03話
「……できた」
「うーん……でも、しっくりこないって感じだね」
「全部そう言ってないか?」
俺がこの屋敷に来てから、一年の時が経過した。
ついでに言っておくと、この世界における時間経過というのは地球のグレゴリオ暦と同じで、三百六十五日を一年として捉えており、一日は二十四時間である。うるう年まであるという。呼称名も同一だ。
おまけに、これは少し前に調べて判明したことなのだが、名前に漢字を使っている人間は、極少数だが存在しているらしい。
しかし、ファーストネーム以外を名前に含んでいるのは、貴族や王族といった、上流階級の人々だけだ。このことから、どうやらゴルゴットさんはそういった類の人間ではないことが分かった。
何もかもが、俺の過ごしていた環境と、文化的な部分で似通っていた。違うのは文明を築く根幹を成している、技術の部分である。
機械技術が殆ど存在しない代わりに、魔法がそれの代替として使われているのだ。お陰で、一般人の通信手段はいまだに手紙だ。
「だって、見てたら分かるもん。姫也くんが使うべき魔法はそれじゃないって」
「訳が分からん……」
さて、話は戻って現在俺が何をしているかというと、魔法を使う鍛錬である。
魔法の発動に成功したのは丁度一ヶ月前のこの日で、その際も今目の前にいる、アールシェイブというハーフエルフの少女がいる前でテストを行った。
魔力の増量は使う、食べるの繰り返しに尽きるので、この一ヶ月はとにかくそれに打ち込んでいた。勿論、多くのグリモワールたちも一緒である。
「炎も駄目、風も駄目、探知も強化も遠視も透視も……今のところ、俺が知ってるのはこれくらいだぞ」
「なんていうか、精霊が乗り気じゃないみたい」
エルフの感覚で発せられる彼女の台詞は、人間である上に、一年前までは魔法などという存在から縁遠い世界で二十年近くも過ごしていた俺にとって、意味不明の一言に尽きる。
しかし、実際には魔法はきちんと使えている。今だって、炎の魔法をイメージ通りに行使することができたのだ。
だが、彼女は何故か首を捻っている。曰く精霊が乗り気じゃないらしい。俺にはさっぱり意味が分からない。
「おや、魔法の練習かい?」
ふと、腕を組んだまま唸っているアーシェを眺めていると、屋敷の扉の方からゴルゴットさんの声が聞こえてきた。
ここのところ、一週間程屋敷をあけていない。各町のギルドから引っ張り凧なゴルゴットさんにしては珍しく、連休をとったのだとか。
俺が初めて彼に魔法を使っているところを見られた時、かなり驚きながらも褒めてくれた。俺は現在十六歳らしいのだが、この年齢で魔法を使ったり、ましてや魔導文字を読める子供はそうそういないのだという。勿論アーシェは例外だ。
「聞いて下さいよ。今いつもみたく魔法を使って鍛錬を行っていたんですが、彼女が駄目だとばかり……」
「駄目とは言ってないよ。ただ、それじゃないっていうかさ」
「ふむ」
顎髭を撫でながら瞬きを繰り返すと、手を後ろに回しながらアーシェの方へ視線を向ける。
「アーシェ、姫也君の魔法をどう感じるのかな?」
「精霊が楽しそうじゃないの。なんだかこれじゃないって言ってる」
「ふむ。姫也君、キミはこれまでどんな魔法を使ってみたんだい?」
その問いに、俺はなんとか思い出しながら一つ一つ答えていった。
四属性の下級魔法。探知魔法、浮遊魔法、身体強化魔法、錬金術等々。
ゴルゴットさんは俺が言い終えた後、両目を閉じたまま暫く考え込んでいた。
ちなみに、四属性の内、風属性の魔法以外は大して伸びることはなく、錬金術や治癒の魔法はさっぱり発動すらしなかった。
他にも、使えなかった魔法は幾つかあった。恐らく、イメージ不足が原因だと思われる。
「やはり、他の魔法を使って試してみる以外にないだろう」
「と言いましても……」
記憶に新しい魔法といえば、今は一つしか思い浮かばない。
しかしそれは、その性質上、失敗すれば大きな怪我を負う危険性を孕んでいる。
だが一つだけ言えるのは、使うことができれば今後間違いなく役に立つし、何より解説を一目見て一番に思ったのは、ただ単純に格好いい。
俺は右足を前に出し、膝の上に右腕と体重を乗せ、スタートダッシュのようなフォームをとる。
この魔法の際に使うイメージは、秒読みだ。三、二、一のタイミングで発動するのが、最も固いものへと繋がる。
不思議そうな顔をした二人の視線を背に、俺は頭の中にある呪文を起動させた。
直後、俺を包むあらゆる景色が、呼吸を止めたかのように歩みを止めた。そんなスローモーションの世界で一人、猛烈な胸の痛みを感じながら、目標として定めた石像に向かって突き進む。
激突しそうになる直前でギリギリ魔法の効力が切れ、寸でのところで俺の体は停止する。それと同時に激しい疲労感が全身を襲い、思わずその場に仰向けに寝転んだ。
発動できたのは良いが、このままでは使い物にならないということは明白だ。
先程俺が使った魔法は、所謂加速魔法という奴で、その名の通り素早く動くことを可能とする、強化魔法の一種である。
単に肉体を強化して素早く動くのと違うところは、先の俺を見て分かる通り、体感時間までもが周囲とは異なるという点だ。
素早く動くだけ、を実際に試したことがあるのだが、どうにも融通が利かず窓から落下してしまうという大事故を起こしてしまった。なぜ室内で使ってしまったのかは、今でも分からない。
幸い、強化を施してあったため一日寝込む程度で済んだのだが、これで石像などに激突していたら、間違いなくお陀仏である。
そんな訳で、今回の半ば実験的な加速魔法の試用は、俺にとって大きな収穫だった。
と、そんな風に空を見上げたまま肩で息をしていると、空色と対を成す真っ赤な瞳が、俺の顔を見降ろした。
「さっきの良かったよ。精霊もすごくよろこんでる」
「そ……それは……よう、ござんした」
満身創痍と言った様子の俺を覗く目がもう一対。長い記憶を感じさせる細い両目が、瞬きをしながら現れた。
ゴルゴットさんはそのまま暫し俺のことを見つめた後、そっと目を閉じてこちらに背を向けた。そして去り際に、こう告げる。
「姫也、少し話がある。後で私の書斎に来なさい」
言いながら去る彼の背中を見送りながら、俺とアーシェは目を合わせて首を傾げていた。
「あの魔法は、本で読んだのかね」
「はい」
言われた通り、あの後アーシェと別れ、ゴルゴットさんの作業室である書斎へとやってきた。
そこで待っていたのは、書類整理にいそいそと働くメイド長のメリスさんと、デスクに座ったまま険しい表情をこちらに向けるゴルゴットさんの姿だった。
「そうか……あれは大変危険な魔法だ。失敗すれば死ぬ恐れもある。実際、私はそういった者たちを何人も見て来た」
「すいませんでした」
「キミはまだ若い。日々精進するのは良い事だが、あまり急ぎ過ぎぬよう、気をつけるんだよ」
まるで俺がいつか、あの本の虫と呼ばれる少年にいったような台詞だ。
さて、と挟み、眉間に寄せたシワを緩ませながら、リラックスするように椅子の背もたれに背中を預けた。
「と、保護者らしく叱ってみたが、私としてはキミの高い向上心と早い上達には感心しているよ」
メリスさんから渡される書類を受け取りながら言うゴルゴットさんの表情は、どこか嬉しそうに見えた。
「もう少しすればキミも十八歳。つまり成人として認められる。来るべき時のために、よく食べ、よく眠り、よく学びなさい。いいね?」
よく食べ、よく眠り、の部分だけはっきり強く発音する辺り、彼の性格がよく表れている。俺は一言だけ「はい」と答えて、ゴルゴットさんの部屋を後にした。
来るべきというのは、成人した後のことを意味している。
この世界では、先程ゴルゴットさんが言っていたように、十八歳になれば成人として認められる。そうなれば冒険者ギルドなどの、あらゆる施設の利用登録や取引などが個人で可能となり、つまり一人立ちできるようになるのである。
そして同時に、学校という機関に入学することも認められるようになる。
この世界における学校という施設は、ほぼ大学や専門学校のような専門的な方面のものが殆どだ。
国の守護者たる騎士になるため、時代を先駆ける魔法使いになるため、町の骨格をなす商人になるため等々、様々な種類の学科が存在するが、中でも極めて人気なのが冒険者になるための学科である。
冒険者の仕事とは何か。それは様々な方面から申請される依頼を選び、こなし、町の活性化につなげていくことである。
山菜の採集、魔物の討伐、要人の護衛等、特に山菜の採集と魔物の討伐は食の流通に関わることなので、俺の読んだ本にも大きくみっちりと、如何に大事な役割なのか記されていた。
それ以外にも、例えば村を困らせている魔物などを討伐せねば、畑で採れる恵みが町に流れなくなってしまう。そうなると、村か町までの護衛だったりも、必須だといえよう。
これだけでも冒険者の仕事が多い事が分かるが、彼らの需要が絶えないのはそれだけが理由ではない。
どうしても危険域への依頼が多いため、それだけ死没者が後を絶たないのだ。優秀な冒険者ほど、よくそういう場所へ駆り出され、命を落としてしまうから、次の世代は常に求められている。
ゴルゴットさんが七十違い老体でも、毎日のようにあちらこちらへ飛び回っているのはそのせいなのだ。
冒険者には誰でも、なろうと思えばなれる。育成施設への入学は推奨されているだけであり、義務ではない。
にも関わらず、数ある学科の中で人気を博しているのは何故か。それはただ単純に、施設卒業後に冒険者としての道を歩んだ方が、確実に成功例が多いからである。
逆に一切教養を得ず冒険者として大成した者は殆どいない。誰も彼もが低級の魔物の食糧となるか、採集の依頼ばかりをちまちまとこなしているかのどちらかだ。
よって、施設で知識と実力を培い、晴れて冒険者デビューを果たすというのが、最早冒険者として常識になっているのである。
ちなみに、年長組と呼ばれる三人は既にこことは別の町にある<エイリアツ冒険者学院>の三年生で、現在は現地実習としてゴルゴットさんの仕事に同行しており、それが終了すれば見事卒業扱いとなるらしい。
何にせよ、まだ猶予は二年もある。その間に様々な知識をつけながら、先行きを考えるのが定石だろう。
後先考えず猪突猛進の精神でいるのもいいが、それで身を滅ぼしては救ってくれたゴルゴットさんに合わせる顔がないので、最低限のことは考えながら生きていこう。
部屋に戻ると、なぜか既に先客が来ていて、いつかのようにベットの上ですやすやと眠っていた。
頭を抱えたくなるほど無防備なアーシェの姿を数秒眺めた後、起こさぬよう極力物音を立てないことを意識しながら、書本の積まれた机の椅子に腰かける。
最近の日常になり始めたこの光景に、少しずつ慣れ始めている自分に少し呆れる。
そういえば、アーシェはあと二年経ったら、どうするつもりなのだろう。変わらずこの屋敷で暮らすのか、それとも自立の道を歩むのか。
普通のエルフは耳が長く特徴的なので、人間社会ではどうしても目立ってしまうが、彼女はハーフエルフということもあってか、見た目だけなら人間とさして変わらない。
少し心配でもある。こういうことはあまり言いたくないが、ゴルゴットさんも、もうそれなりに高齢だ。先行きは、そう長くはない。
いつか来るそれを迎えた時、アーシェは……いや、この屋敷に住む子供たちはどうなるのだろうか。
彼女の寝顔をぼんやり眺めながら、俺はそう遠くない未来のビジョンを思い浮かべていた。