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第5話 過ぎたるは


 §1 別世界

 横浜在住の夫婦だった。四〇台半ばで、子供はなかった。

「僕はこういう田舎に憧れるなあ」

 クルマを降り、旦那さんが深呼吸している。

 奥さんは民宿の建物に関心があるようで、ためつすがめつ眺めている。聡明そうな顔つきだった。

「こういう家って、管理が大変でしょう。電気や水道は、どうしているのですか」


 漣はここがおばあちゃんの住居であったこと、週末だけ民宿を営んでいること、水は湧き水、電気は下の松尾川で小型水力発電をしていることなどを話した。

「水力発電? エコでいいなあ」

 旦那さんが漣に何キロワットかと、発電量を訊ねた。

「湧き水って、水質は大丈夫なんですか」

 奥さんは水が気になるようだった。

「後でお茶をお出ししますけど、皆さん、お茶がおいしいって言ってくださるのですよ」

 言いながら、明子は夫婦を屋内に案内した。


 §2 辛口

「うん。確かに、お茶がおいしいですね。水が違うのかなあ」

 旦那さんは感じ入っている。

「そう」

 奥さんの方は、それほどでもなさそうだった。


 夫婦が露天風呂から帰ってきた。肌がすべすべになったと、旦那さんがうれしそうに報告した。

 くつろいでいるところへ、隆がビールを持って行った。

「あら。ありがとう。何年生?」

 隆が小学四年です、と答えた。

「小学生で家の手伝いしてるの」

 奥さんは、隆の頭の先から足の先まで見た。


 夫婦の前に、次々と料理が出された。

 旦那さんは一つ一つにコメントした。奥さんは横浜で行く店の雰囲気や味を論評している。かなりの辛口だった。


 §3 教育は大事

 隆が庭先に気配を感じた。

 上着を引っ掛け、小走りに廊下を駆けて勝手口に行こうとした。

「こんな時間に出かけるの」

 旦那さんの声に、隆が立ち止まった。

「うん。友達と遊ぶの」

「へえ。ほかにも人間がいるんだ」

 旦那さんは驚いている。

「人間じゃないよ。ツッチ。ツチノコさ」

 旦那さんがぽかんと口を開けた。

「もう四年生でしょ。早く、おとぎの世界から卒業しなきゃ」

 奥さんはピシャリと言った。


「お食事がお済みのようで。片づけさせてください」

 漣がお膳を台所に運んだ、

「どうも、息子が変なことを申し上げたようで、お恥ずかしいかぎりです」

 漣はとりあえず謝っておいた。

「いいんですよ。でも、教育ってほんとに大事よね」

 漣は笑顔で聞いていた。


 §4 父親似

「ふだんはサラリーマンですか」

 旦那さんが話題を変えようとした。

(神経が細やかな人だな)

 漣は思った。

「ええ、事務屋ですよ。オフィスが様変わりしまして、事務屋なんて言葉はもう古いですよね」

 二人は笑った。


「ある意味、仕事は楽になったけれど、職場の人間関係はますます複雑になっていますよね」

 聞きながら、どこも難しい問題を抱えているんだ、と漣は思った。


「あの若い女の子、どうなったの」

 奥さんが訊いた。少し(とが)め立てするような感じがあった。

「相変わらずだよ、全く。仕事、頼んでも『それは私のやることではありません』『時間がありません』だからなあ」

 関係がうまくいっていない部下が、いるようだった。

「そんなのは、みんなでイジメて追い出してやればいいのよ」

 いかにも奥さんの(かん)(さわ)る人物のようだ。

 漣の一瞬の表情の変化を、旦那さんは見逃していなかった。


 奥さんが用足しに行った。

「済みません。父親が厳しかったんです。妹は母親みたいにビクビクした性格になり、あれは父親そっくりになってしまいました」

 旦那さんはそれだけ、早口で漣に伝えた。


 旦那さんがトイレに行った。長かった。

「満天の星ですね。星に手が届きそう」

 外を歩いていたようだった。

「山の上の方に住む子供たちは、庭に置いてある竹ざおで、星を叩き落としたという話ですよ」

 漣は父親から聞いた笑い話を披露した。

「それ、面白い! あり得ますね」

 旦那さんがのけ反った。

 奥さんはひとり、蚊帳(かや)の外だった。


 §5 早朝散歩

 夫婦が早朝の散歩から帰った。

「ずいぶん大きな森があるんですねえ。あそこなら動物もいっぱいいるでしょう。バードウォッチングなんかいいだろうなあ」

 アウトドア派らしい旦那さんは、すがすがしい顔をしていた。

「私、こういうの苦手なの」

 奥さんは蜘蛛(くも)の巣がかかったと、しきりに髪を撫でていた。


「いつの季節が一番いいですか」

 朝食をとりながら、旦那さんが訊いた。

「一年中いいですよ。だけど、冬の露天風呂はいくらなんでも寒いかなあ。父親が子供のころまで、川の水が凍ることも、よくあったようです。奥地で民宿をやっている知人は、冬の間は休業し、旅行したり、勉強したりと、充電期間に当てていますよ」

「それも、いいですねえ」

 これまた、旦那さんには(こた)えられない生活のようだった。


 §6 せっかち

 三人で見送りに出た。

「同僚にも紹介しておきますので、名刺か何かいただけませんか」

 クルマに乗りかけて、旦那さんが振り返った。

 漣は急いで名刺を取ってきた。


「西武線沿線ですか。僕の大学時代の友達も近くに住んでますよ。西武線は、秩父の山に行くとき、よく利用します。あの沿線もずいぶん変わりましたよねえ」

 旦那さんが名刺をポケットにしまいかけた。

「もう。あなた、早く!」

 助手席から奥さんの声が聞こえてきた。

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