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「――事の始まりは昨日の夜なんだけどね。ノルン様は知り合った旅人の坊主にそそのかされてこの街を出て行ったと言うんだ。それも偶然街人が取っていた映承石に写っていたって話でさ。長の屋敷で働く執事がその絵を公開して回っていたのが朝早くの事さね」
カロンはそう言いながら多少ぼやけた絵を二人に見せる。
するとそこには男性と思われる二人の姿と、見た事の無い黒髪の青年が乗っていた。
(ん……これって、あの馬鹿に見える。でも、蒼いコートは着てないし……)
ノアはその姿を見てどこと無く探している人物と雰囲気が似ている感じがしたが、見た目が悪く確証が無い為に言葉にせずそのままカロンの言葉を聴く事にした。
「これは、確かにノルンさんの姿! では、この人が彼を連れて?」
「長はそう言ってるね。だけど正直腑に落ちないのさ。この露天の人々はみんな知っているけどね。その旅人の坊主・クロって言うんだけどさ。気の良い奴でとてもそんな大それた事をする奴じゃないのは昨日の魔導士イオニスとの対話でよく知っているのさ。なのに私達がそれを言っても全く信用してくれなくてさ。証人として魔導士に店を壊された店主を連れて行こうとしたらそいつは昨日の内に店を畳んでこの街からドロン。お陰で事態を知らない大半の街の連中はそいつを犯人だと信じちまってね。ノルン様を取り返そうと兵団を雇って夕刻までにリング・エルドに攻め入るつもりなんだとさ」
「そんな……。それは嘘です! ダルスさん達も昨日の夜には村に帰ってきていましたしそれにそんな見ず知らずの旅人と面識なんてあるはずが!」
ルルは興奮しながら全てを否定しようと声を荒げる。
だがカロンはその言葉を聴いてもなお、首を横に振るだけであった。
「それが……あるらしいのさね。この街の人々がクロと話しているのを何人か見かけていてね。しかも手紙を受け取ったって話なのさ。はっきり言えば見ず知らずの旅人に顔も知らない村人が手紙を渡すなんて考えられないからね。お陰でこちらの言い分は全て言いくるめられているって訳さ。正直……これから何が起こるかはわからない。だけどね、どう考えてもこれは異様としか言えないんだよ」
(ん、なるほど。村人との対話による誘拐の動機に映像と言う証拠と気味悪いほど揃い過ぎている。これなら確かに在り得ないと完全には否定できないか……)
ノアは二人のやり取りに表情も変えず静かに聞き入る。
「一応この事はリング・エルドに伝書鳩で伝えた。だからルルは急いで戻りこの状況を村人に再度知らせてちょうだいな。あたし達は限界まで街の人々の説得を繰り返し、それと同時に消えた店主を探してみるとする。そいつが居れば今回の争いの元は根こそぎ壊せるからね。無論……生きていてさえくれればの話だけどさ」
「……わ、わかりました。それでは私達はこれから急いで村に戻ります。カロンおば様もどうか。気をつけてください!」
「ああ、やばいと思ったらあたし達も逃げるとするよ。それじゃあまた後でねルル。それと横に居る蒼髪のお嬢ちゃん。なんでここに来たかは知らないけれど、悪い意味じゃなかったらその、クロにあったらよろしく言っといてちょうだいな」
「……ん」
カロンはノアの着ていた赤紫のトレンチコートを見てそう言い残すと店に戻った後、周りの店主と話しながらどこかに向かって行き、残されたノアは少しだけ嫌そうな表情を浮かべつつ短く返答すると身を翻しすぐさまその場から歩き出した。
「ノアさん。今の言葉の意味って?」
「さぁ? ともかくルルは急いで村に戻る。話を伝えるのが何より先」
「はい。そう、ですね。急いで戻らないと……」
ノアの後を追いながらもそう呟くルルは表情を曇らしていた。
――もし、この街にいる雇われた兵団が村にたどり着き襲い掛かった来た場合『水の覇権を得る』と言う名目と『長の子供の救う』と言う偽善染みた名文により破壊の衝動にて壊滅に追いやられるのは間違いないだろう。若者のあまり居ない小さな村が反撃に出る間も無く一方的に夜盗に破壊され火を巻かれ、次の日には地図から消えてしまう。
一昔の混沌の時代には良くある話ではあったが、静かに暮らしてきたルルには到底理解できない世界であった――
だが多くの大陸を見てきたノアにはそれが間違いなく起こりえる事を知っていた。
そしてルルもまたこの異様な街の現状を見ているうちに少しずつあってはならない現実が迫っているのを肌で知り肩を震わす。それは――紛れも無い恐怖。
必ず起こりえる可能性と現実の畏怖への重さに他ならなかった。
「でも……。どうして、誰が、こんな事を……」
ルルはそれ以外何も言えなかった。否、言う事が出来なかったのだ。
辺りで響く鎧のすれる音。刃を研ぐ音、火薬の匂い。それは本来生きていくうえで必要の無い音に近かった。他人の笑い声すら不気味に感じ、歩く音すら嫌悪感を抱く。
皆、ここに居る人間が敵に回るのかと考えるだけでルルの目からは自然と涙が零れた。
ノアはそんなルルの姿を見ながらも声を荒げる。
「ルル! 今多くの話で混乱しているのは分かる。でもあなたは伝える義務がある。伝書鳩が届いてない場合。事態の深刻さを伝えられるのは村人の貴方だけ!」
「ぅぅ……それは、分かっています。でも、今からじゃ……」
到底間に合わない。それはルルが一番よく知っている事であった。ここまで来る道のりを考えると半日以上はかかってしまう。そして兵団の一部はすでに夕刻までにたどり着く様に行動を開始していたのを考えれば、どう考えてもルルが彼らと同じように危険なルートを使用して馬を走らせたとしても遅れが生じてしまうからだ。
それは言うなれば村の壊滅を意味おり、だからこそルルはがむしゃらに街を飛び出し走っていく。間に合わないと知りながらも、微かな奇跡を信じるかのように。
「そう……。なら、間に合わせればいい。それだけ!」
「ノア、さん。一体何を言って――ッ?」
だがノアは一人そう言い切ると街から出るや少し離れた場所で周りに人が居ないのを確認して、戸惑いの表情を浮かべたルルの前で手馴れたように腰のフォルダーに収めていた古ぼけた書を取り出した。そして巻かれた赤い紐を解き意思あるが如く自然に腕に巻きつくと指にはめていた指輪の宝石を手の平に方に向け、口付けをしてから開いた書に手を翳し強い眼差しと共に透き通るような声で静かにこの言葉を唱えだした。
【――古き忘却の時代よりその身を遂げし幾千の魂よ。汝、紅き盟約と主の呼び声に従い畏怖の世界より意で参れ――】
その瞬間、ノアの身に付けていた指輪が強く輝きだし、開かれた書の文字を撫ぜるとその文字が光を帯びて空間に浮き出し、ノアの周りを回りながら指輪に吸い込まれていく。
するとノアは光る指輪を使って言葉と共に目の前の空間に赤い陣を解き放った。
【――今こそ顕れ意でよッ! 猛逃の英霊星獣ダット・ハーロット!!】
途端に手の平から広がる陣の中心から呼応するように一匹の獣が飛び出し二人の前に姿を現した。それは一角と長い四つの耳巨大な前足を持った愛らしい赤色の兎だった。
「ノアさん……。これってッ!」
「一応召喚技士の規約に幾つかの禁止項目がある。その一つが一般人に決して英霊獣に関わらせてはならない事。未知の力は人を堕落すると伝えられているから。ん。だけど……今はそんな悠長な事を言っている暇が無いもの」
「では、禁止項目を無視してまで、私を助けてくれるんですか?」
「別に……私も気になる事もあるから」
そう淡々と答えノアは背に飛び乗り、涙を拭くルルの手を引き英霊の耳に?まらせた。それでもルルにはノアの不器用な優しさが伝わり、表情を少し和らげた。
「ん……それじゃあお願い」
ノアがそう呟くと同時に兎の星獣はクルルルと声を鳴らし、突然信じられないスピードで大地を駆け出した。それは人よりも馬よりも早く、まるで地を駆ける獣の如く山道を走り抜けていきルルは目の前に広がる光景に声を震わした。
「ノアさんこれが『召喚技士』の力なんですね。凄いです。これなら多分間に合います」
「ん、間に合わせる……。だからしっかりと?まってて!」
ノアは意思を伝えるように自らの身に着けた指輪に語りかけた。
するとさらに星獣は速度を増し、人のあまり通らない道を選び木々をすり抜けるように走り出していく。だが喜ぶルルとは違いノアは状況の悪さを否応無しに理解していた。
本来ならばノア一人だけであれば違う英霊を呼んで空を飛んで行ったほうが早いのを知っている。しかし今の状態ではルルが居る為に地上から兵団に見つかり銃や弓矢で狙撃された場合、避けようが無いのである。その為に時間はかかるにせよ兵団と同じ地上を走る道をノアは選ぶしなかったのだ。
(話に聞く魔導士。多分旧王都眷族の連中か。奴らが関わっているとするなら最悪。これは単に水の利権争いじゃない事になる……けど、それより老婆のセリフ、気になるな)
ノアは英霊の背に揺られながら東の空を見た。赤茶けた太陽が次第に山の間に沈んでいき、夕暮れとなるのは後小一時間と残されていない。兵団に追いつけるのが先か、彼らが村にたどり着くのが先か……。それとも別の良からぬ結果が待っているのか。
その事を考えながらノアと英霊は崖を飛び越え先に急ぐのであった。




