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◇
二人の召喚技士が水の精霊と対話の準備をしている頃。
ノルンは一人リング・エルドを出ようとしていた。そしてそれを見たルルは急いで家から飛び出しその行動を制止させようとしていた。
「待って! ねぇノルン。もう少しだけ待てない?」
「……ああ。これ以上ここに居るわけには行かない。僕は居るだけで彼らに深い痛みを与えてしまうんだ。それにルル、君にも迷惑はかけられない。だから僕は、行くよ」
「だってあんな多くのバケモノが居る場所に一人で戻るだなんて……危険すぎます!」
「それでも……行かなくちゃならない。それが僕の責務だから」
ノルンは苦笑の表情を浮かべて言うとルルが止めるのを振り切り村を出ていく。
すると去り行く背に向かってルルはポツリと呟いた。
「そんなの、酷い。そうやって……また、私を一人置いていくんですか?」
(―――ぇ?)
思わずその言葉に振り返るノルン。
そこには今までに無い弱い眼差しを浮かべたルルの姿があった。
「いつだってそうだった。私の気持ちも知らずあなたは一人で全てを背負ってどんどん進んでしまう――私がいつ迷惑って言いました?」
ルルは今まで貯めていた積年の思いを伝えるように言葉を紡いでいく。
「迷惑なんかじゃないです。どんな事があってもあなたと一緒に居られる事の方が何より私にとっては大切な事なんです。なんで、それをわかってくれないんですか?」
揺れ動く瞳と共に投げかけるその言葉。それはノルンとの絆を表すように淡々と語られ流れ、同時にそれが何を意味しているのかもノルンには分かっていた。
だからこそ幼馴染であるノルンは自らのふがいなさに言葉を失いながらもか細い声を受け止め、そして諭すように告げた。今の彼にはそれしか出来なかったのだ。
「ルル……。ならばわかって欲しい。僕はただ、僕のせいで君の帰る場所を無くしたくない。そう思っているだけなんだ」
「でもそれはあなたの言い訳でしかないです。私はこれからどんな事があってもあなたと一緒に居たい。一緒にこれからもこの地で生きていきたいの! それでも、それすらも求めてはいけないと、あなたは言うんですか?」
「――ルル」
ノルンは呟きながらルルの瞳から零れ落ちる涙を見た。
涙を流しながらも意思を曲げず立つ気丈な姿がそこのはあった。それは強い意志の証であり、同時にノルンの事を思って泣いているのがはっきりと伝わってきた。
(言い訳……か。確かにそうだ。何で気付かなかったんだろう。僕はいつも君に背を押されて立っていたんだ。一人で進んでいる事なんて、一度もなかったのに――)
少しずつ胸の奥に染み込んでくる言葉にノルンは息を呑みルルを見つめた。
ノルンにとってルルはとても強い存在であった。彼女が遠い地で頑張っているからこそ自分も頑張れる。ルルが居たから今のノルンが存在すると言っても過言ではなかった。
(いつでも君がそこに居てくれた。だから僕は僕として今までこの長い道を歩んでこられたんだ――なのに、僕は大切な君に何もしてあげられなかったんだな……)
そして……そう気が付いた時、自然と足はルルの方に近づいていった。
ルルは近づき目の前で立ち止まるノルンを見てはっきりと思いの丈をぶつけた。
「もしあなたがこのまま出て行くというなら私は付いていきます。あなたが置いていくというなら私は追いかけます! もう一人で苦しむのも、苦しませるのも、嫌だから……」
触れたい手を握り締めるように自分の胸に置き、ルルは静かに目を瞑る。
「……ルル」
ノルンはそう短く名前を呟くと、肩を震わせるルルをそっと抱きしめた。
するとルルは驚きながらもその行動に身を任せる。
「ごめん……。君にまで重荷を背負わせる事になって。本当は僕も怖かったんだ。これ以上誰かを失うのを、この戦乱が父に起されていたのを認める事すら、怖かったんだ……」
ノルンは言いながら身を寄せ震わせていた。微かに揺れ動く腕と手。
その振動が伝わった時、それだけでルルにはノルンの気持ちが分かった気がした。
「だからこそ、一人で戻ってこの戦乱の真実を確かめようとしたんですよね。誰にも迷惑をかけないように、誰も傷つけないようにする為に。そして街の人も争いの影響で苦しむ人々も救いたいが為に……分かります。あなたは昔から誰よりも優しい人だから」
ルルは涙を流し同じように背に手を回し、ノルンを抱きしめた。
手を伝わり感じ取れる暖かな人の温度。離したくない心地よい心の鼓動。
どちらも相思相愛であった筈なのにそれはいつしか時の流れが阻んでいた。
それでも辛そうに頬を伝う涙すら愛おしくなるほど長い時の中で求めていた全てがそこに在り、それ故にルルはノルンと同じ気持ちを今共有している事が何より嬉しかった。
「それでも、一人で罪も涙も背負う必要ないんですよ。私も一緒に背負いますから」
「………ありがとう。ありがとう、ルル」
ノルンはそう声を震わしルルを強く抱きしめた後、肩に手を置き目の前の女性を見つめた。ルルも同じように声も無く見つめ返す。涙を流し目を赤らめているのにその表情は昔と変わらないあどけさが残っており、微かに頬が上気していて何よりもノルンには美しく見えた。二人の視線が徐々に近寄り、吐息さえ聞こえる距離に互いが惹かれて行く。
ルルは何かを決意したように目を瞑り、ノルンも同じようにそっと距離を近づけていく。
だが二人の距離がゼロになる刹那。どこからともなくクルルルと動物らしき泣き声が鳴り響き、ノルンは途端に自身の鼓動が異様に早鐘を打つのを感じ、弾かれたように肩を抱く手を離すと少しだけ気恥ずかしそうにルルを見てこう言った。
「……そ、それじゃあ行こうか。後悔はしないよねルル」
するとルルはそんなノルンの反応にどこか物足りなさそうな表情を浮かべつつも、くすっと笑みを浮かべて強く頷き引き戻した手を迷いなく握り締める。
そして二人の下に訪れたお邪魔虫な赤色の兎を見てルルは苦笑しながらこう言った。
「ふふ、大丈夫。私は後悔なんて絶対しないです。だって……今の私にはノルンや、強い味方が居るから。さあ一緒に行きましょう英霊・ダット・ハーロット!」
◇
一組の男女を乗せた英霊は今にも泣き出しそうな曇り空の下を走り、山道を猛スピードで駆け抜け抜けていく。一度走った道であるのも関係しているのか道なき道を抜け、崖を飛び越え枯れた木々はまるで飛ぶように風と共に消えて行き、見慣れた大地の景色は数分前に置き去りにされ今は遠い後ろで軒を連ねるがそれでも速度が弱まる事は無い。
ノルンはそんな未知の光景に驚きつつ英霊の背にしがみ付きルルに問いかけた。
「ルル……。君はいつの間に英霊を操れるようになったんだぃ?」
「操ってなんてないです。ノアさんが波長が合うからと私の言う事を聞けるようにしておいてくれたの。勝手に借りるのはいけない事だと知っているけど、それでも私はノルンの力になりたかったから」
ルルはそう言いながらノルンに微笑を浮かべた。
その全てを包み込むようなルルの表情を見てノルンは笑みを浮かべこう言った。
「そうか、なら後で一緒にノアさんに謝らないとな」
「……はいっ!」とその言葉に笑顔で同意するルル。
そんな二人に呼応するように英霊もまた喉を鳴らし一つの思いと共に道を駆けていく。
それはこの水の覇権による戦乱を止める事に他ならず、そしてその為にはノルン自ら父ガブグレスに意思を伝え争いを終焉させるのが正しいと判断したのだ。
無論それがノルンにとって微かな願いでもあり仮に自分の父が黒幕であるとするならば例え刺し違えても間違いを糺さねば成らない。そうノルンは考えていた。
(それにあの二人なら必ずこの『水の枯渇の原因』をみつけてくれるはずだ……。ならば今、僕が出来る最善の策を投じるまで!)
少なくともクロームが約束を違える事はしないのをこの数日の出逢いで知った。
それ故にもはや水での両者間の争いは起こらないとはっきりとノルンは理解していた。だからこそ今の街の現状を、そしてもう一つの隠された真実をノルンは自らの目で確かめずにはいられなかったのだ。
傾く日は段々と押し寄せる闇を作り出し、それに逆らうように急ぎ英霊は道を駆けていくと街の方角から走ってくる多くの街の人々がノルンの目に入った。
「あれは……ノっ、ノルン様! みんな~。ノルン様が生きておられたぞ!!」
街の人々と共に顔見知りの老婆カロンもその姿を見つけると急いで走ってきた。
そして皆何かを怯えるような表情をしながらまるで追いすがるかのように英霊から降りたノルンに今の現状を伝えた。それによると街にいた雇われ兵隊が皆、夜を境に奇妙な姿に変わり暴れだしたというのだ。長のガブグレスにこの状況を取り合おうとしても魔導士が邪魔をし近づく事も出来ず。さらに時間を追うごとに自体は悪くなっていき、協力しない住人を街から力を持って追い出す狂策を投じ、その多くは身の危険を感じ命からがら街を捨てて近隣の村々に非難する為に向かっていたと言うのだ。
「そうか……みんな。僕が留守の間苦労ばかりかけてすまなかった」
「いえこちらも色々と手を尽くし状況を打破しようとしたのですが、証人である人物は消されておりすでに手遅れでした。ですがノルン様さえ居れば街はいつでも再建できますとも。それよりも急いで離れて安全な場所に避難してください。あのイカレタ魔導士が来る前に、早っ――!」
商人やカロンがそう言葉を終える刹那。突如、上空から滑空するように赤い色を纏った剣を持つ意思無き影が音も無く人々の前に降り立った。
「――くっ! きっ、来たあああッッーーー!!!」
その不気味な姿を見て声を上げて逃げ出す街の人々や商人を見るや、ノルンは悠然と向かって来る影に立ちふさがり腰に差していたサーベルを抜くと声を荒げた。
「こいつは――。奴が扱う従者か!」
ノルンはすぐさまサーベルを構えると逃げ惑う同胞を追う従者を即座に切り捨てる。
従者は体を切られた途端、一枚の紙切れに変わり身動きを取らなくなった。
だがそれに安堵する間も無くさらに上空から無数の従者が地面に降り立ちわらわらと迫ってきた。それを見たノルンは後ろを振り向き声を上げた。
「このままでは危険だ。いいか皆! この先にリング・エルドと言う村がある。そこに居る二人の召喚技士や村人達にお前達の知る全てを伝えるんだ。負傷者を最優先。退路は僕達が切り開く! さあ、早く行けぇええええ!!」
「ノルン様……。はいっ、わかりましたッ!!」
ノルンの怒鳴るような言葉と共に関を切ったように走り出すカロンや多くの街の人々。それを追うように影の従者も動き出すがノルンの行動の方が早く、即座に動きを阻まれ多くの紙切れと姿を変えた。だがそんな従者も考えがない訳ではなかった。
ノルンが必死に目の前の従者の攻撃をサーベルで防いでいると、挟み撃ちにしようと剣を構えた別の従者が音も立てず近づいていったのだ。
【っ、させない! ダットハーロット。あなたの力で皆を守ってッ!!】
しかしルルがそう叫ぶや否や、英霊が巨体を持ち上げ大地を大きな前足で衝撃を与え、地面を隆起させ従者達の行動を制止、排除させた。
「ありがとうルル。助かったよ」
「ええ、後ろは任せて。急いであの人たちを逃がしましょう」
頷く二人の孤独な戦いは街の人々が彼らの視界から消えるまで続けられた。
迫りくる従者を相手に一歩も引かず立ち向かうもその緊張感と疲労は桁違いであり、周りから従者が全て紙に姿を変えたとき。二人は息をするのも辛い状態であった。
「これで……はぁはぁ。街の人々は逃げられたな」
「ええ、ふぅ……。でも、これで大丈夫な筈です」
ようやく休めると言った表情で地面に腰を下ろし安堵の表情を浮かべる二人。
だが刹那。酷く乾いた音が二人の耳に鳴り響いてきた。
(この音は……拍手? まさか!!)
ノルンは身を屈め前方の空を見渡す。すると空間に漂いながらまるで悪魔の如く黒いローブを靡かせ数名の意思の無い兵士達と共にその人物は近づいてきた。
『ははは。これは実に素晴らしいものだ。たかが人間の身でありながら従者を相手にするとはね……。それにその見慣れぬ英霊。一体何処から手に入れたのか教えて貰いたいものですね。ノルン様』
「お前は……魔導士イオニス!!」
ノルンはそう叫びながら立ち上がり肩で息をしながらサーベルを持ち、ルルもまた英霊と共にすぐに戦えるようにと臨戦態勢をとる。
『随分と早いご帰還で。何をしてるかと思えば村人の女性と戯れていたとは……くくく』
「貴様ぁ! この状態でよくも僕に抜けぬけと戯言をほざけるな!!」
ノルンは小バカにする声に息を荒げ威嚇した。
するとイオニスは地面に降り立ち両手を肩付近に水平に上げて苦笑を浮かべる。
『おやおや、何を怒っていられるのか。私はあなたの父親の意思に従っていたまで。それをいかにも私一人のせいにされては心苦しいですな』
「ほざけ! なら同胞を傷付けたのも父の命令だとでも言うのか! 貴様の口から出たそのような言葉、信じられるものか! そこをどけぇええええ!!!」
ノルンはサーベルを構えイオニスを睨みつけるや走り出した。
するとイオニスは掌をノルンに向けてこう言った。
【ふっ、ならば今すぐに真意を確かめて見ればいい。自らの眼を持ってしてな。さあしばしの眠りを与えてやろう。承霊・ダークルフェイン!】
刹那、詠唱も無くイオニスの手から強大な黒い光が迸った。
ノルンは即座に構え光を弾こうとするが、黒い光は稲妻となり持っていた金属のサーベルを伝ってノルンの体を激痛と共に貫く。
「がっ……があああああああッッッ!!!!」
【ノルン――!! 英霊よッ!!】
ルルもノルンの悲鳴を聞くや否や、すぐさま英霊の力を借りようとする。
【闇の承霊・ディスブレイカル。亡者を縛る戒めの棘にて死より深き場で眠りに付け】
が、それよりも早くイオニスが指を鳴らした途端。ルルの周りには空間から現れた無数の黒い棘が現れ、それが一斉に降り注がれた。思わず身を屈め悲鳴を上げるルル。
「えっ、きゃぁあああッーーーー!!!」
言葉と同時に何かに突き刺さるように鋭い音が木霊する。イオニスは表情の無い顔で目の前の惨撃を見ていた。だが予想とは裏腹に二人を守るように英霊が恐るべき攻撃から身を挺して守り。黒い棘は英霊の柔らかな巨体に痛々しくも突き刺さっていた。
『ほう、さすがは英霊。ひとたび戦に身を齎せばどれもが一騎当千。とは言え『技士』が居ない以上、そこまでが限界か。では遊びは終わりとしよう――』
イオニスはそう呟くと再び自らの手を前掲げ、二人を守った英霊に向けてさらに強力な黒い雷を引き起こし放った。
「やっ……。やめてぇぇええええッッーーー!!」
それを見て声を荒げて叫ぶルル。
瞬間。ルルの意識は強力な激痛と共に奪われ、なすすべも無く地面に倒れた。
そして最後に見た光景は二人を守ったまま目の前から消える兎の英霊の姿であった。




