17
ウツシヨの峰高で最初に感じたものは匂いだった。
人が焼き焦げ付く匂い。
熱量を持った悪臭が体の中に侵入してくる。両手で口を抑えて吐き気をこらえる。
ひと目見る限りそこは戦場だった。
目を凝らして見てここが峰高だったことが初めて理解できる。
ただ、俺はこれを峰高だと呼べやしない。
体育館があるべき場所は瓦礫があり、校舎の中からは悲鳴と銃声が轟いている。
校庭は肉片と銃火器で彩られている。
何メートルも腸が飛び出している死体から、肉から骨が飛び出している死体。真っ黒に焦げ付き、ヒトだったと思うしか無いものまで、戦場で見かけることのできる死体ならばおおよそひと通り揃っているはずだ。
散らばっている武器も近代兵器の物ばかりだ。伸縮自在の刀だったり、青い炎だったり、そういった化神的な要素は一切見当たらない。
「どういうことだよ!?」
俺は幸の顔を見るために後ろを振り向く。
一瞬でも目を話してしまうとここに散らばる肉片と同じように物質になっしてまうような気がしてしまう。
「わかんないよ!」
幸は泣きそうになりながら答える。
そこでようやく、幸だって辛いと言う普段ならば当然わかっているはずの事実を認識した。
学校が荒れ果てた姿に成っている以上。ここで何かあったのは間違いないが、俺が想定していた儀式殺人とは規模が段違いだ。自然公園の時とは何もかもが違う。儀式戦争とでも呼ぶべき光景だ。
どうしてこのような状況になってしまったのか、手がかりは何一つ無いが、未だに発砲音が校舎内から聞こえる。
そこに答えがあるはずだ。
俺は一歩あるきだ………右足が不自然に重い。
爆死した死体の手が足に絡みついていた。
シャウトで強引に引き剥がそうとするが、がっしりとしがみついた手は引き剥がせない。絡みついてきたのが手だけなので、無視して先に進むのもありか? こんな些細なことを気にしてる暇なんて無い
「危ない!」
幸は薙刀を取り出し、俺の背後を貫く。
振り向くと俺を掴んでいた手の残りが左手で殴りかかろうとしていた。顔は判別できないほど焦げており、人ではなく、人型の何かだった。体のあちこちがコケに侵食されている。腹からは緑色の血を垂れ流している。
死体は刺されたことなど気にもとめず、俺への攻撃をし続けている。
その動きは人間の動きではない。人形劇の人形のような奇妙さがあった。
俺はシャウトで死体の腕をつかみ投げ飛ばす。
死体はバラバラにはじけ飛ぶが、そのパーツ一つ一つが、生きものであるかのように呻いている。
呻きは他の死体も呼応して、ビクビクと動き始める。
ゾンビと表現できるのならばまだまともだ。四肢と頭があるってことになる。
大半の死体は体のパーツが欠損していた。腕が欠けていたり、腕だけで動いていたり、腸が蛇のように蛇行していたり。
「早くいこ」
幸が俺の手を取る。迷いはすでに断ち切ったみたいだ。。
「あぁ…」
俺達は行く先の邪魔をするゾンビどもを蹴散らしながら進んでいく。幸の薙刀捌きは洗練された正確な動作をしている。
それに引き換え俺には躊躇があった。
日常の焼き焦げる醜悪な匂いがある。血の通わない肉の感触がある。
つまりは現実があった。
俺はそれらを空想だと自分を偽る必要があった。
これはゲームであり、アニメであり、映画でありフィクションだと。
自分はネットゲームのキャラのシャウトだ、武闘家だ、バーサーカーだ、感覚はヴァーチャル・リアリティだ。
ゲームのキャラのモーションを忠実に際限することによって、俺はどうにか動くことができる。
それでも生きていけるのはシャウトが戦闘特化しているおかげだ。
「このゾンビは死んだ人を強引に動かしてるんだよ」
幸は常識でも語るみたいにあっさりと語る。
俺が頭のなかで考えないようにしていたことだというのに。
「もう彼らは助けられない」
「解ってる。解ってるはずなんだ」
ゾンビがまた俺に襲いかかる。会話していたせいか一瞬だけ反応が遅れる。すでに何が起こるのかを理解していたかのように薙刀を使いこなし幸はゾンビを屠る。
正面玄関に踏み込む。
空を飛んでいく方法もあるが、何があるかわからないので、魔力は温存しておきたいのでやめておいた。
校舎の中は想像していたよりは綺麗だった。もっとも、整理整頓された美しさなんて物は無い。
死体がそこには無くて、死を連想させる多量の出血があるだけなら、十二分に綺麗だ。
だってそうだろ?
校庭が戦場である以上。ここだって戦場と思うべきだ。そんな場所でゾンビがいないのなら美しいと表現できる。
血しぶきはいたるところにあり、道標としては役に立たない。
鳴り止まない銃声音を頼りに俺と幸は走っていく。
「助けてくれ!」
二階の踊り場で男の叫び声が聞こえ俺と幸は足を止める。
生きている人間がそこには居た。
それと同時にある意味では死んでいる。
他のゾンビと同じように緑色のコケみたいなもので体が蝕まれており、銃を向けながらおろおろとこちらに向かって歩いてくる。
その点が正真正銘のゾンビだ。
男がこちらに向かってアサルトライフルで銃撃をしかけてくる。
動体視力を強化したシャウトで弾丸を掴み投げ捨てる。
シャウトの指が緑に汚染されている。皮膚が溶けていくような痛みがある。
「俺が撃ちたくて撃っているわけじゃねえ」
あのコケが死体どころか生きている人間まで操作しているのだろう。操作どころか、能力の向上までしているはずだ。
そうでなければ俺達の姿を認識できないはずだ。
マガジンを取り替える動作が素人ではない。まるで映画のワンシーンみたいに颯爽と銃を構えなおした。
俺はどう動いていいか解らなかった。
シャウトに攻撃する体制をとらせてはいるが、それは攻撃をするためではなく、日常的な癖としてシャウトがそのような体制をとっているだけだ。
来る。
銃弾ぐらいの速度なら何度だって受け止めてやる。
しかし、緑のコケには触れたくない。痛みがある以上に操作されかねない。
身構えていたが、次の銃撃が来ることは無かった。
幸は男の両手を予断なく切り捨てていた。
体を透過させて教室から回りこんで切り込んでいたんだ。
男の断末魔は聞こえない。声の代わりに緑色になった血液を吐いた。
「教えて、この学校どうしてこうなったの」
幸は薙刀を突き刺して男の体を壁に固定する。
「お、おい、幸やめろよ!」
「先に撃ってきたのはあっちだよ」
「だからといってやり過ぎだ! 銃だけ切ればよかっただろ。攻撃は受け止めきれていたんだ」
「シャウトの手のひらを見せてよ」
見せることができなかった。
「ほら、やっぱり」
幸の左手の指輪が光る。シャウトの手のひらが青く燃え上がり、コケが灰に帰る。
「私達が見えてるのに驚かなかった。 霊能者だって表情ぐらい変化するんだよ。たぶんあの人はコケによってこの場で怨霊にされたんだよ。
あのコケは魂や肉体を操る能力の一部。
私には殺してあげる事ぐらいしか出来ないよ」
男は口を動かすが、言葉として認識できない。口からまた緑色の血液を吐く。
男の胸が二つに切り裂かれ、そこから緑色のコケが塊になって、幸を貫こうとするが、
幸はそれを俺のいる方へ飛んで避けると、薙刀でメッタ斬りにした。
男は完全な肉片で、ゾンビとしても動きそうに無い。
「正樹くん大丈夫。また緑の色のついてないよね」
そう語る幸の体にはべったりと緑色の血液がついていた。
「私、平気だよ」
イノセントブルーの炎で緑の血液が燃えていく。
「大丈夫。私が正樹くんを守るから」
幸は笑顔で答える。
俺はなんと答えるべきか解らなかった。