第6話 拒否反応
§1 バードウォッチング
近畿地方からの子連れ客だった。
子供は保育所に通っていた。民宿に着くなり、クルマから飛び出してきた。隆が相手をしている。
「鳥が賑やかやなあ」
夫婦で空を眺め、耳を澄ませている。
「ママ。『シーチキン』って鳴いてるよ」
子供が母親の手を揺すっている。
「なるほど『シーチキン』と聞こえるなあ」
子供の耳に漣は感心した。
「あれはヨシキリですよ。ペチャクチャと、けっこうおしゃべりな鳥でしょう。裏の森に行くと、フクロウやヤマドリ、キツツキなど、いろいろな鳥に出会えますよ」
漣がガイドした。
「ボク、森、行ってみたい」
子供がせがむので、隆が手を引いて森に向かった。
§2 報告会
「お食事は何か苦手なもの、ありますか」
明子が母親に訊ねた。
「あの子、牛乳アレルギーなんです。それだけ、お願いします」
夫婦は入浴セットを手に、河原の露天風呂に入りに行った。
子供はこぼしながら、よく食べた。
「あのね、『ココココココ』って鳴いたり『ホー、ホー』って鳴いとるのもいたよ。ボクらのことキョロキョロ見とったよ。それからっと…」
キツツキのドラミングとフクロウの鳴き声を起用に真似た。少し言葉の発達は遅れているようだった。
「そう、そんな鳴き方やったん。上手やねえ。『ホー、ホー』鳴くのはフクロウや。こんな顔しとったやろ」
父親が顔の前で輪を作った。
「パパ、そっくりや」
子供が父親の格好に笑った。目をしばたたかせている。
「それからねえ、隆お兄ちゃん、タヌキと話ができるんだよ。タヌキ、笑うとった。イノシシもいたんだよ。ボク、全然、怖くなかったよ」
さすがに、タヌキの話だけは、子供の両親も聞き流していた。
長い夕食を終え、隆は子供を座敷に連れて行った。コマやオハジキなど、おばあちゃんが遺してくれた昔のおもちゃで遊ぶつもりだ。二人は盛り上がっていた。
§3 思い当たること
「よかった。あんなにはしゃぐの久しぶりやね」
奥さんが旦那さんに話しかけた。
「そうやな。四国、来てほんまによかったわ」
旦那さんがしみじみと言った。
「どうする? 保育所、辞めさせる?」
奥さんをうかがった。
「そうやねえ…。私も働かんといかんし、もうちょっと考えてみる」
漣がお膳を下げにきた。
「保育所ですか。ワーママ(ワーキング・ママ)は大変ですよね」
漣が言うともなく言った。
「いや、まともな保育所ならよかったんやけどなあ」
母親は肩を落とした。
「あの子な、少し発達障害があるんよ。音楽は曲を何回か聴くとすぐ歌えるのやけどど、言葉があんな感じ」
母親は隆たちの声のする方に顔を向けた。
「そうですか。素晴らしい音感を持ってますよね」
漣は正直な感想を述べた。
「保育所では保育士に、言葉のことで、からかわれてなあ。それに、牛乳アレルギーがあるって伝えとったのに、無理やり牛乳、飲まされて。吐いたら、保育士に頭を叩かれ、吐いたもの口に流し込まれたんよ」
母親の話だった。
迎えに行くと、息子は泣いていた。帰って事情を聴いた。信じられなかった。すぐにでも保育所に抗議したかった。しかし、気になることがあった。息子がしきりに目をパチパチするようになっていたのだ。
眼科で診てもらった。医者は「目に異常はない」という。
「チックですよ。何か、ストレスになるようなことはないですか」
と訊かれた。思い当たることは一つしかなかった。
§4 全幅の信頼
息子は保育所に行くのをぐずるようになった。保育所の前をクルマで通りかかるだけで、チックが出た。
旦那さんは保育所の所長に訴え出た。
「ウチにはそんな保育士はいません」
所長は言い切った。話にならなかった。
奥さんは知り合いのママさんたちから、情報を集めた。虐待・イジメに遭っていたのは、息子だけでなかった。
こぼしたり、吐いたものを食べさせられるのは日常茶飯事だった。しつけと称しているらしい。風邪を引いた子の鼻水を「ウイルスやで」と、ほかの子に擦り付けたりもしていた。
所長は町の名士だった。保育所には長い歴史があり、所長は功労者として表彰されたこともあった。身近なところで起きていることを、知らないはずがなかった。
「こんな状態やから、言うてもムダなんよ」
奥さんはあきらめ切っている。
§5 泣き寝入り
「もうええです。遠いところでもええんで、まともな保育所、探します」
旦那さんの心は決まっているようだ。
「保育所を替わるのは、あの子のためにもいいでしょうね。ただ、黙っていると、第二・第三の被害者が出ますよ。その保育所の関係者だれ一人として問題を自覚していないのですから。保護者の誰かが声を上げるべきだと思います。相談する先はいくらでもある。中には親身に話を聴いて対応しくれるところもあるはずですよ」
漣の言葉に熱がこもっていた。
(こんなことが繰り返されて、たまるか)
漣はやり場のない怒りを感じた。
§6 遊び疲れ
「はあ、もう、疲れた。けど、面白かった」
子供が体をくたくたにして、父親にもたれかかった。
「隆お兄ちゃんな、コマ回すのうまいんだよ」
「コマ買ってきて、パパとお家で遊ぼうか。パパかて、うまいで」
いろいろ話しているうちに、子供は眠気を催してきたようだった。
「お世話になりました。保育所の友達とも相談してみます。どうせ、訴えて調べてもらっても『不適切保育やイジメは確認できなかった』なんてことになるやろうけど、とにかく親が声を上げんと、何も解決せんことがよう分かりました」
夫婦は深々と頭を下げた。
子供と隆は納屋にいるみたいだった。古いおもちゃでも探しているのだろう。
「真ちゃん、帰るよ。お兄ちゃんに、さよならしなさい」
なかなか出てこないので、母親がクルマを降り、納屋に入って行った。納屋は子供たちの、宝の山だった。