007 揺れる足音・後編
霧はまだ、町を包んでいた。
いつもより静かな朝。
通学路の交差点も、足音も、少しだけ鈍く響く。
少女はホームの端に立っていた。
家を出たときは行くつもりだった。
ここまで来たのも、その気持ちの名残だった。
(……行かなきゃ。わかってる。けど……)
ほんの少しだけ、世界が止まってくれたようなこの霧の中で。
なにも考えなくていい空気に、もう少しだけ、身を委ねていたかった。
制服のポケットに入れていた、くしゃくしゃのプリントを指先でいじる。
遠くから、電車の到着を告げる音が聞こえた。
けれど、彼女は動かなかった。
霧に包まれたホームで、ただ静かに立ち尽くしていた。
電車は、彼女を乗せることなく扉を閉じた。
そして、ゆっくりと走り去っていった。
少女はただ、白くけぶる空を見上げていた。
(……今日は、止まっていたい)
その思いが、霧となって町を包んでいた。
* * *
靴音だけが、霧の道に響いていた。
その音はまっすぐに駅を目指していた。
少年は走っていた。
誰かに言われたからじゃない。
何かに追われているわけでもない。
ただ、どうしても走りたかった。
この霧の中でも、ちゃんと自分の足で前に進める気がした。
視界は悪く、空気は湿っていて、体は重かった。
それでも、不思議と怖くはなかった。
(……何のために走ってたのか、やっとわかった気がする)
白い問題用紙が待っている。
その向こうにある“結果”も、“評価”も、たぶん怖い。
だけど──今日は、それを受け止められそうだった。
踏切の音。駅の入口。
息を切らしながら、霧の中で小さく笑った。
(今日は、自分の足でここまで来た。それだけでいい)
にじむ電光掲示板を見上げながら、少年はそう思った。
* * *
電車がホームに滑り込んだ瞬間、霧の向こうに人影が見えた。
向かいのホーム。そこに、ひとりの少女が立っていた。
白くけぶる空を見上げるその姿は、まるで霧と溶け合っているようだった。
少年は思わず目を奪われた。何かを話すわけでも、手を振るわけでもない。
ただ、そこに“とどまっている”ということだけが、なぜか強く胸に残った。
(……止まることも、ちゃんとした選択なんだな)
発車のベルが鳴る。電車が動き出す。
少年の視界から、少女の姿が静かに遠ざかっていった。
霧の下で、重なることのない足音が、それぞれのリズムで響いていた。