春の宴
「さぁ着いた、ここが今夜の舞台だ。」
そうやって連れてこられたのは門構えが立派な見上げるほど大きなお屋敷。
敷地には幾つもの建物があり、案内された敷地内で最もみすぼらしい建物でも廊下は日の光を反射して艶々と輝いている。
「世の中にはこんな立派なお家があるんですね・・・」
隣で見習いの小汐が思わず零したその言葉に見習いみんなで頷く。私たちがあてがわれたこの部屋、恐らくこの建物内で最も狭い部屋ですら私の住んでいた家が余裕で入りそうだ。
世の中の不平等さを嘆く余裕もなく、ただただ呆けてしまった。
ーーパンパン
手を叩く音で我に返った。
振り返れば小鞠姉さんがやや怖い顔で立っていた。
「見習い達! なに呆けているんだい! 早く荷解きの手伝いをしな!」
「は、はい、すみません!」
同じく見習いの小藤が上擦った声で返事するのと同時に慌てて舞台衣装の入っている風呂敷を開いて中を出す。
クスクスと隣で小麻姉さんが笑う。
小麻姉さんは舞も舞うけれど、笛や鼓を演奏するのが主な仕事の笛子だ。
「菊ちゃんは貴族様のお屋敷は初めて?」
その言葉に首を横に振る。うちの一座はたまに貴族の宴に招かれては舞や楽器を披露していて、私も今までに何回か貴族様のお屋敷は行ったことはある。
「でもこんな大きな所は初めてなのでびっくりしてしまって。」
「そうねえ、滅多にこんな大きなお屋敷はないものねえ。
でもね、世の中にはここより更に大きなお屋敷があるのよ。」
その言葉に目を丸くする。
想像もつかない。
どれくらい大きいのだろう?
一番小さな部屋が庄屋様のお屋敷が入る位大きいのだろうか?
ひょっとしたら村より広いお屋敷かもしれない。
もしかしたら隣村を合わせた広さより大きいのかも。
「手が止まっているわよ。」
ハッと我に返る。
「姉さんごめんなさい。」
再び荷を解き始める。
「でも菊ちゃん楽しそうだったわ。」
楽しいことはいいことよねえ。
そう言って小麻姉さんはクスクスと笑った。
**
荷解きが終わった後は舞台に立つ姉さん方は稽古、その他は皆下働きに混じって宴の準備を手伝う。
廊下を雑巾掛けしたり、厨で下拵えのお手伝いをしたり、食器を磨き上げたり、探せば仕事はたくさんある。私たちと同じ様な一座は他にもあるけれども、こういった下働きのお手伝いをするところはほとんど無いようなので、私たちの一座は下働きたちからも評判は良いらしい。
日暮れになるとそろそろ舞台の為の支度をしなければならない。下働きを抜けさせてもらい姉さん方の着付けと化粧の手伝いをする。
てんやわんやだけれども、姉さん方がどんどん綺麗になってゆくのを見ることができるこの時が私は好きだ。
「小菊もだいぶ慣れてきたわね。」
帯を結んでいる私に小祥姉さんが声をかけてきた。
小祥姉さんは、ちづを産んでからそれまでに比べ綺麗になったように思う。それから寂しい顔をするようになった。その顔を見る度に胸の奥がざわざわする。
「はい、お終いです。」
最後にポンと帯を叩いて扇を姉さんの方に差し出す。
そこに「失礼します。」と誰かが入ってきた。屋敷に仕える侍女のようだった。小鞠姉さんが話に応じる。
何を言っているかは分からないが、小鞠姉さんは部屋中を見渡した後、私に目を留めた。
「小菊、その場でちょっと踊ってみな。」
「え、どうしていきなり」
「いいから早く」
よく分からないけれど、姉さんの真剣な顔に圧されてその場で一の足を踏み出し扇を開く。小声で唄う。
周りで他の姉さん方屋敷の侍女も私の方を見ているのが分かったけれど、それでも踊り続けた。
そのまま一曲踊り顔を上げると小鞠姉さんが真剣な顔をしていた。
「小菊、あなた今幾つだったかしら。」
「12です。」
「そう、じゃあ大丈夫そうね。
この娘でいかがでしょうか?」
小鞠姉さんが侍女に話を向ける。侍女は能面のような無表情で頷く。
「そうね。まあ大丈夫でしょう。
小菊と言ったわね、あなた今から私に着いてきなさい。そして再びこの部屋に帰ってくるまで何を言われても指示に従うように。」
訳が解らないまま部屋を追い出された。
**
侍女に着いて廊下を早足で通り抜ける。
何度か角を曲がり部屋を突っ切り、ここがどこだか分からず不安になった頃一つの部屋の前に着いた。そこで侍女は初めて振り返り、私を見つめた。
「これからあなたにはこの屋敷の女童として宴が終わるまで過ごしてもらいます。何か失態を犯せばこの屋敷全体の品格に関わります。当然あなたにも一座にも何かしらの罰が与えられることでしょう。
精々気を抜かないことをお勧めします。
さあ、中に入り早く支度なさい。」
中は私たちに与えられたら部屋より日当たりがよく、明るい部屋だった。中には揃いの着物を着て身綺麗にした私と同じくらいの女の子たちがたくさんいてそれぞれお喋りにこうじていた。
突然中に入ってきた私を興味津々な目で見つめる。その視線にたじろいで後ろを振り向くけれど、すでに侍女は居なくなっていた。
「あなたどなたですの?」
その声に振り向けば瞳の大きな女童が首を傾げてこちらを見ていた。
「私は一日女童として過ごしなさいと言われてここにきた者です。
支度をしなければならないのですが、着物はどちらにありますか?」
ああ、と納得がいったように女童は部屋の隅の行李を指さした。
行李をあければ女童の着物が姿をあらわした。
手に取ってみるとサラサラしていた。
袖を通してみるとヒヤリと重い。
帯を結べば程よい締め付けに胸がキュッとした。
これまでみた中で最も高級な着物だ。仕上げに飾り紐を結べば、私も他の女童たちと見分けがつかなくなっただろう。
先ほどの女童(名を真鶴というそうだ)にきいてみれば、私の仕事は宴の料理を運ぶこと。
私がここに呼ばれたのは女童がひとり流行病で足りなくなったから。真鶴達は普段この屋敷に仕えているが、下級貴族の娘たちであることを教えてくれた。
貴族なのに気安く接していいのか戸惑ったが、真鶴曰わく娘を他の貴族の屋敷に出仕させるくらい家計が逼迫している、庶民と同じような暮らしをしているような家柄の娘であるので、気にしなくていいとのことらしい。
「それに今はこうして仕えさせて頂いているけれど、何かあれば私たちもどうなるか分からない身ですもの。自分の立場くらい弁えていますわ。」
そういって真鶴は寂しそうに微笑んだ。周りの女童たちも同じ様な顔をした。姦しい部屋の中で私の周りだけお葬式の様に静かになってしまった。
これではいけないと思い無理矢理話題を探す。
「そうだ、これだけ立派な宴ならきっと立派な方々もいらっしゃるのですよね。」
その言葉に真鶴は顔を輝かせる。
「そうですの、殆どはお年を召した方なのですが、中には若い貴公子もいらっしゃりますのよ。」
そう言って真鶴は今日いらっしゃるらしい貴公子の名前を次々と挙げだした。
それに負けじと周りの女童たちも名前をあげると共に貴公子の噂話も付け加える。それに誰かが付け足し、意見を言い、反応し・・
「…見ているだけでも思わず溜め息をついてしまうのですが、もし見初められたらと思うともう胸がいっぱいで張り裂けてしまいそうですわ。」
そう言って最後に真鶴を始め女童たちはうっとりとした表情を浮かべた。
女童たちの変わり身の早さについて行けない私は蚊帳の外で相づちを打つことしかできなかった。
と、そこに先ほどの侍女がやってきて仕事だと告げた。女童たちは楚々と部屋を出る。部屋を出るときに侍女に睨まれた気がして思わず背筋が伸びた。
厨で膳を受け取り前の人について宴の場に向かう。膳を貴族や御簾の奥の奥方のもとに届け、再び厨で膳を受け取とる。何となくこちらをじろじろと見るような粘ついた視線を感じたが、侍女の言葉を思い出し視線を無視し、自分の精一杯の丁寧さで厨と宴の場の行き来を行った。
配膳が一段落した後、私たちは隅のあたりで宴の出し物を見ることを許された。
鼓が鳴らされ、笛の音が流れる。
その前で舞うは一座の舞姫、小鈴。
いつもながら小鈴姉さんの舞は鮮やかだ。
まるで花々を渡る蝶のように、ひらりひらりと舞台を渡る。
周りの女童たちはきらきらとした目で小鈴姉さんを見ている。それが凄く誇らしかった。大声で自慢したかったけれど、はしたないので心の中に留める。
そんな私に気付いたのか、隣の真鶴が姉さんを褒めてくれた。一座暮らしも悪くないでしょう。と問いかけると、踊るだけなら良いけれど、と真鶴は口ごもった。その続きが気になったけれど、宴の片付けをするようにと言われたので結局聞けず仕舞いになってしまった。
「小鈴姉さん、こんな夜中にどこに行くの?」
「あらあら小菊ちゃん、まだ寝ていなさい。
大丈夫よ、すぐに帰ってくるから。」