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第4話 大奥物語


 §1 おんな独り旅

 若い女性が一人で予約してきた。中国地方からだった。

 女性は民宿に着くと、荷物を預けて散歩に出かけた。


 夕食の時間ぎりぎりに帰ってきた。

「遠くまで行かれましたか。山の上には湿原もあって、皆さんに人気なんですよ。クルマでも行けますよ」

 漣が囲炉裏端に案内しながら言った。

「森をぶらぶら歩いてきました」

 物静かだった。


 漣と隆が料理を運んで、囲炉裏端に並べた。あまり食欲がないみたいだった。

「田舎料理なんです。お口に合いませんか」

 明子が訊くと、女性は顔を横に振った。

 女性は一人になりたいようだった。気を利かせて、漣と明子、隆は台所で控えていた。


 §2 追いつめたもの

「すみません。お薬飲むので、お水いただけますか」

 女性が台所を覗いた。漣が水を運んでいくと、女性は礼を言って、薬袋から錠剤を取り出した。

 薬を飲み、大きくため息をついた。

「もう、死んでしまいたい」

 囲炉裏の、白く灰をかぶった炭火を眺めながら、洩らした。


「大変なことがあったのですか。何のお力にもなれませんが、よろしければ、聴かせてください」

 漣は女性の目を見た。

 長い沈黙があった。

 女性はバッグからハンカチを取り出し、目に当てた。

「パワハラです」


 §3 憧れの職業

 この春、看護専門学校を卒業して、県内の公立病院に就職した。

 看護師は憧れの職業だった。高校を中退していたので、通信制高校に入り直して高校の卒業資格を取った。専門学校の学費はアルバイトをして貯めた。この間、熊本地震の災害ボランティアに参加したこともあった。

 看護師の資格を取って、就職が決まり、家族も喜んでくれた。

(今まで心配かけてきた分、お返しをしなければ)

 と密かに期するものがあった。


 希望どおり、リハビリ部門に配属となった。

 新人研修が始まった。新しく学ぶこともあったが、すべて理解できた。先輩に付いて臨床に出るのが楽しくて仕方なかった。

 一日の勤めが終わり、ロッカールームで着替えをしている時だった。

「あんたねえ、化粧が濃すぎるんだよ」

 研修チームのチーフだった。


 §4 異変

 チーフは、ある同期生には手取り足取り教えていた、女性が質問すると、あからさまに無視された。ある時は「そんなことも知らないの」と大袈裟に驚いてみせたこともあった。

 大事な打ち合わせの日時を知らされなかった。いつものように看護師の詰め所にいると、連絡が入った。

「何やってんのよ。みんなで打ち合わせしているのに!」

 実際、何も知らされてはいなかった。


 クルマで出勤していて、動悸がするようになった。

 職員駐車場にクルマを入れ、病棟へ歩いていて、強いめまいに襲われた。吐き気もした。その日は、携帯電話で断り、そのまま帰ってきた。


「それ以来、家から出られなくなったのです」

 女性は嗚咽(おえつ)した。

「引きこもりになったのですね。お話しするのが辛ければ、無理しないでね」

 明子が(なぐさ)めた。

「いいんです、奥さん。全部お話しさせてください」

 しっかりした口調だった。


 §5 ああ! 人権委 

 よその病院の心療内科にかかった。うつ病と診断され、薬を処方された。

 診断書を提出し、休職することになった。


 孤立無援だったが、一人だけ理解者がいた。看護科長だった。

 その病院は退職者が多いことで有名だった。看護師を中途採用すると、必ずと言ってよいほど、その病院からの転職希望がいる、という(うわさ)だった。


 惨状に、看護科長も頭を痛めていた。科長は人権問題委員会の委員をしていたからだ。科長ひとりの力ではどうにもならなかった。なにしろ、副委員長である看護部長そのものが「お(つぼね)」さんだったのだ。

 女性が委員会に訴え出たことで、会議は持たれたようだった。

 少し体調がよくなったので復職し、配属を替えてもらった。

 廊下でチーフと出会った。

「悪かったわねえ。だけど、あなたにも問題があるのよ」

 最後まで聞きたくなかった。また、動悸がしてきた。

(この病院は変わりようがない。もう辞めよう)

 お世話になった科長にあいさつし、泣きながらクルマを走らせた。


 ずっと、めまい、動悸、吐き気に苦しんでいる。

 仕事は探す気になれない。あの職場がフラッシュバックしてしまうからだ。


 §6 祝宴

「ありがとう。よく話してくださったわね」

 明子だった。

「それに、お泊りいただいて、本当にありがとう。あなたにお会いできてよかったわ」

「ううん。こちらこそ、ありがとうございます」

 女性はしばらく頭を上げなかった。


「明日ね、河原でバーベキュー大会があるの。よかったら、顔を出してみませんか」

 大胆な誘いだった。

「どんな方が参加されるのですか」

 女性が興味を示した。

「森の動物たち」

 漣は反応を注視した。

「うわ。私、動物大好き!」

 大変なことになってきた。


 お昼前、森から動物たちが続々と集まってきた。

 河童は届け物だけして、姿を消した。遠慮深い。

 漣が女性を紹介すると、拍手が起きた。

 明子とタヌエが食材を取り分け、各班が受け取りに行った。バーベキューが焼ける間、女性は動物の子供たちに囲まれていた。質問攻めに遭っていた。幼児語を隆が通訳しているようだった。


 明子が女性に、てんこ盛りの皿を渡した。

「ゆうべ、あまり召し上がってないから、おなか空いてるでしょ」

 女性は食欲旺盛だった。


 §7 ピュア

「あーあ。満腹、大満足! それにしても、動物たちの目って、どうしてあんなに澄んでいるんでしょうね。(いや)されたわ」

 確かに、その通りだった。漣はしばらく考えた。

「それは、タヌエさんの森の動物たちには邪心、よこしまな心がないからではないでしょうか」

 女性は漣、明子、隆の目を順に見て行った。

「うん、なるほど」

 女性が何に納得したのかは、不明だった。


 特急が瀬戸大橋に差しかかっていた。穏やかな海に、夕日がキラキラと反射している。

「お客さん、元気になってよかったわね」

 明子も今回は考えさせられることばかりだった。

「お姉ちゃん、きれいな目してたね」

 隆が話に加わった。

 漣も明子も、女性の目から怯えた表情が消えたことしか、印象になかった。


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