10話
ワイバーンの取引は早急に行われたらしく、翌日学生寮の受け付けで荷物を引き取っていると、ミリオニアスさんから一枚の手帳を手渡された。表紙には<バージェル銀行預金通帳>とあり、中を開いてみると預かり金額に【白1154 金1 銀49】という数値が黒のインクで記されていた。数が中途半端なのは、講座作成時にかかる手数料を差し引いたからだそうだ。
バージェル銀行というのは、この世界を構成する四大陸の各地に支部を持ち、本部を中央大陸に構える世界唯一の大銀行である。一応、小さな村等にも存在しているのだが、そういう場所では引き出せる金額が制限されてしまうらしい。
この内、これからの生活と実技試験の準備に幾らか当てるとして、残りは全てゴルゴットさんに譲渡してしまおう。どちらにせよ俺が持っていても意味のない大金だ。最初は一割を自分のものにするつもりだったが、今考えてみれば一割も必要ないかもしれない。
そんな風に勝手な思考を巡らせていると、ミリオニアスさんにさっさと荷物を部屋に置いてこいと言われた。なんでも、今日は今から冒険者ギルドに向かい、俺を学生冒険者として登録する予定なのだとか。そうは言っても授業等はないのかと聞こうと思ったが、そういえば今日は休日だった。
わざわざ鳥鳴く早朝から足を運んだというのに、全くこれなら昼頃までぐっすり眠っていればよかった、と少しだらしない後悔をする。そんなことを今ごろ言ってももう遅いことは明白だったので、俺はさっさと指定された自分の部屋とやらに荷物を置いてくることにした。
複雑な凹凸構造をした棒状の鍵を片手に、肩掛けの鞄を持ったまま学生寮の階段を上がる。場所は東棟三階の一番奥の部屋で、他の部屋よりも少し広めで、なんとテラスまでついているらしかった。何でも、例の汽車で起こった事件を聞いて、感心した校長が特別に手配してくれたのだとか。無茶したことを叱られると思ったが、どうやら功績の方に目を向けてくれたらしく、密かにほっと胸を撫で下ろす。
他の者が使っている部屋を見たことがないから判断のしようがないが、少なくとも屋敷で過ごしていた部屋よりは広いと言える。テラスはこじんまりとしていたが、日当たりもよく、寒風が肌に厳しいこの大陸で日光の入る部屋というのはかなり助かる。
そこから眺める景色というのも中々のもので、色とりどりの屋根で覆った建物がそこかしこに見えた。一番目立っていたのが町の中心部分で高く天にそびえる時計塔で、四方に向けて顔とも取れる時計を見せている。かなり遠いので、ここから針までは見えないが、それでもかなりの存在感を発していた。
他にも、尖塔を立てた純白の大きな教会や、夜の町では空を照らしていたカジノ等々。ここ以外の場所からなら、このエイリアツも眺めることが出来ていた筈だ。
朝日が射し始めたのを頃合いに、寮内が少しずつ人の声や物音で満ち始めた。俺は荷物の中から適当に常用装備を引き出すと、戸締りと部屋の鍵を閉めて急ぎ一階へ急いだ。他の見習い達から見れば、俺は誰知らぬ部外者だ。できれば誰とも顔を会わせたくない。
無事にそのまま到着すると、ミリオニアスさんが受け付けのお姉さんと談話している姿が見えた。俺に気付くとゆっくり歩み寄って来て、行くかと一言口にして出口へと向かう。
既婚者だと思いました、と俺が言うと、彼はがははと豪快に笑って歩きながら腕を組んだ。
「冒険者なんて職業をしてるとな、中々タイミングが分からなくなっちまうんだよ。お前も気をつけろよ」
当面結婚について考えるつもりはないが、別にそうしなければならないという義務もないし、必要なければ一生独り身でいようとも思っている。
そう応えると、彼はがはははと笑いだした。
「人間、誰しもいつか人肌恋しくなるもんだ。なんだその信じられないって顔は? お前にもいつかそう思える日が来るさ。まあ、年よりの戯言だとでも流してくれ」
そう言うと、ミリオニアスさんは冒険者ギルドに辿りつくまでの道中、口を閉じてしまった。
それを目の前にして俺が第一に思ったことは、単純に人の出入りが多い。噂によればグレイソルの住民の内、約四割が純粋な冒険者として生計を立てているらしい。しかも、それ以外の自営業を営んでいる者の中にも、冒険者を副職としてここを利用しているという。
ちなみに、グレイソルの総人口数はほぼ一千万にも及ぶと言われ、小さな国を名乗れる程の住民を内包している。人が集まり賑やかになり、それを羨む者が更に集まって堂々巡り。お陰で王都に住まう者は貴族や富豪という一握りの上流階級ばかりになっているのだとか。
更に言っておくと、このグレイソル以上の人口を誇る町が、他にも存在しているのだという。隣のカーリア大陸の、確か神聖街だったか。
「あら、可愛いお譲さん。お久しぶりですねミリオニアスさん。遂に御結婚なされたんですか?」
「違う違う。こいつは俺の生徒だよ。結婚なんて相手がいないから無理無理。だからそろそろ結婚を前提にお付き合いしないかレギッサちゃん?」
「へえ、ならその子が噂のワイバーンを討伐したって子ね。こんなに綺麗な女の子だったなんて、予想外だわあ」
レギッサと呼ばれたその女性は、およそ二十代と思われる容姿とグラマラスな身体を以下略。あまりに自然に流されてしまったことに固まってしまったミリオニアスさんを他所に、俺は一応自分が男だということに訂正を加えておく。
「あらまあ、でも、その言い方だとおかまちゃんって訳じゃなさそうよね。何で髪とか伸ばしてるの?」
「魔物と使い魔契約等を結ぶ際に、髪は取引材料として使用できますから」
「ふうん、お姉さん初めて知ったわ」
今思い付いた嘘をそのまま述べて、なんとか誤魔化す。この使い魔契約というのに髪を使うことができるのは事実だが、本当の理由はそこにない。友人が好きだというから伸ばしているなど、言えたものではない。
とりあえず複雑な書類処理はミリオニアスさんがやってくれると言うので、俺は暫くギルド内を観察して回ることにした。
支部とはいえ、場所が場所なのでかなり広い。外観は木製の大きな公民館といった感じだったが、内装はむしろ酒場の方が表現としては近いと思う。大きな掲示板が難易度やジャンルに別れて幾つも壁に設けられており、各所には最低五人弱の冒険者の姿があった。
テーブルでは屈強な野郎共がジョッキ片手に完敗を上げていたり、中の良さそうな男女パーティが地図を広げて話し合いをしていたりと、様々な光景が見える。朝から飲酒など感心しないが、恐らく彼らは朝方帰って来たのだろう。でなければ、あそこまで装備がボロボロになっている筈がない。
装備といえば、比較的軽装で済ませている者の方が多い気がする。これは眼鏡少年ミースから聞いた話なのだが、鎧等の重厚な装備はルーキーが身に付けた場合逆に危険なので、場数を踏んで力をつけるまで、報酬や調達品は武器に注ぎこむことが多いらしい。
つまり、鎧を着込んでいる者の殆どがベテラン中のベテラン、所謂玄人という奴なのである。
「おーい、姫也。後はお前の個人情報だけだぞ」
名を呼ばれ、いそいそと受け付けへ戻る。窓口に用意された羊皮紙に視線を向けると、確かに学校側の情報は既に記入されていて、後は俺の名前や出身地、年齢等が残っているだけだった。
「はい。それではあなたは今日から冒険者見習いです。毎日に精進し、決して甘んじることないよう、心がけるように」
先程の柔らかい物腰が嘘のようにぴしっと固まり、最後に大きな判子を羊皮紙のど真ん中に振りおろして、俺の冒険者ギルド登録は終わりを告げた。
その後、昼食を挟みながら、夕方になるまで町の案内を受けていた。寮から見えた時計塔の足元や、教会の中にある色鮮やかな神を表したステンドグラス。他にも色んな出店が品を揃えたバザー街や、騎士団グレイゾル支部等々、町の要所は粗方見て回った。
最後に町の景色が一望できる展望台に上って、息を尽く。
「いやー、年よりには応えるな」
そう言いながらベンチに座り込むミリオニアスさん。俺は柵に手をかけて身を乗り出し、そこから見える町並みと夕暮れの壮観さに、思わず見とれてしまっていた。
傾いていく夕日に数多の建造物、特に背の高い時計塔が影を伸ばし、街を闇に落としていく。不意に、その朱色の景色に俺と同じように目を奪われ、道の真ん中で立ち止まっている少女の姿が視界に映った。
なぜか、上手く理由を説明できないのではなく、そもそもの原因がないのに、俺はその子の背中から目を外せなくなっていた。混乱しながら何度か目を擦ると、既にその子の姿はそこにはなく、また、夕日もすっかり山脈の向こうへと姿を消してしまっていた。
ちなみに、あそこに見えているのが例の<リーネイツ山脈>という奴で、成程こんな遠く離れた場所から見えるのだから、超えようものなら痛い仕打ちを受けるに違いないと苦笑する。そんな途方もない場所へ、俺はそう遠くない内に登ろうとしているのだから、これがまた笑えてしまう。
「どうだ、グレイソルの夕日は綺麗だろう」
自信満々にそう告げるミリオニアスさんは、しかし町並みに背を向けていた。俺が全く目を離せなかったと返すと、そうかそうかと嬉しそうに頷いていた。
「今日はありがとうございました。色んな所に連れて行ってくれて」
「いやいや、礼を言いたいのはこっちの方さ。俺じゃあのワイバーンは倒せなかっただろうからな。生徒や乗客を救ってくれたにしちゃ安いかもしれないがな」
「その、少し気になっていたんですが、普通のワイバーンとワイルドワイバーン。どんな違いがあるんですか?」
ふむ、と言った様子で彼は表情を正すと、膝の上に両手を乗せて語り始めた。
「まあ先ずは大きさから違うな。普通のワイバーンの大きさは精々馬車一台より大きいくらいだ。だが、あの時お前が倒したワイルドワイバーンは…………そうだな、通常の二倍以上はあった筈だ。体が大きけりゃ当然力も強いし、単純に力比べならドラゴンに勝らずとも劣らずってところか」
しかし、と指を立て、続ける。
「奴が厄介なのは図体がでかいからじゃない。野郎は相手の持つ魔力を、絶えず吸収し続けるなんていう、それはそれは厄介な特性を持ってやがるんだ」
「魔力吸収? 接触されたら、とかですか?」
「いや、聞いた話だが可視範囲内にいれば、既に吸収対象として認知できるみたいだ。魔力は魔法使い…………俺みたいな魔法主体の奴らにとっちゃ生命線みたいなもんだ。
おまけに体表は馬鹿みたいに堅いし、並の魔法じゃビクともしない。だからお前が奴の首を半分くらいまで切り裂いているのを見た時は吃驚したぜ。あれ、一体どうやったんだ?」
「まあ、色々と……」
適当に答えて置きながら、再び町並みへ視線を落とす。
ということは、あの時かなり早く魔力切れを起こしてしまったのは、別に加速魔法中に強化の魔法を使っていたからだとか、そういう訳ではなかったのか。
しかし、まさかそんないやらしい能力を持った魔物がいたなんて、正直そっちの方が驚きである。今までは魔法、特に燃費の悪い加速魔法ばかりに専念していたので、正に今の俺にとって天敵と言える存在だ。
次にそんな魔物と遭遇した時、もしもそれが消耗した後だったりしたならば、間違いなく命はないと考えていいだろう。
そんな事態に陥らない為にも、それ以外の戦闘技術を磨かなければならない。つまり、武器の扱いに慣れなくてはならない訳だ。
魔法は確かに強力だ。魔法が使えない者と使える者が戦えば、間違いなく後者が勝利を治めるだろうと断言できる程、便利で優秀だ。
しかし、結局それだけでは駄目だということが、今日のミリオニアスさんの話でやっと分かった。
黄昏時の闇風を全身に浴びながら、遠い山脈の先を見つめる。
あと六日。やれるだけの事はやりたい。そのためにも、準備と訓練には今までより一層打ち込むつもりだ。