69.この世界で生きる
セーラが王宮へ呼び出されたのは、翌日の午後遅くのことだった。これにはヴァイセンも同様に呼び出されたようで、同じ馬車で出発するとトゥーリーンから聞かされた。
時間に余裕を持って屋敷の門前まで先に着いたのだが、珍しくヴァイセンがまだいない。と思ったら、時間ギリギリになって慌ててやってきたので、セーラは驚いて尋ねたのだった。
「どうなさったんですか? いらっしゃらないのでてっきり先に行ってるものかと思いました」
「ああ、いや……すまん」
歯切れの悪いヴァイセンに首をかしげると、馬車に乗る直前でヴァイセンの上着を着せかけたメイヴェルがしれっと言った。
「あれほど時間に間に合わなくなると忠告いたしましたのに、なかなかお起きにならなかったからですよ」
「メイヴェル!」
「……寝てたんですか?」
「ええ、それはもういろいろと悩み事も解決されたようで、ぐっすりと」
「本当にやめてくれ、メイヴェル……。俺が悪かったから」
「さて、本当にご理解いただけたのかどうか。――私どもは屋敷を整えてお帰りをお待ちしております。いってらっしゃいませ」
何やらメイヴェルが怒っているような気配がビシバシと伝わってくる。朝から一体何があったのだろうか。
馬車が動き出してからしばらく、隣でしおしおと弱りきったヴァイセンが珍しくて、うっかり笑みをこぼしてしまった。
「ふふ……」
「笑わないでくれ、セーラ」
「いや、だって。ヴァイセンさま、いつもあんなにしっかりしてるのに」
「そんなことはない。俺は凡庸なんだ。しょっちゅうやらかしてはメイヴェルに叱られてばかりだからな。――これ、前も言った気がするな」
「聞いてはいましたけど、自己評価なんて当てになりませんからね。これに関してはわたしが一番よく知ってますし」
「違いない」
セーラも、つい先日まで人からの評価を認められず、ずっと自己卑下ばかりしていた。
今でもすっかり自分を正当に認められるようになったとは言い難いが、自分には人よりも自分の評価を下げてしまいがちなところがある、と認識している。
「それで、メイヴェルさんはお寝坊したことをそんなに怒ってたんですか?」
「いや。……昨日、爵位を剥奪される可能性があると話しただろう」
「はい」
「どうも使用人たちの間でもその可能性について噂が広まっているようで……」
「ああ、メイヴェルさんたちにしてみたら、お仕事がなくなっちゃうわけですから他人事じゃいられませんよね」
「というより、そんな処分は到底受け入れられないと言われてしまってな」
「……まあ、それは」
そうだろうな、と思う。
メイヴェルたちはヴァイセンを慕っている。いくら身内のやらかしとはいえ、パヴァナ姫の件はヴァイセンに責任があると言われても、セーラだって納得がいかない。メイヴェルたちの怒りも理解できた。
「もしも爵位を奪われるようなことがあれば自分たちが抗議をするとまで言い出してしまって……。それが受け入れられなかったとしたら、全員今の職を辞して俺たちについてくるとまで言うものだから」
「おっと……。それはまた大きな話になりそうですね」
「ああ……。まあ、すべては陛下との話を済ませてからだ」
「はい」
鬼が出るか蛇が出るか。どんな結果になっても、セーラはヴァイセンについていく。それだけは変わらない。
隣でため息をつくヴァイセンの、皮の固くなった手にそっと己の指を這わせる。
ヴァイセンは深い海の色の目を瞬いてセーラを見やり、それから表情を緩めてセーラの指を絡め取った。
*
「――此度の騒動、ベルディン騎士団の活躍により王女も客人も無事であった。ベルディン騎士団を指揮したヴァイセンには礼を言う。ご苦労だった、ヴァイセン」
久しぶりに謁見した国王は、いつか初めてセーラがここに喚び出されたときのように、数段上の椅子に座っていた。
大広間のような部屋の壁はぐるりと囲むように円形をしていて、天井まで続くアーチ状の窓がいくつも並んでいる。その窓にはステンドグラスがはめ込まれていて、これがだいぶ精緻な人の形を模している上、各々意思を持っているかのように動いていた。
その様子はまるで、この議会に出席している周囲の諸侯たちと同じようだ。彼らは成り行きを見守るようにセーラたちをじっと見つめていた。
魔法のある世界だということが馴染んだ今では、あのステンドグラスの人たちも魔法で動いているものなのだろうと想像がつく。
では誰なのだろうかというと、おそらく、歴代の国王たちなのではないだろうか、と当たりをつけていた。答え合わせはこの謁見が終わったら、ヴァイセンに直接聞いておこう、と心の隅に留めておく。
セーラの想像に過ぎないが、全員が形は違えど王冠を被り、豪奢な出で立ちをしているふうでもあるから、きっとそうなのだろうと思えた。
それらの視線にさらされる中央に、セーラとヴァイセンが並んでいる。
両脇には諸侯たちが各々の思惑を抱いた目でこちらを見つめていた。気遣わしげな目も、まるで罪人を見るかのように断罪する目もあった。
しかし国王が一言、まずはヴァイセンの功績を認めるような発言をした瞬間から、周囲は一気に荒れ出した。
ベルディン騎士団は失敗しただの、ヴァイセンを認めるような発言はいかがなものかと国王を責める声も、勢い込んで今すぐ処刑しろだの、まあまあ混乱している。
しかしヴァイセンを味方する明確な声はなかなか挙がらなかった。諸侯のすべてが敵なのではなく、反対派の勢いが凄まじくて、迂闊に声を出せないのだろう。
事実、広間の中央で貴族たちの厳しい目にさらされているセーラには、どこか同情するような視線も感じていたのだ。しかし表立って庇い立てをする者はいない。そんなところだろうか。
さてどう反論するのだろうかと隣のヴァイセンを見やるも、彼は涼しい顔をして、眼の前の国王にだけ視線を定めている。
それを見て取って、セーラも狼狽えるのをやめた。
外野はとやかく言うが、今、セーラとヴァイセンは国王と会話をしているのだ。周りの言葉が問題なのではない。そう気づいたのである。
そうしてセーラもじっと目の前の国王だけを見つめていたら、不思議と周りの罵声は気にならなくなった。
ややあって、国王が手を挙げる。静粛に、と言わずとも周囲は静まり返った。
「まず、諸侯が求めるジュラーク公への処分だが。これは今回、不問に処す」
「しかし、陛下! ジュラーク公爵家から重罪人が出たことは確実。彼だけ特別扱いをしては皆に示しがつきませぬ」
「此度、パヴァナ・デーレン・ジュラークの犯した罪は、ジュラーク公爵家の意向とは何ら関係のないこと。それどころか、罪人は自らをパヴァナ・デーレン・レム・ハイデルラントと名乗った。これはかの者が王家の人間として行ったと宣言したも同然。であれば、真に罪人を排出したのは我が王家ということになろう。――さて、国主がその責任を取る場合、一体どんな罪で裁かれるのであろうな」
「陛下!」
お戯れが過ぎますぞ、と方々から叱責の声が上がるが、国王はそれを意にも介さなかった。
セーラは呆然と国王を見つめる。隣のヴァイセンにちらりと視線をやったが、彼も信じられないと言わんばかりに目を見開いていた。
「ときに、此度の件だが。私の客人である異邦人、セーラのおかげで王妃暗殺の首謀者をあぶり出すことができた。二十年余念前、そして昨年と二代に渡り、我が妃は病ではなく暗殺によって亡きものにされたことが判明し、さらに王女にまで迫っていた魔の手を未然に防ぎ、首謀者を捕らえることができた。すべてはセーラがここへやってきたからこそ明るみに出たことだ。彼女なくば、未だ王妃は病死とされたまま、その魂は浮かばれることもなかっただろう……。そしてこの一連の事件の解決に尽力したセーラをいち早く保護したのは、ジュラーク公。そなたであるな」
「は。確かにそうですが……」
ヴァイセンも戸惑いを隠せない様子だ。
国王は髭を蓄えた精悍な顔を笑みに象る。
「そうだな。先日、占者エルストラによる脅威から私の客人であるセーラを救い、王女の安全をも守ったのも、ジュラーク公、そなたである」
「はい」
「であれば、ジュラーク公には処分よりも褒美を遣わすほうが正しいと私は考える」
あり得ない、と声が上がる。セーラも思った。思ったが、国王はまったくそれらの反論を黙殺した。
「さて、ジュラーク公。そなたは何を望む。申してみよ」
「は……」
ヴァイセンも突然のことに迷ったようだが、しかしセーラは見た。
正面の国王はちらちらとセーラを見ているのだ。まるでヴァイセンに何かを促すように。
彼もそれに気づいたのだろう。はっとして表情を改めた。
「では……。陛下のお客人でもあり、現在は私の保護下にあるこちらの女性――セーラ殿の活躍を鑑み、彼女に我がハイデルラントでの地位をお与えくださいますよう、私から切にお願い申し上げます」
ふたたび周囲がざわめく。セーラは絶句した。だが国王はもったいぶって「うむ」とうなずいたのである。
「私も常々それを考えていた。セーラはこちらへ来てから我が願いを聞き届け、我が姫ヤスミーンの病を取り除き、その上王妃暗殺の真相まで暴いた。そなたのハイデルラントへもたらした功績を思えば、未だ何の地位も与えず客人の立場に留め置くこともあるまい。――そこでだ。先日、我が姫たっての希望もあり、セーラをこのハイデルラントの王女として迎えることにした」
「はぁ!?」
あちこちから怒号が飛んだのは言わずもがなだが、一番素っ頓狂な声を上げたのはセーラ自身だ。
一国の王がある人物の活躍を認め、褒章として地位や権力を与えるのはよくあることだが、それが王女とは。
――王女って、そんな簡単に褒美として与えて良いものなのだろうか。……いや、良いはずがない。
そんなものは認められないだとか、あんな異邦人がなぜだとか、セーラに対する失礼な言葉も四方八方から飛び交っているが、それは今はさしたる問題ではない。
セーラはさすがに黙っていられず、半分身を乗り出して国王に訴えた。
「いやいや、さすがに王女さまはちょっと……。えっ、ていうか、王女さまって血縁がなくても養子としてなれるものなんですか?」
思わずヴァイセンを見やると、しかし彼も首をしきりと捻っていた。
「……いや、私も聞いたことはないが」
――ほらー。ヴァイセンさまもさすがに呆然としちゃってるじゃん。
やっぱりその路線はナシで、とセーラが訴えるよりも早く、両脇の貴族たちから鋭い反対の声が上がった。
「なりませぬ! どこの生まれともわからぬ小娘に王家の名を与えるなど……! この国をいたずらに乱すおつもりですか!?」
「そうですぞ! 前例がありませぬ!」
「それはそうだろう。そもそも召喚魔法で異世界からこの国にやってきた人間はおらぬ」
「…………」
「だが、私が喚びよせてしまったのだ。私が責任を取らねばならぬ。そうでなくば、喚ばれた者のその後は誰がどう保障する? 召喚魔法で喚びよせた異邦人、これを放置することのほうが後々この国を乱すきっかけになり得る。既に私が召喚魔法を使い、異邦人を確かに喚びよせたことは国民にも周知されてしまっているからな。いたずらに同じことを試そうとする者が現れないとは言い切れぬ」
「ですが、陛下……」
「召喚魔法が成功することは、この私が身を以て証明してしまった。だが、召喚した者を送り返す方法については未だ解明されていない。一方通行の魔法なのだ。だからこそ、軽率に使用することのないよう注意を呼びかけねばならぬ。だが、注意を促したところで、それだけでは抑止力にはならぬ。そなたらもわかっていよう。だから、召喚魔法を用いた者は喚び出した者の生涯の責任を負うものとしなければならない。――その件に関しては法整備を急いでいるところだが……。まずは私がセーラの身柄を保証し、地位を与え、生涯この国で平穏に過ごせるよう責任を負わねば法整備も何もないからな。――そういうわけで、セーラを我が養女として迎え、ハイデルラント王女の地位を与える」
理にかなってはいるが、それにしても付随してくる影響が大きすぎる。
セーラが二の句を継げずにいると、国王はふっと息を吐いた。
「と、これに関しては私の責任の範疇の問題だ。だからそなたへの褒章とは言い難いな。のう、ヴァイセン」
「は」
「では、改めて聞こう。ジュラーク公、そなたの望みを申してみよ」
何を言わせたいのか、セーラにはもうわからない。
困惑して国王とヴァイセンとを交互に見やると、段上の国王は理知的な目をいたずらっぽく光らせて笑っていた。
ヴァイセンが何か気付いたように瞬く。そうしてから、なにやら気まずそうに目を逸らし、それから今度は隣のセーラへと目を向けたのだった。
「どう、しました……?」
「いや……」
顔を前に戻したヴァイセンの頬が赤い。それでも彼は、まっすぐに国王を見つめて口を開いた。
「では、僭越ながら私の望みを申し上げます。――陛下が養女として迎えられたセーラ王女を我が妻として迎えたく存じます。どうか、お認めいただきたい」
ついに国王が弾けるように笑った。
それと同時にまたもや怒号が飛び交う。もう誰が何を喋っているのやら、セーラは何者になったのか、わけがわからなくなっていた。
「良い、良い。我が義理の娘もかねてよりジュラーク公と懇意にしておったな。であればジュラーク公の妻になることも問題なかろう? のう、セーラ」
急に父親ヅラしないでください――とはさすがに言えなかった。そこまで空気の読めない人間になったつもりはない。
セーラは「一から説明してくれ」と叫びそうになる心境をぐっと堪え、引きつった顔のままうなずくことしかできなかった。
「ええっと……つ、謹んで、お受けします」
ヴァイセンとともに爵位剥奪の処分を覚悟していたつもりが、なぜかセーラが王女にされ、王女になった瞬間、ジュラーク公爵その人に望まれて降嫁することになった。
――わけがわからなさすぎる……というか国のトップのやり取りがこんなに茶番で良いのかな!?
納得できないと諸侯たちは口々に叫んでいたが、一番納得できないのはセーラである。
だが、この場で一番権力のある国王が誰よりも喜ばしそうにしているのだ。それを眺めていたら、じゃあ、まあ、これで良いのかな、とも思えてきてしまう。
そっと隣のヴァイセンと目を見交わすと、彼も半分呆れたような顔で、けれども仕方ないと言わんばかりに眉を下げて笑みを浮かべていた。
――まあ、この人が何もかも失わずに済んだのなら、それでいっか。
へらりと笑みを浮かべると、ヴァイセンも照れくさそうにはにかんだ。
――その一瞬の、幼い笑顔。
いつもしっかりとした人物に見えるヴァイセン・ジュラーク公爵の、年相応の青年らしい笑みを目の当たりにして、セーラは息を呑む。
早くに家族を亡くし、急いで大人にならざるを得なかった彼の新しい家族となり、この笑顔を守っていきたい。この人と一緒に、幸福で温かい未来を築いていきたい。そのためにできることなら何でもしたい。
自然と胸の内に浮かんだ決意は、自身が何をしたいのかもわからないまま能力だけを求めたセーラが初めて、自ら望んだ〝なりたいもの〟であり、〝手に入れたい力〟だった。
――そしてきっと、それはセーラ以外誰にもできない唯一無二の役目なのだ。




