01話
鏡を見ての第一声は、某ドラマの刑事の最期と全く同じだった。ゆとり世代の俺は残念ながらネタ的な意味でしか知らず、本編を視聴したことはないのだが、中々迫真のシャウトだったと思う。
あのお爺さん、ゴルゴットさんに連れられて病院らしき建物を後にした俺が、真っ先に見た光景は、正に別世界であった。
色とりどりの屋根に、殆ど見えるのは一軒家から三階建ての建物ばかり。おまけに地面に続く道は全て石の敷かれた石畳で、アスファルトの詰まったごりごりした道などはどこにも見当たらない。
西洋の田舎といわれれば、なんとなく可能性はあったかもしれないが、店の看板や飲食店のメニューに使われている文字が日本語な上、魔法道具店なんてふざけた名前の店がある時点で、ここが西洋、ひいては俺の知る世界などではないことは明白だった。
さて、見慣れぬ町の景観に目を奪われながら、ガタゴト馬車に揺られること十数分。辿りついた先で俺を待っていたのは、大きく横に広がった巨大な御屋敷だった。
正面に迎えるのはマラソンが出来そうな程大きな庭。見た目からして良い生活をしていることは予想していたのだが、流石にこの規模は想像できなかった。
後になって聞いた話なのだが、どうやら彼は俺のような孤児を積極的に引きとり、養子や弟子として迎え面倒を見ているらしい。事実、ゴルゴットさんが扉を開くと、十人前後のちびっこ達が彼を迎えていたし、空き部屋に案内されている途中の廊下では、生前? の俺と同じくらいの者たちとも遭遇した。
彼らを見て思ったのは、皆が皆、同じ様にゴルゴットさんのことを、まるで本当の親みたく慕っているということだ。そんな姿を見て、少なくとも彼は出来る限りの善意で働く種類の人間だということを、再確認した。
そして、今日からここがキミの部屋になる、と言われ扉を開くと、そこには大学の教授が持つ個室と大体同じくらいの大きさを持った空間が広がっていた。
最奥の壁にはテラスへと繋がる大きな両開きの窓が設けられており、奥行きのある部屋の中へ広く日光を取り入れている。他にもベットや机、タンス、洗面所、トイレなど、暮らして行く上で最低限足り得るものが揃っていた。
流石に風呂は大浴場になっているらしい。
また後で呼びに来るから、部屋をゆっくり見ておいてくれと言われ、洗面所で鏡を覗き驚愕することとなった訳である。
体が縮んでいたことには理解していた。それもその筈。俺は文字通り、別人になったのだから。
しかし今、目の前の鏡に映っている顔は、思った以上に想像とかけ離れていた。
「女にしか見えんぞ……」
髪が少し長いだとか、色白だとか、そんな部分的な話ではない。顔面構造含めまるで女子なのである。自分で言うのは気持ち悪いが、白皙の少女といった所か。
歳は分からないが、恐らく十四から十八のどこかに位置していると思われる。振り幅が大きいのは、男性基準と女性基準で分けているからである。
いくら顔がこれだからといっても、前世でもあったものはあるし、なかったものはなかった。そう、列記とした男なのである。
実際の性別と反対の容姿を持っているというのは、テレビでも何度か目にした事がある。別に不思議なことでもなんでもない。
ただ、それが自分だから驚いているのであって、受け入れられないのである。
幸いだったのは、髪の色がスーパーファンタジーカラーではなかったことくらいか。鏡に反射して映るそれは黒過ぎるほど黒く、驚くほどに滑らかだった。さらさらヘアーである。
こういう所も女性らしいといえるかもしれない、と考え始めるとキリがないので、ネガティブになるのはここまでにしておこう。ある種神秘的なものとして補完しておくことにする。
暫くすると使用人と名乗る謎の生物がやってきて、俺の案内を任されたと言い出した。その生物というのが、見た目はまるで人間なのだが、サイズが試験管レベルのミニマムガールだったのである。
本人曰く、彼女は妖精と呼ばれる類の亜人で、長年この家のメイド長として使えているらしい。これで、ここが地球ではないことが完全に確定したことになる。
「メリサリウスといいます。メリスとお呼び下さい。妖精を見るのは初めてなのですか?」
「ああ。聞いた事はあったんだけどね。しかし不思議だな、こんな小さな羽で飛べるのか……」
「これは見掛けだけです。本当は魔法を使って飛んでいるのですよ」
「ますます不思議だ……」
さて、話は戻って、明らかに俺が通っていた中学校や小学校よりも広い敷地を有している中を歩きまわるとなると、終わる頃には夕飯時になっているに違いない。
ゴルゴットさんもそのことを見越していて、夕飯の際に皆に俺のことをきちんと紹介すると言っていたらしい。大人数の前で自己紹介をするのは苦手なので、少し憂鬱だ。しかし、どこであろうと新天地では必ずそこから始まるので、集団の一部の義務である。
兎にも角にも、それから二時間以上にも及ぶ御屋敷巡りが始まった。様々な場所を見て回ったが、どこもかしこもとにかく大きい。俺が小学生の頃だったなら、毎日隅から隅まで探検して遊び回っていたと思う。
大浴場は男女で区切られてはおらず、時間制で、五時から八時までが女、九時以降は男が入る形になっていると言っていた。妖精であるメリスさんもその時間に合わせて入るのかと訊ねたのだが、どうやら彼女には自室に専用のバスルームがあるらしい。なんとなくサイズにあわせた浴槽が思い浮かぶ。
次に図書館へ向かったのだが、これが目に余るほどの本の大軍が息を潜めていて、まさに圧巻の一言だった。大量に本棚が並んでいるかと思いきや、階段で上に行っても同じくらいの量が並んでいた。
メリスさんが言うには、これら全てゴルゴットさんが子供たちの教養のために各地から集めて来たもので、王都という国の中心にある図書館に次いで多いらしい。
つまり、ゴルゴットさんは国内で一番、個人で有している本の量が多いということである。
その後、庭の花壇を歩いたり、菜園を眺めたりしながら時間は過ぎ、あっという間に夕日は町の彼方へ沈んでしまった。
ついに紹介の場でもある食堂へ向かうことになった。入り口である大きな扉を開くと、既にそこには数人の少年少女が席についていて、扉から現れた俺の方をぽかんと眺めていた。
「わあ、かわいいおんなのこ!」
「御免、これでも男らしいんだ」
「え、うそー!」
「おねえちゃんいくつー?」
「お前ら静まれ! 困ってるだろう!」
柵から放たれたペンギンみたいに群がり始めた子供たち。その向こうでは、騒ぐ彼らを落ち着かせようと、俺と同年代くらいの青年たちが声を上げていた。
すぐに場は治まり、俺も無事、適当な席へ腰を下ろすことが出来た。すぐに他の使用人(普通の人間)らしき者らが食事を運んできて、テーブルへ料理を並べ始める。
まるで貴族みたいな待遇に若干緊張しながら待っていると、すぐにここの主人であるゴルゴットさんがやってきた。
「おとーさんだ!」
「師匠、遅刻ですよ」
「すまんすまん。キミにも悪かったね。案内すると言っておきながら、メイド長に頼んで」
「いえ、俺は別に……」
現れたゴルゴットさんに対する子供たちの対応は、様々だった。養子として引きとっている者もいれば、どうやら弟子という扱いの者もいるようだ。
彼らにとって、ゴルゴットさんは等しく父のような存在らしく、皆強く慕っていることが良く分かった。
「では夕飯の前に、皆に新しい仲間を紹介しておこうかね。大丈夫かい?」
「はい」
そういえば、凄く今更だが、俺はここでなんと名乗ればいいのだろうか。
思いながら席から立ち上がると、突然ゴルゴットさんがこんなことを言い出した。
「私も、キミの名を知るのはこれが初めてになるな」
曰く、共に住まないかとまで言っておきながら、後になって名前を聞くというのは少々気不味かったのだとか。
ということは、この場で、この世界における俺の名前を知っている者は、誰一人としていない訳だ。
つまるところ、自由に名乗っていいということである。
これがゲームの主人公や、仲間の名前をつける場面ならば気楽に考えられるのだが、残念ながらここはほぼ現実といってもいい。
ここが俺の夢の世界の中で、現実では今も病院のベットの上で生死の境を彷徨っているというのなら、同様に呆気なく対処できただろう。
しかし、俺はここが幻想ではないと、はっきりと確信していた。あまりにもリアルすぎる上に、既にあの目覚めた病院のベットの上で、一日跨いでいる。俺が今までの夢を覚えていないだけなのかもしれないが、これほど鮮明に、しかも長い間、俺は夢を見ていたことはない。
根拠としてはあまりにも信憑性が低いのかもしれないが、それ以外に挙げろと言われても直感としか言いようがないのである。
さて、大分逸れてしまったが、本当にどうしようか。これからこの世界、この屋敷の仲間たちと一生暮らして行く中で、使い続けるに相応しい名前とは何か。
生前の名前を使うのは少し悩む。親のつけてくれたただ一つの名前を、大事に思っていないとかそういう意味ではない。
だが、ゴルゴットやメリサリウスなんて名前が存在する世界で、上下二文字ずつの日本人名を使うのは、些か不自然なのではないかとも思う。
「どうしたのー?」
「早くしろよー。こっちは腹減ってんだぞー!」
「こら、アンタたち!」
急かす子供たち。確かに、育ち盛りともいえる彼らにとって、目前にある料理にいつまでも待ったをかけておくのは酷だ。
今は長考するべきではないと判断し、結局俺はその不自然を通すことにした。
「姫也です。今後ともどうぞ宜しく……」
名乗るだけなのに、かなりの時間を食ってしまった。
なんとなくゴルゴットさんやメリスさんもそうだったので合わせたが、この世界に苗字という概念はあるのだろうか。そして、名前に漢字を使う文化は?
漢字自体は町中の店の看板などから、日常的に使われていることが分かる。
その後、子供たち一人一人の紹介を経て、ようやく俺たちは食事にありつくことができた。専属のコックが手掛けたというだけあって、確かに料理の味は最高級だった。
夕飯が終わって暫く皆の間でお喋りが広げられた後、ごちそうさまという挨拶と共に、一斉に子供たちがぞろぞろと席を立ち始めた。
「どうだい、やっていけそうかな」
「まだ来たばかりだから分かりませんけど、多分、大丈夫だと思います」
ならよかった、とホッとした笑みを浮かべるゴルゴットさん。
自室に戻った俺は、暫くベットの上に転がったまま、ぼうっと天井を眺めていた。部屋の明かりは窓から射しこむ月の光だけで、人工的なものは何一つない。
いつもなら、車の走る音や、光量の強い白光で息苦しい思いをしているのだが、ここはとても静かだった。
時々聞こえる子供たちの遠い声と、庭で奏でられる虫たちの合唱だけが俺を刺激している。
まるで、祖父母の家で横になっているようだ。畑から聞こえる鈴虫の歌声に、香る風の匂い。どれも心地よかった。
これから俺はここで生きていく。いつまでいられるのかは分からない。いや、いつか必ず自立して、一人で生きていけるようになるのが今後の目標だ。
暫くはあの大きな図書館に篭り、知識を蓄える日々が続くことだろう。ここがどんな世界で、どんな背景を持っているのか、学ばなければならない。
そうして、新生活の一日目は幕を閉じる。静かな音色に浸りながら、俺は郷愁の夢へ静かに落ちていった。