part15
左手にシュークリームの箱をしかと握りしめながら右手でこんこんとノックをする。
時刻は十二時半きっと彼らは食事中だろう。
「どうぞ」と鈴を転がしたような声が聞こえる。
声の主は例の理事長の娘だろう。
「失礼します」清はそういい、引き戸に手をかける。
期待通り三人はそろっていた。
どうやら食事はすでに済ましてしまっていたらしい。
そちらの方がこちらも気後れしなくて済む。
「またですか」
不肖の妹がそういいため息をつく。
こちらの要件は理解しているようだ。
「すまないな。どうにも手をこまねいていてなお前の力を貸してもらいたい。ほら、シュークリームを買ってきてやったぞ」
「高校生にもなってシュークリームごときでは喜ばないですよ」
肩をすくめながらそいう玖音。
「わ~~! それ駅前に新しくできた洋菓子店の超人気なシュークリームでしょ。清さん僕の分もありますか?」
嬰児のように目を輝かせる葵。
「そうですね。シュークリームは甘くて冷たくておいしいですよね。ほかの菓子ならいざ知らずシュークリームを選り取るとはいい趣味じゃあないですか。兄さん」
早すぎる前言撤回。
相変わらず不肖の妹は彼に弱いらしい。
「もちろんあるさ。全部で四個あるが全部葵が食べてもいい」
兄のほうも似たようなものだった。
「一個で十分ですよ。ありがとうございます」
「それでまた厄介ごとを玖音に頼みに来たんしょう。さっさと本題に入りなさいな。昼休みが終わってしまうわ」
この教室をミステリー研究部と名をうち、理事長の娘という権限で部員人数も足りていないのに不当に占拠する彼女、望月真昼が清をせかす。
「これは八月十五日のことなんだが」
そういい清はことの詳細を話し始めた。
八月十五日、世間はお盆休み真っ只中というのに、佐原清は後輩を一人連れて事件のため駆り出されていた。
「今回の事件割と複雑なんですよね。事件が発覚したのは今日未明午前三時、被害者の妻、というかこの方も被害者なんですが、斎藤優香さん二十四歳が何者かに寝床を襲われたらしく、幸い彼女は無事でケガも微々たるものだったのですが、犯人には逃げられてしまいました。そしてすぐに駆け付けた人たちと共に安全確保のためその家にいた者たちを起こして回っていったのですが彼女の夫、斎藤義人さん六十五歳が何者かに刺殺されているのを発見、すぐに警察へと連絡。そして私たちも駆り出されたというわけです」
清はゆっくりと高速でパトカーを走らせる。
サイレンは鳴らしていない。それでも周りの車が遠慮がちに走るのを感じる。
誰だってパトカーが走る前で速度制限を破らないだろう。
税金泥棒とは揶揄されながらもこうして抑止力になっているのだから日本の警察はまだそこらの周辺国と比べても威厳は保っているだろう。
「それにしてもすごい年の差の夫婦だな。四十歳以上歳が離れているなんてなかなかないぞ」
清はちらりとも横を見ずに後輩の七條六花へと声をかける。
「あんまり言いたくはないのですが……、被害者の斎藤義男さんはかなりの資産家だったらしいですよ」
六花は暗に遺産目当てだったのではと提言する。
そう邪推することが褒められたことではないことは清も分かっているが、現場の状況からして身内による犯行の可能性が高い。
こうした下賤な疑いもしなければならないのがこの職の玉に瑕なところだ。
「身内の犯行が高いとみなされている最たる理由が直接的な死因は毒による中毒死ということだよな?」
「はい、そうですね。彼の体内とそばにあったワインから毒が検出されました。毒を飲ますには自身で飲んでもらわないといけませんから、当然刺されたのは毒を飲まされて死んだあとということになりますね」
六花がそれについて同意、補足する。
どうしてわざわざ毒殺したあとに刺したのか。
「普通に考えると、よほど彼に恨みを持っていたのか。それとも犯人は臆病で確実に殺した保証が欲しかったのか。毒だと死んだか生きているかいまいち分かりづらいもんな」
事件のすり合わせをしていると目的の場所が見えてきた。
「でかい屋敷だな」
事件があった屋敷はとある高級住宅街の一等地にあった。ほかの区画では所狭しと住宅が立ち並んでいるのにその屋敷の周りに住宅はない。これはその土地の一番の有力者が彼だということをしめしているに他ならない。
「さっきも言いましたが被害者かなりの資産家だったらしいですよ」
資産家といって真っ先に思いつくのはちょっとした縁のある望月真昼だ。
正確には彼女の父、望月人識とその望月家ということだが。
斎藤という名は聞いたことがない。
おそらくは地元に根付く地主や個人での投資をして成り上がったのだろう。
学校を建てたり、多岐にわたる子会社を持っていたりする望月家とは格が違うといったところだ。
「どうしましたか、先輩? ほら、早くいきましょうよ」
六花は休日出勤に文句をおくびにも出さないし、実際いやと思っていないだろう。
今日も事件を解決してお国の役に立とうと奮起している。
有り余るやる気と元気で空回りしそうなこの少女は昔の自分とよく似ている。
「行くか」
清は思い出された昔の青い記憶に苦笑いをした。
そして気持ちを入れ替えるため、背広のポッケに突っ込んでいた手を取り出し、枯山水の石の上を歩いていく。
「お待ちしておりました。お二人方」
清と六花が広い屋敷に入ると給仕らしき女性に迎えられる。
膝を折り曲げ床に手を付けるその様は完全に旅館の女将然としたものだった。
しかし、服装は和服ではなくどちらかというとメイド服よりひらひらとした裾ではあるが、従来のメイド服のように白黒な派手なものでなくむしろこの屋敷とマッチするような給仕服といったような感じだ。
清は若作りな人だと思った。
この人、目黒芳江さんは四十八歳ということらしいのだが全くそうは見えず三十後半に見える。
清がそんなことを考えていると横腹を小突かれた。
「何、見とれているんですか」
六花は目の前の彼女には聞こえない位の小声で清に文句を言った。
どうにも不機嫌なようにも見える。
「別に見とれてたわけじゃないって。そりゃあ若作りだなとは思ったけどさ」
六花は「どうだか」というとすぐに本来の職務に戻るべく目黒に向き直った。
「わざわざお出迎え感謝します。どうか顔をお上げください。我々は警察官なのでそのような待遇を受けるものではありません」
「分かりました。それでは皆様のもとへと案内させていただきます」
清と六花は礼をつげ、彼女に案内された。
「皆さま警察の方々をお連れしました」
清と六花はこの屋敷の渡り廊下を渡った先の広間へと連れられた。
この屋敷は広いためか渡り廊下を経だって二つに分かれており、彼らと合流するには少し歩く必要があった。
「お忙しいところすいませんね。ささ、どうぞ座ってください」
「失礼します」
清らは進められるがままに腰を下ろす。
「お名前を伺ってもよろしいでしょうか? 皆様の名前は既に知っているのですが、誰がどの人かまだ区別がつけてない人もいますので」
「これは失礼、僕が長男の斎藤輝人です。遺体の第一発見者でもありますね」
輝人は柔和な笑みを浮かべると清に握手を求めてきた。
「どうも、よろしくお願いします。このたびはお悔やみ申し上げます」
清は握手に応じると典型文を述べた。
「刑事さん、そんなの気にしている奴はここにはいないと思うぜ。俺なんかは清々しているほどさ。ちなみに俺は次男の斎藤賢人だ、よろしくな」
あけすけにそういう彼は次男の斎藤賢人らしい。警察相手によく自身の心の内を正直に話せるものだ名前と違ってあまりよく考えない性格らしい。
「兄さん、馬鹿じゃないの? そんなの今この場で話したら疑われるに違いないじゃないか」
「兄さん」ということは三男の斎藤雄人だろう。
「お前こそわかっていないな。どうせ少し調べれば俺たち兄弟がやつのことをよく思っていなかったことがばれるんだ。むしろやつへの敵愾心を隠していた方が疑われるんだから先に言っておいた方が得だ」
どうやら疑われないために逆に本心を話したらしい。
別に阿呆というわけではないらしい。
「理屈は分かるけどさ……。死んでくれて清々してるとまでは言わなくてよくない? 不謹慎だよ。あ、僕は三男の斎藤勇人ね。そしてこっちが妻の斎藤塔子と僕の可愛い息子の斎藤勇人ね」
「妻の斎藤塔子です。よろしくお願いします」
温和そうな夫とは違い、明らかに警察に怯えている。
「そちらのお子さんは斎藤空太君かな?」
清はできる限り威圧感を与えまいと笑顔でそう尋ねるが……。
「……ぷい」
すぐに塔子の後ろに逃げてしまった。
いやさ、これぐらいの年の子はそういう癖があるのは分かるけどさ、実際に逃げられると何か心にくるものがあるね。
「ふふ、先輩逃げられているじゃあないですか」
「おかしいな。子供には割と好かれやすい方なんだかな」
地域交流の一環で近くの小学校や幼稚園にお邪魔した時はみんなになつかれて気分が良かったんだが。
ちなみに子供に好かれやすいナンバーワンは葵でなにかそういうフェロモンを出しているとしか思えない。
わが妹の玖音は残念ながら歯牙にもかけられない。葵を羨ましそうに見つめては隅でいじけている。葵が子供を連れてくる待ちだ。
かの理事長の娘、望月真昼は子供には興味を示さないが、皆となじめず葵のもとへといけなかった子達の受け皿だ。
「先輩はどちらかというと童顔な方ですからね。まあ見ていてください」
自信満々にそういう彼女は塔子の後ろに隠れた空太君に向かって猫撫で声で声をかけた。
「空太くーん。お姉さんとお話しませんか?」
「とうちゃーん」
ついに空太君は泣きべそをかいて彼の父へと向かって行ってしまった。
あまりのことに清は笑いを禁じえなく、小さく噴き出すと案の定六花に小突かれた。それも手をグーにして関節のところを立てて小突いてきた。
「違いますから。先輩の分が蓄積していたんですよ。絶対に私のほうが先輩よりも怖く見えるとか絶対違うから」
いつもはりりしく見える彼女だが、今にも泣きだしそうでガチで落ち込んでいるらしかった。
「空太くーん、逃げちゃダメでしょう。ほら挨拶しようね」
空太君は父にだっこされすぐに泣き止み、父の胸から顔を離し、清らに向かい少し頭を下げ挨拶をした。
「すいませんね。そういう年ごろなもんで。六花さんが美人で委縮しちゃったんだと思いますよ」
「そうだったらいいんですけど……。若干へこみます」
「俺もそうだと思うぜ。恥ずかしかったんだって」
そうフォローする清だったが当の空太君が首を傾げていたのを見逃さなかった。
「塔子、空太を頼んでもいいかな? あんまり話を聞かせたくないから」
「分かった。お庭で遊んでおくね」
清としても空太君を話の輪から外してくれるのは助かった。物心ついているいかどうかという年齢の子供にこういった話は聞かせるべきではない。
「ということはあなたが斎藤優香さんですね」
六花は気持ちを入れ替えるためかぱんと両手で頬を挟み、職務へと戻る。
「そうですよ」
優香は自身のスマホから目も離さずに肯定の意を伝える。警察相手に随分とふてぶてしいものだ。
「人が死んでいる状況でこんなことを言うのも不謹慎かもしれませんがあなたが殺されなくてよかったです。当時の状況を詳しく教えてもらってもよろしいでしょうか?」
清らがここへとついてから初めて彼女はスマホから顔を上げ答えた。
「話なんか聞いても無駄よ! 私は亡霊に襲われたのよ。そうだわ、そうに違いないんだわ!」