第1話 不思議の国・四国
§1 賑やか過疎地
四国の村に降ってわいた、ツチノコ騒動が収まった。
タヌエの森の近くでツチノコや河童、ニホンオオカミやニホンカワウソを見かけることが多くなった。
「まあ、タヌキがうまく化けてるわ。やはり、徳島の豆ダヌキは本格的に修行を積んでるわ」
などと、漣の民宿の泊り客は笑って見ている。
小杉漣一家はほとんど毎週末、朝早く、東京の自宅を出て、新幹線で移動、岡山から特急で四国に渡っている。
一家はタヌエの森の入り口で民宿を経営している。近くの河原に温泉が湧いていて、隠れた名湯として、評判だ。
民宿にしている家は漣のおばあちゃんが一人で住んでいた。漣は父親から家屋敷を遺産相続し、初めて訪れて驚いた。村は過疎を通り越して、消滅集落になっていた。おばあちゃんは最後の住人だった。
「こんな山奥で、寂しかっただろうな」
漣は思ったものだった。しかし、おばあちゃんは森の動物たちや河童などと行き来があり、特に河童は親友だったことが後に分かった。おばあちゃんは河童の悩みを聴いてやっていたのだ。
河童は不老不死であるが故に、その肝が珍重され、乱獲された。唯一、生き延びてきたのが、おばあちゃんの友達の河童だった。
§2 お友達
金曜の夕方、漣の妻・明子は買い物に、息子の隆を誘った。
「民宿の調味料が切れてきたから、スーパーへ買い出しに行こう」
隆も大喜びだった。
小学四年生になっていた。隆がカートを押してくれた。いつになく、おしゃべりだった。隆の心はもう、四国に飛んでいた。
隆の足が止まった。明子の後ろに身を隠した。
「チェッ!」
隆が舌を鳴らした。
前方を親子連れが横切って行った。
母親は明子に軽く会釈した。隆の保護者会で見かけたことがあった。
「隆、お友達にあいさつしないの?」
明子が隆の顔を見た。
「いいんだよ!」
隆は乱暴な口ぶりになった。
§3 消えた学校
レンタカーを借り、四国の大河・吉野川に沿って抜かれた国道を南下する。左右に山並みが迫り、ほどなく祖谷川が合流する。手前で橋を渡る。祖谷川は細く曲がりくねっている。道路のはるか下にゴツゴツした岩が見えた。
祖谷川の流れが緩やかになったあたりで、支流の松尾川が合流する。この地は「出合」と呼ばれ、かつて当地方の中心地だった。
出合には、学校があった。日用品店もあった。郵便局や農協、映画館もあって賑わっていた。
出合の周囲の村から、子供たちは山道を通学してきた。幼稚園・小学校・中学校が、狭い場所にひしめき合っていた。おばあちゃんと漣の父親はこの学校の卒業生である。
出合の中学校は漣の父親が卒業した五年後の一九七〇年に、ほかの中学と統合された。小学校は二〇一三年に廃校、前年には幼稚園も廃園となっていた。今、小学校の校舎跡は都会からの移住者が飲食・宿泊施設として活用している。
「学校へ行くのに四〇分くらい歩いた」
父親がよく昔の話をしてくれた。
途中、松尾川の河原に降りて水遊びをしたり、岸のイタドリ、野イチゴなどを食べた。通学路から少し外れて山に入ると、アケビや柿、栗、桑の実など子供たちのオヤツがたくさんなっていた。
長い通学時間も、子供たちには何ら苦にならなかった。おばあちゃんも、また、父親と同じ子供の時期を過ごしたのだった。
§4 東京の思い出
松尾川に架かった小さな橋を渡ると、急な山道になる。上方に、タヌエの森が繁る。民宿の庭にクルマを入れ、タヌエたちにあいさつに行った。
「東京は変わったことなかったかな?」
タヌエが訊いてきた。
「再開発とかで、タヌエさんが勤めていた酒場の周辺も大きく変わっているみたいですよ」
漣は、東京の空高くそびえる高層マンションを見ながら電車通勤している。東京の街は毎年、上に向かって伸びている。好きな景色ではなかった。
「あの『けもの』はまだやっとるのやろか。動物が安う飲める酒場は数少ないから、頑張ってもらわんとな」
タヌエは若いころ都会に憧れ、幼なじみと家出した。
考えが甘かった。食べ物がない。田舎のように木の実は手に入らなかった。昆虫やミミズもいない。ゴミ箱を漁っていて、捕獲されそうになったこともあった。
安心して寝起きし、食事にありつくには、寮のある職場に就職するしかなかった。
§5 地獄で仏
やっとの思いで雇ってもらったが、現実は厳しかった。徳島弁丸出しのタヌエを客はからかった。タヌエは顔で笑っていたが、心で泣いていた。
タヌエの訛りに気づき、優しく声をかけてくれた客がいた。キジだった。過疎化で人間がいなくなった村に動物の楽園を作った――と語った。
名刺をもらうと、その村は出合の奥の村だった。キジの名は、ジキータとあった。仲間にイヌのドク、サルのモンキがいるとのことだった。桃太郎トリオみたいだが、冗談を言うタイプの鳥類には見えなかった。
「あの年は暑かったなあ」
森の奥から、イノシシのイノダ、シカのシカヤ、サルのサルタが出てきた。三頭は今更のように、うなずきあった。
三頭はたまたま『けもの』で居合わせた。その夏は熱中症で動物にも死者が出ていた。命の危険を感じていたところ、店員のタヌエが故郷・徳島に帰るというのを聞いた。四国の山奥なら涼しいだろうと、一も二もなく同行した。
§6 時は流れ
徳島に来て、温暖化は都会だけの現象でないことを知った。おまけに、戦後大量に植林された杉は手入れされず放置されたまま、災害の温床となっていた。伐採跡から土石流が発生して、タヌエの故郷の森の三分の一を押し流し、多くの犠牲者さえ出していた。
変わり果てた故郷を前にしても、タヌエは挫けなかった。ジキータたちの助けを借り、イノダ・シカヤ・サルタと協力しあって、なんとか森の再生にこぎつけたのだった。
「高層マンションの街に変わっているのですか。都会の動物は住みづらいだろうな。時代は流れているのだなあ」
イノダがしんみり言った。
「時代、といえば、ジキータさんたちも年を取りましたねえ」
シカヤは「過疎化バスターズ」の近況を報告した。
先日、タヌエの森からの帰り、ジキータが航路を間違え、瀬戸内の方向に飛んで行ったらしい。帰りが遅いので、モンキが探しに行った。ドクは最近、老年性認知症が進み、この場合は頼りにならなかった。
これまでドクが行方不明になると、ジキータとモンキで手分けして探した。見つけるたびに、ジキータはドクに▽一頭で出歩くな▽身元が分かるものを身に着けておけ▽山中でも目立つように派手な洋服を着ること、などと口酸っぱく言っていた。それが、今では、捜索される側に回ってしまった。
今回も、ジキータは当てもなく上空を徘徊していた。途方に暮れて見下ろすと、犬と散歩している老人が目に入った。ここはどこ? 私は誰? と尋ねようと、地上に降りてみた。見覚えがあった。知り合いの鍼灸師と盲導犬・エヴァンだった。
「いや、ちょっと上空を通りかかったものですから。声をかけてみました」
と、ごまかしたものの、ジキータのショックは大きかった。
鍼灸師からの連絡で、モンキが迎えに来た。帰る道すがら、モンキにそんなことを語ったということだった。寄る年波には勝てない。命あるものの宿命だろう。
§7 スタンバイ
「あのジキータがねえ……。空を徘徊するようになったとは。でも、ドクにしても、みんなが見守ってくれるから、幸せよね」
明子はジキータとドクの変化を、自然に受け入れることができた。
(消滅集落再生の原動力になった大先輩だから、大事にしてあげなきゃ)
と思った。
漣は、濁流に飛び込んでサルタの子供を助けたドクの雄姿を思い出していた。森の動物たちに語り継がれている。ドクはこの話になると照れ、森の巡回と称してサルタの子供とどこかに姿を消した。
三人は民宿に戻った。長く話し込んでしまった。間もなく、お客さんが到着する時間だった。