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――この大陸があらゆる水の息吹、すなわち世界に満ちるマナを操る水竜ウェルクルトが存在し生き物がその恩恵を受けていた遥かな昔の話です。世界に終わりが訪れた時。同じように水竜もまた姿を消してしまい生き物は生きるすべを失いました。ですが水竜は自らの息吹をこの大地に残していった事に女神の使者によって気付かされた人々は恩恵に預かり生きていく事が出来るようになったのです。それ故にこの地に住まう者。ひいては私達リング・エルドの民はそれを『水竜の加護』と呼ぶようになったのです。しかし女神の使者は同時にこのような言葉も人々に伝えるように言ったそうです――
『水竜の恩恵は生き物の心と共に変化する。自然を忘れ至らぬ輪の流れが生まれた時、全ての恩恵は目覚めぬ眠りに付く』と。
語る長老の言葉は場にしばしの静寂を生んだ。無論それを聞いたクロームも驚きながらも二人の言葉に割って入らないように沈黙を保っていた。
(……おいおい、なんの冗談だよ『使者』って事は今回の騒動はおとぎ話を元に起きているって事なのか? 世界規模が大きくなりすぎだっての! なんなんだよこの話は?)
だがクロームがあまりにも苦渋の表情をしていたのだろう。ノルンもまたあまりの突拍子の無い話に唖然としながらもこう切り替えした。
「話は……だいたい分かりました。つまり。あなた方リング・エルドはこの状況が起きる事を知っていたと言う事になるのですか。確かに伝えられた言葉に『自然を忘れ』という部分が僕達アクア・ラッシュを示すならば弁解の余地は無いかもしれない。だが、それもまた憶測に過ぎず、問題ははっきりと示されています。『至らぬ輪の流れが生まれた時』
これが今回の水の枯渇を統べる鍵であるとするならば、我々が水を求め争う事はそもそもおかしいのではないか? もう少し双方が手を取り合いこの問題の解決に力を注ぐべきではないだろうか! そう言い残し私の意見は終わりとさせていただきます」
ノルンの言葉と意思は会場の中にはっきりと響き渡った。
そしてそれが誰しも正論である事は分かっていた。
暖炉にくべていた木炭がパチリと音を経て、しばしの沈黙が再び会場を支配する。
すると今まで発言しなかったダルスが立ち上がりノルンを見て重い口を開いた。
「ちょっと良いか、俺もこの機会だから聞きたいことがある」
「何を言っておるダルス……。話を聞いておらんかったのか?」
「んな訳あるかよ。でも悪いな親父。俺には俺の意思ってもんがあるんだ。だから今だけは任せてくれ」
ダルスはそう言うとそれを止めようとした長老を黙らせノルンを睨むように見ながら、何処か苛立ったように言葉を続ける。
「……あんたの言い分は分かった。だったらこちらからも言わせても貰うが今この村は危機的状態にある。作物は育たず井戸水は枯れ、このままいけば来年は飢えや死者が出るのはほぼ確実だ。だが村を捨てる事を出来ない俺達にとってそれを防ぐには多くの水の確保が必要不可欠なんだ! この場には居ないがルルの話によればあんたが解決策を投じてくれると聞いていた。だから聞きたい。お前はこの危機的状況をどうするつもりだ! 時間は残されていないんだぞ! それでも俺達の命をお前や街に預けろと、そう言うのならはっきりとこの場で断言してくれ……誰も、犠牲にはしないと!」
「ルルがそんな事を? しかしそれは――」
ダルスの言葉は真に迫っていた。感情を押し殺しながら話していてもその現状と気迫は村の存続を表す言葉と同意であり、ノルンの胸に深く突き刺さった。
何とか出来る保障などどこにも無いかもしれない。それでもこの会合で見つけた一筋の希望。それを絶やす事も出来ない。一点に集中される村人の視線。それらはどれも期待の二文字を背負っており、ノルンは今、決断を迫られていた。
痛いほどの長い沈黙の中、ノルンはクロームを見た。するとクロームは同じように強い眼差しを向け、無言のまま自分の親指を自分の胸に突きつけていた。
【善悪は関係ない。本当に大切な答えは自分の中にある】
(確かに……そうだよな!)
ノルンはその行動を見て、あの時の言葉を思い出し、迷いは断ち切られた。
そして強くクロームに頷くと村人を見てはっきりと言葉を発した。
「いや――約束しよう。僕は誰も犠牲にしないと。だからこそしばしの時間を下さい。僕が必死に街の人々と父を絶対に説得し伝えます。この村の人々は誰も争いなんて望んではいない事を。共に手を取り共存する事が出来る事を。だから今こそ共に原因を打破する為にあなた達の少ない時間を僕にください…………どうか、お願いします!!」
そして席を立ち上がりゆっくりと村人の前で頭を下げた。
これには村人とダルスはノルンの意思ある発言と行動に一斉に言葉を失った。
この状況は全くと言うほど予想していなかったのだ。争いの火種を作り上げたのは間違いなくアクア・ラッシュである事は今まで幾度と面談を試みても会えない対応を見ても明らかであった。だがこの数日のうちに事態は変わりついには代表者たる長の息子がこの村を訪ねてくるほどになっていた。その為良い機会と考え事の真偽を謀ろうとしたのだが、最後には先ほどの無理難題な発言までをも受け入れるというではないか。
それを信じるべきか否か。ダルスは頭を悩ましていた。
そしてようやくその発言に長老とダルスが自らの意思を告げようとした時だった。
突然、沈黙を破るように屋根にある小さな窓を小刻みに叩く音が聞こえ出したのだ。
「……失礼、どうやら街からの連絡らしい。とは言えこれ事態珍しいのだがな」
ダルスはそう言ってノルンに頭をあげさせた後、天窓を開けその鳥を捕まえ足にくくり付けていた手紙を見た。そして深いため息の後、首を横に振り再び席に戻っていく。
(これは緊急連絡! それにこの内容は……!!)
その表情は蒼白しており、何かが起こったのは部外者である二人にも分かった。再び起こる重い沈黙。ダルスは少し目を伏せた後、先ほどの問いに答えるように呟いた。
「…………確かに。お前さんの言い分は正しい。あんたが街の大将ならば俺達は喜んで今の話を飲み、賛同させて貰ったかも知れない。だがこれを読んで欲しい。そして間違いだというのであれば是非、訂正してくれないか……」
その後、ノルンに向かって先ほど届いた小さな手紙を渡すダルス。
するとそれを見たノルンは自分の目を疑うように驚愕した。
「そ、そんな……バカなッ!! これは、何かの間違いだッ!!!」
ノルンはそれを机の上に投げつけ、信じられないといった表情で頭を抱える。
クロームはノルンの豹変振りに急いで投げられた手紙を手に取り読んだ。
するとそこには、旅人にそそのかされてノルンがリング・エルドに連れ去られた事。
それを理由にアクア・ラッシュから兵団が向かっている事。そしてその兵団第一陣が夕刻までに村に辿り着く事が克明に書かれていた。
「ふざけんなッ! なんなんだよこれは……ノルンが俺の手によってさらわれただって? しかもその黒幕がリング・エルドなんて、んなわけあるかぁあああッ!!!」
クロームは激怒し手紙を破り捨てた。そこにはありえない事が刻明に描かれていたのだ。
ノルンは一人悔しそうに拳を握り締め、クロームはすぐさまダルスに掴みかかった。
「おい! どうなってる。なんでノルンがさらわれた事になってんだよ! 俺達は自分の意思でここまできたんだぞ。ノルンだって……争いを止める為にッ! なのに!!」
「………ぐッ」
ダルスはそのクロームの行動に全てを理解した。これが全て謀られていたと言う事を。
そしてその為に利用された青年と子供が居た事を。それでもはっきりと今の状況を二人に伝えるしかなかった。これから起こる事を。そしてそれが間近に迫っている事を。
ダルスは掴みかかったクロームを力任せに殴り飛ばすと、歯軋りと苦悶の表情を浮かべとても悔しそうにこう言った。
「ああ、そうだ!!! だが現実はこれが全てなんだ! ノルンの親父さんは俺達おろか自らの子までも見捨て、街の人々を守る決断を取ったんだよ。そしてお前達はそれにまんまと利用されたんだ!」
「なっ、そんな……バカな話ってあるかよ! ふざけんな!!」
クロームは口に溜まった血を吐き捨てるとすぐに立ち上がり虚ろな表情のノルンに詰め寄り声を荒げた。
「おいノルン。これはどういう事だよ、俺達は……争いを止めに来たんだよな、なあ?」
だがクロームに語りかけられてもノルンの視点は定まらず、どこか虚ろいだ表情のままこう言葉を返してきた。
「ああ……それに付いては間違いない。だがこの状況を見る限り僕達の行動、そしてそれらの意思すらも、全ては誰かの計画通りに踊っていたに過ぎないと言う事だッッ!!」
そして途端にノルンは叫びながら拳を壁に打ち付けた。その表情は悔しさと憤りを隠せない様子で何度も何度も村人が唖然としている中繰り返された。
「どうして! 何でこうしなければならないんだ!! 血を流す争いなんて誰も望んじゃいないじゃないか……なのに、なんでそれを分かろうとしないんだ!! 誰が引き金だ! 魔導士イオニスか! 父、ガブグレスかぁああああッ!!!」
ノルンは頬に雫の道を作り自らの血で赤くなった拳で再度壁を殴り続けた。
その行動を誰も咎める事は出来ずついには泣き崩れて地面に膝を付く。
訪れた暫しの沈黙。するとそれを止めるようにダルスはノルンにこう語りだした。
「……確かに、お前の親父・ガブグレスはある意味正しい事だろうさ。大を生かす為に小を切る。ごく自然で当たり前の事だ。だがな、それでも俺達は生きているんだ! 虫けらのように扱われても、奴らにとって必要ない存在であっても、生きてこの地に生を受け自然と共にこれからこのリング・エルドで生き続けるんだ!! そしてその為に水の覇権を我等から奪い去り、争うと言うのならば我等はこれを拒まなければならないんだ!」
「ま、待つのだダルス! まだ争うと決まったわけではあるまい……」
長老はダルスを止めようとした、だがダルスはすぐにその腕を振り払いこう言い切った。
「無駄だ……。いくら俺達がそこにいるノルンを連れて無実を証明しようとも、芽吹いた疑惑と争いの火種は簡単に消える事は無い。これを理由にどのみち近い未来、争いになるのは避けられないんだ! 悔しいぜ……。こんな選択しか選べない俺自身がな!!」
その表情は苦虫を潰したかのように苦渋に包まれており、他の村人はダルスの今までに無い様子にかける言葉を失った。そしてその沈黙破るようにダルスはこう叫んだ。
「交渉は……決裂だ。奴らアクア・ラッシュが好戦的に宣誓布告を突きつけてきやがった。若い者を集めろ、これよりリング・エルドとアクア・ラッシュは敵対関係となった。数時間後、やつ等は風の大地から兵団によって攻め入ると考えられる。若い衆は俺と共に奴等を迎え撃つぞ。女子供、老人はいつでも逃げられる準備をして家の中にいるように通達をしてくれ。これ以上奴らの思い通りに事を進めさせてたまるかよ! 奴らにリング・エルドの底力を見せ付けてやるぞ!!」
するとダルスの決断に動揺はしたが、長老以外の他の村人はまるで来る日が来たか。と言った表情のまま無言で頷き、ダルスはそれを先導するかのようにその場から出て行く。
「待てよダルス! 早まんな!!」
クロームは追いつこうと手を伸ばすが、その手ごと簡単に弾き飛ばされ体ごと地面へと転がった。ダルスはそんなクロームとノルンを見て再び振り向きこう告げた。
「へっ、もっと早くにお前達と会いたかったぜ。そうすりゃ別の道もあったのにな……」
「待てよ。待ってっての! ダルーーースゥゥッ!!!」
クロームの叫びが響く中、どこか寂しそうにその場を立ち去り、残された二人は外から鍵をかけられ会場に閉じ込められる事になるのであった。
そして……それから数時間後。ダルスはできる限りの武装をして村人と共に、アクア・ラッシュの兵団を迎え撃つ事となった。




