るためにやっているのではないか?
神の加護を得るためには、いくつかの条件がある。まずはその神を奉っている神殿があること、その神の神殿の敷地内で儀式を行うこと、そして神から与えられた試練を乗り越えること、この三つだ。
このダークエルフの村には神殿は一つしかない。
堕ちた月神ティティベルを奉る神殿だ。それも、かなり小さなものでしかない。儀式は古くから続けられてきた。前回の儀式からちょうど五十年が経過すると、毎回儀式を行ってきたとナーガは聞いたことがある。
だが、生け贄は? 生け贄の儀式だとは他の古くからいるダークエルフも話題にしたり、噂にしたことはなかった。
生け贄の儀式。
この生け贄というのは、一体どこから出てきた?
まるで、それが当たり前であったかのように他のダークエルフたちが納得している。
おかしい。
だって、ティティベル神は、ここ最近生け贄が捧げられることはなかった、と断言していた。ナーガが久しぶりに捧げられた生け贄だとも。
祭壇上のダークエルフをナーガは凝視した。粛々と儀式を行っているが、その口許は、歪んでいる。笑っているのだ。
(! 最初、から。最初から加護が狙いで・・・?)
すなわち、ナーガは。
誰かの私欲によって命を奪われようとしているということだ。
頭がくらくらとしてくる。
気づきたくなかった。こんな、残酷な真実など。
自分の命を道具のように扱われて、悔しくて、悔しくて、涙が出てきてしまう。
ナーガは、まだうまく動かない体で、鎖を何とかしようと、体を捻ったり、鎖をガチャガチャと鳴らした。
最後まであきらめない。こんな形でティティベル神のところに行くなど、冗談ではない!
自分の命は自分のものだ。
誰かに道具のように使われてたまるものか!
ナーガの紫の双眸に、怒りの炎がきらめいた。
沈黙はまだ、解けない。
それでもいい。終わらせない、まだ!
長い長い、祝詞の奏上が終わった。
「ティティベル神様。どうか我らより贄をお受け取りください。そして、お怒りをお静めください」
祭主を務めるダークエルフが、大きな斧を片手に、ナーガの方へと近づいてくる。
「ようやく、だ。ようやく、お前を殺すことができる」
小さな呟きは、しかし耳のいいナーガには聞こえていた。ぎっと祭主を真っ向から睨み上げるナーガ。
「この期に及んで、まだそんな反抗的な目ができるとはな。さすがは、半分魔族の血をひくだけのことはある。お前の母親は、掟を破りダークエルフ以外の者と交わり、穢れた血をこの村に取り入れた。そんなお前をようやく、消すことができる。望外の喜びだ」
斧が持ち上げられる。その切っ先がナーガの首目掛けて、躊躇いなく振り下ろされた。
ガキン。
金属同士が擦れるような音がした。
ナーガは、瞠目した。
ナーガと祭主のダークエルフの間に、誰かが立っていた。
後ろ姿だけしか見えないが、その特徴的な赤い髪は、夜の中で燃え続ける篝火のようであった。
「あ、あぁ・・・」
来てくれるとは思っていなかった。ナーガのことなんて、放置していてもおかしくないと。
来てくれる保証なんてどこにもなかったのだ。
「ナーガって、目を離すとすぐに窮地に陥るね。しばらく単独行動禁止だから、そのつもりで」
何でもないことのように言い放つ、少年。ナーガの全身から力が抜けていく。
そのまま、ナーガは白い光に包まれた。沈黙がようやく解ける。
「テルア・・・・・・」
ナーガが震える声で、その名を紡いだ。
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