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冥府・閻魔庁にて

作者: はな
掲載日:2026/08/02

死者の長い列は、三途の川を越えてなお続いていた。


一人の男が閻魔大王の前へ引き出される。


「名を申せ」


男が名乗ると、閻魔は分厚い帳面を開いた。


「さて、一つ尋ねる。生前、お前はパワハラをしたことがあるか」


「ありません。」


男は即答した。


「では、『パワハラ』という言葉を作った者を知っておるか。」


「知りません。」


「その者の著書や論考は読んだか。」


「読んだことはありません。」


閻魔は静かに頷いた。


「つまり、お前は本来の意味を自ら学んだことがない。」


男は反論する。


「ですが、会社の研修でもニュースでも聞きました。」


「聞いただけで理解したつもりか。」


閻魔の声が法廷に響く。


「本来の意味を知らねば、自らの行動を注意することも、反省することもできぬではないか。」


男は黙り込む。


「目の前でハラスメントが行われていても、それと気づかなかっただけではないか。


あるいは、お前自身が加害者でありながら、自覚がなかっただけではないか。」


男の顔から血の気が引く。


「知らぬことを、知っているかのように語る。


よって、お前は嘘つきだ。」


閻魔は獄卒に命じた。


「舌を引っこ抜け。」


男の悲鳴が地獄に響いた。


閻魔は次の帳面を開く。


「次。生前、セクハラをしたことがあるか。」


若い女が前へ出る。


「ありません。」


「では、セクハラという言葉の成り立ちと、本来の意味を説明できるか。」


女は俯いた。


「……できません。」


「その意味を知らねば、被害者の苦しみに気づけぬこともある。


逆に、誤って他人を加害者と決めつけることもある。」


女は何も言えない。


「知らぬまま断言した罪は同じ。」


獄卒が舌を引き抜く。


最後に、一人の老人が現れた。


「職業は。」


「社会保険労務士でございます。」


閻魔の眉がわずかに動く。


「ほう。労務の専門家か。」


老人は少し胸を張った。


「では尋ねよう。モラハラをしたことはあるか。」


「一度もありません。」


「提唱者の著作を読んだか。」


「読んでおりません。」


閻魔は深いため息をついた。


「専門家を名乗りながら、自ら原典を確かめなかったか。」


老人は汗を流す。


「モラハラの本当の意味を知らねば、加害者と被害者を逆に考えてしまうかもしれぬ。


救うべき者を責め、責めるべき者を守ることにもなりかねん。」


老人は崩れ落ちた。


「知らぬことを『知らぬ』と言えず、知ったかぶりで仕事をしてきた。その罪は重い。」


閻魔は静かに命じる。


「舌を引っこ抜け。」


三人の亡者は皆、言葉を失った。


閻魔は独り言のようにつぶやく。


「人間は、知らぬことよりも、知らぬまま断言することを恐れぬ。」


その日、最後に現れた亡者だけは違った。


「パワハラをしたことはあるか。」


「……分かりません。だからこそ、生前もっと学ぶべきでした。」


閻魔は初めて微笑んだ。


「ようやく、本当の審判を始められる」

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