こんな夢を観た「久遠寺へ向かう」
月のきれいな晩、川っ縁の一本松の傍らに立つお地蔵様に声をかけられた。
「これ、そこな旅人よ」
「はい? 今、呼んだのはお地蔵様ですか」長い風雪で目鼻がすり減って、赤い前掛けをつけていなければ、ただの石塊かと見すごしたかもしれない。
「そう、お前さんだよ。すまないが、ちと頼みがある」お地蔵様は厳かな声で言った。
「何でしょうか。力になれることなら、喜んでお伺いします」
「よく言った。わたしを久遠寺までおぶっていってはもらえまいか?」
わたしは溜め息をついて首を振る。
「それは無理なお話です。お地蔵様は、お見受けしたところ、相当な重さかと存じます。それに、久遠寺までは遠すぎます。甲州街道をざっと100キロは行き、さらに甲府から30キロも歩くんですよ」
「わたしの体重のことは気にすることはないよ。日にちはどれだけかかってもかまわない。どうしても、そこへ行かなくてはならぬ用事があるのだ」
仏の化身であれば、天も地も自在に駆けるもの、と思っていたが、地上にあっては多くが縛めであるようだ。
「わかりました。背負ってみましょう」お地蔵様ができる、というのであれば可能なのだ。万が一にも叶わなかったとすれば、それまでの事。わたしの信心が足りなかっただけの話。
わたしはお地蔵様に背を向け、腰を落とす。
「さあ、持ち上げますよ。よろしいですか」
「わたしの方はかまわないよ。いつでも背負っておくれ」
後ろ手にお地蔵様を抱え、えいやっと力を込める。台座の上で、石同士が触れあう、ゴトッという音がした。いくらかは傾くのだが、とうてい持ち上げるところまではいかない。
「やはり、無理のようですが……」わたしはがっかりして言った。
「なんの、もう1度っ」お地蔵様は気を悪くする様子もなく、わたしを励ます。
そこで、更に力を振り絞り、足を踏んばる。お地蔵様は、わたしの背の上でだいぶ傾き、台座をゴリゴリと削りながら、ついに浮き上がった。
足と腰に意識を集中させ、使える限りの筋肉を総動員する。姿勢を正し、ゆっくりと体を持ち上げていく。
そして、ついにわたしは立ち上がった。お地蔵様を背負うことができたのだ。
こうして立ってみれば、あんなに重かったお地蔵様が、まるで真綿のように軽い。
「お地蔵様、ちゃんといらっしゃいますか?」わたしはつい、そう尋ねてしまう。
「ここにおるよ。うん、うん、ちゃんとおるからな」背後から、とても優しい声が聞こえてきた。
わたしは安心し、身延山を目指して歩き始めた。
7日7晩かかって、ようやく総門まで辿り着く。ここより先は聖域だ。両手のふさがったままのわたしは、心の中で合掌し、気持ちを込めて一礼をする。
「さあ、入りましょうか」わたしは言った。
本堂へと続く278もの石段も、今はエスカレーターのようにたやすく登ることができた。
「これも、お地蔵様のお力ですか?」わたしは聞いた。
「いやいや、お前さんの功徳の賜だろうよ」お地蔵様は答える。
石段を登り切ると、つい数年前に再築された五重塔がわたし達を迎えてくれた。
「お地蔵様、久遠寺に着きました」わたしは背中越しに声をかける。
「しだれ桜の前まで連れていっておくれ」そう、お地蔵様が言う。
わたしは境内を横切って、しだれ桜の前まで行った。
「花どころか、葉も残らず落ちてしまっていますよ」樹齢400年とも言われ、盛りの時期には見事な花を咲かせていたが、今はただの枯れかけた老木に過ぎない。
わたしはお地蔵様をしだれ桜のよく見える場所に、そっと下ろした。
「いや、これがよいのだよ」お地蔵様は静かに語る。「お前さんにはまだ見えないかな。これまでに咲かせてきた花の影、これからほころぶ花の夢が。桜はよいものだ。春もよし、夏もよし、すべての季節においてよし」
お地蔵様の隣で、わたしは膝を抱えて座る。
闇夜のカラスをも見抜く気構えで、わたしはしだれ桜をつらつらと眺めた。
けれど、お地蔵様の言う通り、枯れ枝より他何も見えないのだった。




