第3話 無理難題
§1 河童顔負け
「お土産や」
青年は釣り用のクーラーをクルマから降ろし、明子の前に置いた。
先々週の日曜、通りがかりに予約していった客だった。
青年がクーラーを開けた。二〇センチ前後、中には三〇センチを上回るものもあった。アメゴである。
「すげえ!」
隆がクーラーを覗き込んだ。
「こんなに釣れるなんて、河童のおじさんみたい」
漣と明子はヒヤヒヤした。ツチノコ騒動ではあれだけハンターに追いかけられたのに、隆はもう無警戒になっている。
話題を変える必要があった。
「釣りが上手なんですね」
漣には釣りの経験がなかった。青年は服装からして違った。上着はもちろん、帽子や靴まで揃えている。まるで、別世界からスリップしてきた人間に思えた。
「いつもは、釣った魚はどうしてるんですか」
漣に疑問が湧いた。
「自分では食わん。みんな近所や知り合いにやってる」
漣には、その心境が分からなかった。
§2 釣り人、名シェフ
青年は明子に、包丁と俎板を持ってくるよう頼んだ。料理法を伝授するという。次々にアメゴの腹を裂き、内臓を取り出していく。
「小さいのは、そのまま塩焼きにした方がええ」
小ぶりな五、六匹を皿に並べた。
アメゴはおいしかった。
たまに河原で森の動物たちとバーベキュー大会を開く。河童が魚を差し入れしてくれるが、料理法はざっくりしたものだった。今回教わったのは、川魚の臭みを消し、特有の淡白な味を残していた。
漣も明子も、川魚の本当の味を生まれて初めて知った。特に塩焼きからはアメゴのほのかな香りが口中に広がった。
隆は小さな口で、かぶりついている。
「どうや、坊や。うまいか」
隆がアメゴを口から離した。
「うん。うめえ! お兄ちゃんは食べないの?」
青年はビールをあおった。
§3 ホームグラウンド
「小学校のころから親父に連れられ、このあたりにアメゴ釣りに来とった。アメゴは食べ飽きた」
豪快に笑った。
「おっ、きれいに食べてくれとるなあ。ありがとう。親父が『人間は自然から、命をいただいて生きとる。何でも感謝して食べんといかん』って、よう言うとった」
「お父さんが近くの出身なんですか」
明子がビーを注ぎながら訊いた。
「実家はJRの駅の近くやった。ワシは一五で家を出たけんどな」
漣はおばあちゃんや父親のことを話した。
「あの頃はまだ、この村に四、五軒、家があったかなあ。親父はおばあちゃんのこと知っとったと思うで」
漣には、青年が赤の他人とは思えなくなってきた。
「河童に会ったことあるの?」
隆だった。
「親父は河童伝説を聞いたことがある、って言うとった。それも、親父が子供のころの話やから、えらい前のことや」
§4 気晴らし
「いいですねえ。週末に、お父さんとの思い出の地で釣り三昧なんて。今の時代、なかなかメリハリの利いた生活は送れませんよ」
漣もたまに知人から、今の生活を羨ましがられることがある。
「いや、そうとは限りません。職場がつまらんから、釣りで忘れておるだけかも知れません」
青年はポケットから煙草を出した。
「吸うても、ええですか」
明子が笑顔で、灰皿を取りに行った。
青年は、とある市のクリーンセンターに勤めていた。仕事場は年配の上司と二人きりだった。
上司は細かいことに口うるさかった。そのくせ、ほとんど仕事は教えず、指示も出さなかった。青年が自分で判断してやっていると、ことごとくケチをつけた。ましてや、ミスなど犯すと、けんか腰で注意してきた。
§5 昼食抜き
数えきれないくらいの新入りが辞めていった。それでも、上部では職場環境、人間関係に問題があるとは考えなかった。
青年は通勤に一時間半かかっていた。クルマでの通勤である。天候や道路事情で職場に入る時間はまちまちだ。始業時刻の三〇分前に入っていないと怒られた。
「ワシの若いころはもっと厳しかったで」
それが口癖だった。
先ごろ、機械のメンテナンスを命じられた。一一時前だった。午後の仕事開始に間に合わせろ、ということだった。
昼休み返上でやっても間に合いそうになかった。それでも、なんとか一〇分前に終わり、昼食をとった。一時になり、青年が急いで弁当箱をしまっていると
「おい。いつまで食うとるんや。利用者が並んどるやないか」
奥で様子を見ていた上司が近づいてきて、いきなり机を蹴った。
この時、青年は決心した。
(もう、辞めよう)
§6 エール
夕方から、厚い雲が出ていた。ポツリポツリと雨音がしていたが、やはり本降りになっていた。
今夜は友達からの誘いもない。隆はもう床に就いていた。
煙草の空箱を青年がギュッとひねり、灰皿に捨てた。
「よく思い切られましたね。あなたなら、これから、きっと明るい未来が開けてきますよ」
漣の言葉に、青年が軽く頭を下げた。
夜半から雷が鳴り出した。雷光が民宿の中まで、真昼のように照らした。
「雷もこのいい加減な世の中に怒っとるのやろか」
言い終わらないうちに、青年の顔が一瞬、真っ白になった。
「いや、今のはあなたへのエールですよ。少し手荒いですけれどね」
青年はまた、頭を下げた。
村の上空に雷雲が居座り続け、森に何個か落雷した。バリンという音とともに、民宿も揺れた。
隆と明子は森の動物たちのことを思った。訳も分からず、怯えているに違いない。
久しぶりにバーベキュー大会がやりたくなった。今度、タヌエに話を持ち掛けてみることにした。
河童が魚を差し入れしてくれるだろう。青年から習ったアメゴのムニエルなどもメニューに加えたくなったが、森の仲間は調味料を使う習慣がないこと忘れていた。
そういえば、動物酒場『けもの』の味に慣れていたイノダやシカヤ、サルタでさえ、最近は淡白な味付けを好むようなっている。青年直伝のムニエルも、あまりウケないだろう。