第7話 動物愛「誤」
§1 ペット可
「犬も泊まれますか」
という問い合わせだった。
「どうぞ、ワンちゃんと一緒に、いらっしゃってください」
明子は答えた。中年女性の声だった。四国に住む。水曜日の午後、電話の後ろで犬の鳴き声がしていた。
ミニチュアダックスフンドだった。
「クルマ酔いしたみたい」
女性が様子を見ている。ケージを開けると、小さな仔犬がフラフラと出てきた。
夕方には仔犬も元気を回復した。
民宿の庭をドッグランよろしく駆け回っている。トカゲを見つけて吠えている。ちょっかいを出そうとして、逆襲されたのか、後ろに飛び退った。相手がネコだったら、トカゲはとんだ災難に遭うところだった。
「さあ、ご飯にしましょ」
女性は用意してきた食器にドッグフードを入れた。
「ご主人。お水いただけますか」
漣に声をかけた。隆がすぐに水を汲んできた。
「フードを水に浸すと、満腹感が出るみたいなのよ」
女性がいたずらっぽく笑った。
§2 寂しがり屋
女性も夕食を終えた。
網戸から風が入ってくる。昼間は猛暑でも、山間部には一足早く、秋が訪れようとしていた。
隆が仔犬と遊んでいる。
奥さんが用足しに行った。仔犬は奥さんの行方を見守っている。しばらくして
「クーン、クーン」
と切なそうな声を上げた。
「寂しかったの」
トイレから戻り、女性は仔犬を抱きしめた。
「この子、捨て犬だったのよ。県の動物愛護センターに保護されていたの。毛は抜けていたし、元気もないので、里親になる人がいない。処分される寸前だったの」
仔犬は、女性の膝にちょこんと顎を乗せている。
§3 癒えぬ傷
三年前に、一五年間、一緒に暮らした愛犬が亡くなった。
(もう犬は飼わない)
そう決めていた。犬との別れは耐え難かったからだ。テレビで保護犬の番組を見て、決心が揺らいだ。動物を虐待したり、イジメたりする人間の気が知れなかった。
「そんな人間の罪滅ぼしをしよう」
女性は愛護センターを訪ねたのだった。
「ウチに来てもね、部屋の隅で震えているの。食事もあまり摂らない。よっぽどひどい目に遭ったのね。
『この子、このまま死んでしまうのじゃないか』
って、ほんとに心配したわ。優しく目を見てやって、話しかけていると、徐々に反応するようになり、お腹が空くと、自分からおねだりするようになったのよ」
女性は仔犬の頭を撫でた。
漣も明子も、庭を駆け回っていた仔犬に、そんな過去はみじんも感じられなかった。
§4 愛玩の果てに
女性によれば、わが国ではペットとして犬がおよそ七〇〇万頭、猫がおよそ九〇〇万頭、飼われているとのことだった。
一方、厚生労働省の統計では二二年度に、保健所や動物愛護管理センターで引き取った数は約五万三千頭(犬約二万二千余、猫約三万余)にのぼる。
このうち、飼い主不明が約四万一千頭(犬約二万頭、猫約二万一千頭)だが、飼い主から預けられたものも一万二千頭あまり(犬約三千頭、猫約九千頭)いる。
飼い主は成獣を預けることが多い反面(幼獣の約四倍)、所有者不明、つまり捨て犬・捨て猫では幼獣が成獣を三千頭あまり上回っている。仔猫・仔犬がたくさん捨てられているのだ。
うち、約三万二千頭(犬約一万二千頭、猫約二万)が里親などに譲渡されているが、殺処分された犬猫は年間一万二千頭(犬約二千余、猫約九千余)にのぼっている。
驚くべきことに、殺処分数が一二〇万を超えた時期があった。引き取り数・殺処分数とも減ってきているが、これは動物保護団体の活動が大きい。捨て犬や捨て猫などを保護し、里親を探すことを主目的とするものだ。保健所や動物愛護管理センターには収容能力に限りがあり、一〇日ほどで殺処分されるため、代わって保護などを行う。もはや、これら動物保護団体の存在なくして、わが国の動物愛護管理行政は立ちいかないのが実情だ。
§5 犬もいろいろ
殺処分――。なんというおぞましい言葉だろう。
漣も明子も、ため息しか出なかった。
二人で仔犬を撫でてやった。
「よく、生きててくれたわね」
明子が声を詰まらせた。
翌朝、隆が仔犬を森に連れて行った。
ちょこちょこと隆を追いかける。そのうち、森から仔犬の鳴き声が聞こえてきた。森の誰かと話しているのだろう。
「また、連絡します」
女性がクルマのエンジンをかけた。後ろの座席から背伸びして、仔犬がいつまでも漣一家を振り返っていた。
タヌエからキノコをたくさんいただいていた。鍼灸師にもおすそ分けすることにした。
治療院の駐車場にクルマを入れると、いち早く盲導犬・エヴァンが反応している。鍼灸師がなだめる声もする。
エヴァンは大阪の盲導犬訓練所の生まれだ。一年近く、パピーウォーカーさんのもとで、愛情いっぱいに育てられ、訓練所に戻って盲導犬として訓練を受けた。二歳で盲導犬デビューし、今年六歳になった。
同じ日に生まれたきょうだいが六頭いる。うち四頭が盲導犬になった。弟が同じ徳島県内にいる、と聞いたことがあった。
§6 引退、その後
「訓練を受けて、盲導犬にならなかった犬はどうしているのですか」
漣にふと、疑問が湧いた。
「キャリア・チェンジ犬といって、主に家庭犬になるようです。中には補助犬の仲間の介助犬になって障害者を助けている犬もいます」
鍼灸師の説明だった。
「ねえ、先生、エヴァンは先生みたいにおじいちゃんになったら、お仕事はどうするの?」
隆が訊いた。
(まあ)
漣と明子は慌てた。
「引退したら、優しい里親のもとで、のんびり暮らすんだよ」
鍼灸師が隆に教えている。
「里親? あのおばちゃんは捨て犬の里親だったよね」
この話、鍼灸師に詳しく説明する必要があるな、と漣は考えた。また、あることについて、鍼灸師の考えもうかがいたかった。
残念ながら今回は、岡山行きの特急の時間が迫っていた。治療院からJRの駅までは、一〇近くかかる。