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68.ひとりぼっちにはさせない

「その、だな。祖母が……パヴァナ姫があなたの命を狙った首謀者であり、二度の王妃暗殺にも関わっていたとして捕らえられたことは、あなたもご存知だと思う」

「はい……」


 まさにそのことで、どう声をかけて良いかもわからないままこの部屋を訪れた。

 セーラが言葉に迷って視線をうろつかせると、ヴァイセンは力なく苦笑いした。


「そんな顔をしないでくれ。もともと彼女には家族の情らしいものもないんだ。私の生まれたときからああいう方だったから。だから慰めがほしいとか、そういうことではなく。――家族の情はなくとも、彼女はジュラーク家の一員だった。つまり、私はジュラーク公爵家当主として、身内から王妃暗殺の重罪人を出したことになる」

「そんな……。でもヴァイセンさまは何も知らなかったし、お祖母さまの心の内を知りようもなかったじゃないですか。あんな頑なな人を相手に衝突しないよう十分努力なさっていたと思います。なのに……」

「それでも、だ。どれほど分かり合えない相手でも、彼女がジュラーク家の一員であることには変わらない。そして一族の不始末は当主の私が責任を取らねばならない。……当主にはそれだけの責務があるということだ」

「…………」

「だから、近い内に爵位を返上しなければならないかもしれないんだ。――貴族ではいられなくなるかもしれない」


 貴族の最高位である公爵家当主のヴァイセンが、その地位を返上しなければならないかもしれない。それは人生が大きく変わる恐ろしいことのように思えるのに、彼の声音には不思議と悲壮感も落胆も感じられなかった。


「ヴァイセンさまは、貴族の身分でなくなってしまうことを恐れてるんですか?」


 案の定、彼はゆっくりと首を振った。


「いや、それも致し方ない思う。私は構わないんだ。もちろん、平民として暮らしたことはないから、決して平民でもやっていけるなどと簡単な事は言えない。だが、立場にこだわるつもりはないんだ。ジュラーク公爵家を継いでいけないことはお祖父さまや父上に申し訳なく思うが、起こってしまったことは仕方がない。どんな処分でも受け入れるつもりだ」


 ヴァイセンが爵位を返上するということは、彼ひとりが貴族の地位を失うだけの問題ではない。

 ジュラーク公爵領は膨大な土地を持っているから、主を失う領民たちが山のようにあふれ返ることになる。とすれば、ジュラーク公爵家に代わって領民を取り仕切る者が必要になるのだ。ヴァイセンはそれを、せめて領民を愛してくれる人に治めてほしいと願い出ようと思っている、と言った。


「同じように、使用人たちも新しい主人を迎えられるよう手配するつもりだ。できる限り良い待遇で次の主を得られるよう計らってみる。――罰を受けるのは私だけで良いからな。彼らがこの先も安定した暮らしができるのなら、私が苦労を被り、貴族として暮らしていけなくなっても良いんだ」

「でも……」


 彼の覚悟に、なんて言葉を返していいかわからない。

 爵位を返上するということは、ヴァイセンにとってもただ貴族でなくなるという話ではない。

 肩書も、家も、土地も、慣れ親しんだ領民や使用人も、何もかもを手放し、文字通りひとりぼっちになるのだ。

 だって、彼にはもう家族がいない。


 それでも良いのだと穏やかに話すヴァイセンに、一体どんな言葉をかけられるだろう。


 セーラが言葉に詰まると、しかしヴァイセンは悲壮な覚悟を語った様子とは裏腹に、どこか躊躇うように何度かこちらを見ては視線を逸らした。

 まるで、今からそんな悲しい現実とは無縁な、希望に満ちた未来の話を切り出そうとしているかのように。


 そうして、一体どんな話を聞いてほしいのだろうと居住まいを正したセーラに、ヴァイセンは実に照れくさそうに頬を掻いたのだった。


「……そんな未来になるのだとわかっていても、だ。俺は……あなたに家族として、一緒についてきてほしいと……そう思っている」

「……へっ?」


「これからがきっと大変な人生になるのだろうとわかっている。爵位を返上し、土地を手放し、使用人たちを次の主人に明け渡し……そうなった俺の手元には何も残らない。家族ももういない。本当にただのひとりになってしまう。それでも平民の中で、あるいは他国で一から人間関係を作っていくのも悪くないだろう。だけど……俺の……ヴァイセンというただの男が、どうしても手放したくないものがある。――それがあなたなんだ。セーラ」


 なんだか、猛烈な口説き文句のような気がする。

 気付いたとたん、顔が赤くなっていくのを隠せない。


「……あの、それは」

「きっと苦労させる。苦しい生活ばかりになるだろう。……それでも、俺の妻として、この先の人生を家族としてそばにいてくれないだろうか」


 赤くなって口を開閉させたまま、何も言うことができない。それを困惑と取ったのだろう。ヴァイセンは片手で顔を覆った。その隙間から、負けず劣らず湯気が出そうなほど赤く茹だった頬が見える。


「いや、詮ないことを言った。忘れ――」

「わ、わたしで良いのなら!!」

「…………」


 口の中がからからに渇く。それでも、堰いた気持ちが嗚咽のようにあふれて止まらない。


「わたしで良いのなら、ずっと一緒にいます! ヴァイセンさまの家族になります。一人ぼっちになんかしません。わたし、平民でも全然大丈夫です。だって、もともとは庶民そのものですし……。この世界での暮らしはまだまだ初心者ですけど、ヴァイセンさまと一緒にひとつずつ覚えます。でも……でも……」


 セーラはぎゅっと膝の上の拳を握る。

 生活の大変さに戦いているのではない。そうではなくて、もっと根本的に、理由がわからないのだ。


「なんで、わたし、なんですか。わたし、ヴァイセンさまに何も……」

「何もしていないなんてことはない、セーラ。あなたはあなたにしかできない行動で俺の心を動かした」

「…………」

「あなたはいつも他者のことで必死になれる。理不尽に他者を助けろと請われて、そうする義理は何もなかったのに姫さまを懸命に助けてくれた。理由もなく誰かのために必死になれるあなたが、どうして誰の役にも立っていないなどと言う。……あなたが頑張る姿は俺が誰よりも見ている。その姿に心を打たれた」

「あ、ヴァイセンさま……」


 それ以上は、ちょっと恥ずかしい。

 やめてくれと小さく首を振るも、しかしヴァイセンもすらすらと流れるように口説くことをやめない。

 そこには、この機を逃してなるものか、という気概が感じられた。


「あなたは先程、ここに住む世界を決めたと言った。この世界の中でも、あなたの望む場所で幸せに暮らしてほしいと思う。だけど……できれば、それが俺の隣であってほしいと願ってしまうんだ」


 ――わたしは、誰かのために頑張れる。

 その言葉に、確かにそうだなと素直に受け入れられた。

 王女を助けることに、何の義務もなかった。セーラは巻き込まれただけだ。それでも彼女を助けたくて必死になった。セーラ自身が、大好きな母を亡くして悲しみに暮れ、ままならない生活に苦しむ王女を助けてあげたいと思ったからだ。


 ――うん、わたし、確かに姫さまのために頑張ろうと必死だった。

 だから今は、ヴァイセンの言葉を素直に認められる。

 それはきっと、母親の呪いから解放されていたからでもあっただろうし、ヴァイセンの言葉だからこそ受け入れられたのだろうとも思わせられた。


 白くなるほど握り込んだ拳をそっと触れられて、力を緩める。

 彼の言葉が、セーラを必要としてくれているその心が、泣きたくなるほど嬉しかった。


「ヴァイセンさまが望むなら……。わたしは、あなたの隣にいたいです」

「うん。……ありがとう」


 染み入るように目を閉じるヴァイセンに、しばらくどちらもが感極まって言葉をなくし、ただただじっと手のひらから互いの熱を分け合っていた。


「……さあ、長い時間引き止めて悪かった。そろそろ部屋に戻ってくれ」


 ややあって、剣を握るヴァイセンの固い手のひらが合図するように二度、三度セーラの手を握る。それからゆっくりと離れていった。

 失ってしまった熱が寂しくて、セーラも顔を上げる。


「でもわたし、ヴァイセンさまの助けになれたらと思ってここにきたのに」

「あのな、セーラ」

「はい」

「俺は今、疲れている」


 はっきりとした言葉は、しかしやわらかい。まるで幼子に言い聞かせるようでもある。だが、言外の意味を汲み取れないほどセーラは子供ではない。

 ヴァイセンを労りに来たつもりだったが、逆に気を遣わせただろうかと気づき、心臓がひやりとした。

 セーラはうなだれて、ショックを受けた顔を見せないように背ける。

 迷惑をかけたのはこちらだ。勝手に傷ついて、それを見せていいわけがない。


「そ、そうですよね。すみません相手させて」

「そうじゃない、そうじゃない」


 しかしヴァイセンは拒絶するふうでもなく、「まいったな」とさしてそうでもなさそうな軽い口調で、ふたたびセーラの手を取った。

 部屋に帰れと言われているわりに、手放す気配が見えない。


「俺は今、疲れてるからうまく理性が働かないんだ」

「はあ、まあ疲れるとそうですよね。タガが外れるというか」

「だから……。寝室にあなたがいると……余計なことをしてしまいそうで」

「余計……」


 余計などんなことをしてしまいそうなのか。わからないほど、さすがに鈍くはない。

 瞬間、音を立てて爆発したかのような心地になった。一気に頬に熱が上ってくる。


「あっ……そ、です、か……! ま、まっ! あの、トゥーリーンさんたちにねっ、ご、誤解、されても、やですしね……っ」


 何を言っているのか支離滅裂だ。自分でもわかっているのに、途端にテンパった頭では止めようがなかった。

 そそくさと立ち上がったセーラだったが、ヴァイセンも慌てておかしなことを口走る。


「違うんだ! 誤解はされてもいいんだが……その、今は、とても疲れているから……我慢が利かない」

「へっ……」

「初めてで後悔するようなことをしたくないんだ。だから……また、そのときに」


 もう耐えられなかった。

 顔は沸騰するのではないかと錯覚するほど熱くて、羞恥からか生理的なものかわからないが涙まで出てくる。


「は、はい……」

「い、いや、すまない……。本当におかしなことを言った。……まあ、そういう、ことだから……今夜は部屋に戻ってくれ……」


 もうこれ以上頭のおかしいことを口走りたくない。

 そんなヴァイセンの限界を超えた羞恥も感じて、セーラは言葉もなくうなずきながら、今度こそヴァイセンの部屋を後にした。

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