07話
その日は、俺が初めてこの世界で目を覚ました時と同じく、窓を叩く豪雨の音がとても耳障りだった。
がたんごとんという、懐かしい揺れを聞きながら、向かいの席に座っているアーシェと、その隣に座るレフィン・ヴルムという少女の方へ視線を向けた。
緑がかった、大変目によろしい長い髪。その言葉遣いと同様に、凛々しいとは正反対の、男の目から言わせて貰えば可愛いという類の容姿。
空き部屋を捜している所を、アーシェが車内販売の菓子パンを買って帰ってくる途中、偶然見つけたらしい。
もう既に空いている席は殆ど無かったので、非常に助かったとアーシェに礼を言っていた。
「じゃあ、レフィンちゃんもエイリアツの新入生なんだね」
「そういうことになりますね」
「えへへ、同級生だねー」
「はい、宜しくお願いしますっ」
そう言いながら笑顔を向け合う二人の姿は、もうすっかり打ち解け友人といった様子だった。
現在、俺たちはメイレンから汽車に乗り、西にあるグレイソルという町を目指している。
学都、商都、貴族の町、冒険者の町等々、様々な呼び名があるらしく、大陸内で最も賑わいに長けた都市なのだそうだ。
栄えているという意味では王都も負けてはいないが、人口の割合だとグレイソルには到底及ばない。
俺の勝手なイメージだが、アメリカのワシントンとニューヨークのような存在だと認知している。
汽車はというと、石炭を燃焼させそのガスで水を沸騰させる、蒸気機関車と似たような構造をしている。
魔力などというものがあるのだから、それをエネルギーにして動かせないのだろうか。そんな風に俺も最初は疑問に思ったのだが、どうやらまだ魔道回路と呼ばれる骨格を開発している最中らしい。
といっても、アナリシスさんから聞いた話によると、もう既にテスト運行がされているらしく、あと四年もしない内に実用化されてしまうだろうとのこと。
今考えてみれば、こういう技術の別れ道が、歴史の相違を生み出しているのだと思う。
地球では蒸気機関から石油等の化石燃料への道に進んだのに対し、この世界では魔力をエネルギー資源にしようとしている。
ちなみに、そもそもの源たる魔力をどこからとってくるかについてなのだが、その方法は様々だ。
まず第一に考えられているのが、黒白金と呼ばれる魔力を蓄える性質を持った貴金属を汲み込む手法だ。黒白金は何度でも人間の手で魔力を注入し直すことが可能なので、これがもっとも現実的だ。
しかし、精製するのに莫大な量の魔力と、その名から分かる通り白金を要するため、そうほいほいと数を出す訳にはいかないのだ。
しかもトーストやコンロ程度ならまだしも、機関車を動かそうとなれば相当な量が必要となる。最低でも、白金は千立方センチメートル、一辺がおよそ十センチ程度の大きさを要する。
付け加えると、白金の標準価格は一グラムで銀貨四枚に値し、比重はおよそ20。この世界の銀貨は日本で言う千円に該当するので、つまり白金一立方センチメートルで八万円もの価値があるのだ。
これの千倍ともなれば凄まじい価格になってしまうため、中々大量生産という訳にもいかない。
おまけに魔石に魔力が充填されるまで丸々一週間かかってしまうため、一日一個の消費だとしても最低七個は必須である。
勿論、一編成で足りる訳がないので、最低でもその六倍以上は必要だ。
以上の点から、白金の採掘、魔石の生産、魔力注入技術の向上を見越してのあと四年なのだそうだ。
次に、人体や魔物から魔力を抽出する方法だ。
優秀な魔法使いや強力な魔物なら、それだけ膨大な魔力を内包している。おまけに使えば使うだけ魔力は増えていくので、稼働時間も日を経るごとに長くなっていく。
だが、これもまた数の問題である。
そもそも汽車を長時間も動かすことができる魔法使いなどそうはいないし、そんな魔力を持った魔物も同じだ。それ以前に、それだけ強大な魔物を飼いならすだけの技術が、この世界の人類にはない。
四肢を落とし、達磨のようにして生きる魔力放出炉にすれば勿論可能だ。しかし、倫理的に問題があり過ぎる。
そんなことをすれば、間違いなく世界中の反感を買ってしまうだろう。身を滅ぼすだけだ。
結局、金はかかるが魔石での運用が現実的なのである。
「そういえば、レフィンは貴族か富豪の娘さんなのか?」
「え? どうしてですか……?」
「一般市民はファミリーネームを持っていないからさ。答えたくなかったら、別に良いけど」
「いえ、隠してもいずれ分かることですから……」
そう言うと、レフィンは少し俯き加減になって語り始めた。その表情を見て、俺は少し聞いたことを後悔した。
彼女はこのアシュー大陸の東北端に位置する、ブリューゼという雪の町を統治するヴルム家の四女なのだそうだ。
つまり、俺の予想通り貴族様だった訳である。
長男が跡を継ぐにも関わらず、レフィンの父である領主は彼女を溺愛していたらしく、いつも兄弟たちからは羨まれていたらしい。
とはいっても兄弟仲は極めて良好で、家族愛も人一倍あると言っていた。
お陰で彼女が冒険者になりたいと頼んだ時も、あっさり許可を貰ったのだとか。恐らく、他の家に嫁として出すくらいなら、とでも思ったのだろう。
そんな幸せの中でも、レフィンには一つだけ解決し得なかった悩みがあったらしい。
町に住む同年代の子供たちと"対等に"遊べなかったことである。
勿論、ヴルム家が住民に嫌われていたという訳ではない。むしろ好かれ、慕われ過ぎていたことが問題だったのだ。
領主と同じくヴルムの人間であるレフィンは常に特別扱いされ、気を使われてしまうのだ。
鬼ごっこで鬼になったことはないし、もし鬼になっても誰かを負いかければすぐに捕まえてしまう。
ここでレフィンが高慢な、絵に描いたような貴族ならば悩むことはなかったのだろう。逆に気を使って子供たちの邪魔をしないようにと考えたレフィンは、自分から身を引いたのだそうだ。
だから、俺が身分について訊ねた時、少し躊躇ったのだろう。貴族にも貴族なりの、一般市民にはない苦労というのがあるのだ。
「ならさ、その子たちに言えば良かったんじゃない? 私に貴族平民関係なしに接して、ってさ」
「でも、そんな事を言ったって、私が貴族であることには変わりないですし……」
「そうかなあ。少なくとも、今の話を聞いて、私はそうしようと思ったよ。姫也くんもそうでしょ?」
「断る理由はない」
「ほらね。私たちはもう友達だよ」
ちらりとレフィンの顔を見ると、ぽかんと目を見開いたまま硬直していた。少ししてぽろぽろと両目から雫を溢し始め、ぎょっとしてしまう。
「な、なんだ、俺が何か言ったのか!?」
「い、いえ、違うんです。だってお二人が…………貴族なんて関係ないって、お友だちだって…………」
その程度で泣き出すのは些か大袈裟な気もするが、レフィンにとっては"その程度"ではなかったのだろう、とアーシェに頭を撫でられる彼女の姿を眺めながら思い直す。
しかしまあ、全く話題から逸れるのだが、俺としては彼女がブリューゼからメイレンまでやってきたという事実の方に驚きだ。
ブリューゼはレフィンが言った通り東北端に位置する町なのだが、そこからこの中央の地域まで来るのには、リーネイツ山脈という、一つの山脈を超えなければならない。
この山脈というのが曲者で、氷の飛龍が住まうと言われ、麓の時点で既に吹雪いているのだとか。
おまけに魔物やらなんやらが容赦なく襲ってくる為、ゴルゴットさんが言うには、凄腕の冒険者でも単独で踏破するのはかなり骨が折れるらしい。
回り道をしようにも綺麗に真っ直ぐ、それこそ嫌がらせの如く山脈が広がっており、かなりの時間と費用がかかってしまう。
聞いてみると、レフィンは涙を拭きながら鼻声で答えてくれた。
「父がとある冒険者様を雇ってくれて、その方が護衛についてくれたんです」
「へえ、随分と優秀な人を雇ったみたいだな」
「はい、それはもう、魔人の如き強さでした。豪快に魔物を薙ぎ払う姿は、今思い出しても震えあがってしまいそうです」
ゴルゴットさんでさえ苦労すると言わせる山脈を、一人で、しかも護衛しながら乗り切ってしまうとは、中々世界には凄い人がいるものだ。
「確か名前は……」
レフィンがそこまで言いかけたその時だった。
汽車が大きな音を立てながら、突然減速し始めたのだ。いきなりだったので、当然俺の体は前方へすっ飛んでしまう。
ぎりぎりぎりという耳障りな音が車内中に響き渡り、突然のことに全体が騒がしくなる。
がやがやと廊下が騒がしくなり始めた頃、俺は自分の体がレフィンに覆いかぶさるような形になっていることにようやく気付いた。
「す、すまん……」
「あ、いえ、大丈夫です」
俺は一言だけ謝っておき、様子を見る為に窓から身を乗り出した。
「結構冷静だね、レフィンちゃん。箱入り娘みたいだったから、ビックリしてビンタくらいするのかと思ったけど」
「いえ、私もそこまで神経質じゃありませんよ。姫也さんが"男なら"まだしも」
「うん? 姫也くんは男の子だよ?」
「…………え?」
どうやら、汽車が停止した場所は崖と崖を繋ぐ鉄橋のど真ん中らしい。前後方とも、視界の続く限り広く大きな森が広がっている。
とはいっても、雷雨のため、望遠の魔法を使ってももやがかかってあまり視界は広くないのだが。
「少し廊下に出てくるけど…………なぜレフィンは膝を抱えているんだ?」
「男の子には…………いや、姫也くんには分からないことだよ」
「よく分からんが、あまりうろつくなよ。今頃大騒ぎだろうからな」
「うん」
そう言い残し、俺は部屋の扉を開けた。
一体何があったのか。なぜこんな危険な場所で停止させたのか。それを確かめる手段はただ一つ、運転手に聞くしかない。
胸に渦巻く得体の知れない不安を抱えたまま、俺は喧騒取り巻く廊下を歩きだした。