67.ヴァイセンの願い
「わたし、召喚魔法でこちらへ来たときの記憶って、ないんですよ。正確には、直前まであちらの世界で何をしていたのかまでは覚えているんです。でも、不自然なくらいぶつっと途切れてるんですよ。あちらでいつも通り仕事を終えて家まで帰る途中で、見慣れた場所を通ったところでぷっつり。そこから突然、召喚された直後の王さまが目の前にいたところからしか記憶がなくって……。召喚魔法の発動を見たとか、送還魔法のときのように走馬灯のようなものを見たとか、そういう覚えが一切ないんです。不思議だなとは思ってたんですが、そもそも異世界に召喚されたなんて経験が初めてだったので、そういうものかとも思ってたんです。でも、送還魔法で走馬灯のようなものを見たとき、実は召喚されたときに途切れていた記憶の瞬間があちらで殺された瞬間だってわかってしまって……」
「思い出したのか?」
「いえ、なんていうんでしょう。映像のように自分を客観的に見ただけなんです。だからもしかしたら、ただの妄想かもしれないとも考えました。でも……召喚魔法そのものが、そういうものなんじゃないかなって思ったんです」
ヴァイセンが目線だけで先を促す。
「召喚魔法というのは、ある世界で死んで、その世界にいられなくなった人を別の世界に喚び出すだけで、召喚者や召喚を願った人――今回の場合はあの占者と王さまですけど、彼らの願いとか、魔力とかが反映されたわけではないんじゃないかなって思うんです。ただ、たまたまあの瞬間にわたしがあの世界で死んでいて……――もしかしたら同時ではなく、わたしが死んでから喚び出されるまで多少のブランクはあったのかもしれないけど、比較的短い間にこの世界で召喚魔法が行われた。そこにたまたま喚び出せる状態にあったのがわたしだっただけなんじゃないでしょうか」
「喚び出せる状態……。つまり、死んで、魂だけでうろついているような状態、と」
「本当にそんな状態があるのかもわからないんですが、イメージとしてはそういうことかなと。とにかく、召喚魔法で喚び出せる条件は、召喚者や召喚術を望んだ人が選べるわけじゃなかったんです。であれば、占者や王さまが願ったように姫さまを確実に救える能力のある誰かではなく、どう考えても不向きだったわたしが召喚された理由として納得が行くでしょう」
難しそうに考え込んでしまったヴァイセンに、セーラは「これもわたしの想像というより、妄想に近いんですが」と前おく。
「そう考えるしか、わたしの理解の落とし所がなかっただけなんですけどね」
「…………」
「なので、せっかくヴァイセンさまやベルディン騎士団の皆さんに確実に帰る方法を探していただいてたんですけど、もしかして、わたし、もう帰れないのかなって気づいてしまいまして……」
言葉を切って、セーラは首を振る。
そんな消極的に諦めたわけじゃない。
決めたはずだ。気持ちにけじめをつけて、踏ん切りを着けたのだ。
「いえ。わたし、あちらの世界には帰らないことにしました。……帰る理由もないなと、気づいたんです」
しっかりと顔を上げると、ヴァイセンは深海の目を見開いた。
「ヴァイセンさまは、以前、わたしに帰りたいかどうかを尋ねましたよね。あのときは、帰りたいかどうかより帰らなきゃいけないと思ってたから答えを返せなかったけど……。今は、踏ん切りをつけました。わたしはあちらに帰っても意味がない。いえ、もちろん帰れたら何か成し遂げるために努力をし直すことはできるけど、でもそれは、こちらでも同じことができるなと思ったんです。それにこちらでは、目に見える成果を残せなくても、わたしがあがいて何かを成そうとしている姿を見ていてくださる方がいます。だから……」
勢い込んでそこまで口にしてから、セーラは急に押し黙った。
ヴァイセンが穏やかな目でこちらを見つめていることに気づいたからだ。
彼を労るためにここへやってきたのに、自分のことばかり喋ってしまった。本当に至らない。
自分本位にヒートアップしてしまったことが急に恥ずかしく思えてきて、セーラは覚めてしまった紅茶を飲み干した。
「すみません、こんな話を聞かせるために押しかけたわけじゃないんですけど」
「いや」
ヴァイセンが吐息で笑う。顔を上げると、疲れた顔に初めて色が差し、どこか嬉しそうに目を細めていた。
「嬉しく思っていたんだ。あなたがこちらに残る決意をしてくれたことに。……こんなことを言ってはいけないのかもしれないが。……うん、でも、自分でも思っていた以上に嬉しい」
「そ、そですか……」
セーラは思わず顔を赤くした。
そんな心底幸せそうな顔を見てしまったら、なんだか、それは彼がセーラを悪からず思っているような気がしてしまったのだ。
「す、すみません。本当は、ヴァイセンさまに何かできることはないかなって思って来ただけだったんですけど」
「今の話で十分元気になったよ」
「元気になっていただくというよりは、よく眠れるようにと思ったんですが……ね……」
「ふふ。そうか。では、よく眠れるように何をしてくれるのだろう」
「えーっと……」
そうとは言っても何も考えていなかった。
セーラはウンウンうなりながら首をひねり、それから閃いたとばかりに身を乗り出した。
「あっ、姫さまみたいに、何か寝物語でもお聞かせしましょうか。ヴァイセンさまのリクエスト、できる限り受け付けますよ!」
王女にせがまれて何度も即興うろ覚え童話集を披露している間に、この手のアドリブには本当に強くなったと自負している。今ならいつも王女がねだるお姫さまが主人公のシンデレラストーリーではなく、ヴァイセン向きの冒険ものの話を要求されてもなんとか応えられそうだ。
しかしヴァイセンは笑って首を振ったのだった。
「いや、遠慮しておこう。あなたの物語は興味深いが、興味深いからこそ、しっかり時間を取って聴きたいからな。……からかっただけだ。すまない」
「い、いえ」
無茶振りをされたとは思っていない。彼が望むのなら、本当に話を聞かせるつもりだったのだが、しかしヴァイセンには無理をしていると思われたらしい。
恥ずかしくなってうつむくと、ヴァイセンは「そうではなくて」と続けたのである。
「……あなたに何かをしてもらうより、俺が話を聞いてほしいんだ」
「あ、ああそういうことですか。もちろん何でもお話ください。聞きますよ」
もとよりそのつもりでやってきたのだ。ようやく思い描いた役目を果たせそうだとホッと胸を撫で下ろすと、しかしヴァイセンは決まり悪そうに冷めた紅茶を飲み干した。
「だが……。すまない、いざ話をしようと思うと言葉が出てこないものだな。――とりとめのない話になる。それでも聞いてくれるか」
「もちろんですとも。朝までお付き合いしますよ」
時間的には数時間といったところだが、何時間かかっても構わないとすら思った。勢い込んで拳を握ると、しかしヴァイセンはさすがに苦笑いする。
「そんなに時間をかけたらあなたの眠る時間がなくなってしまうよ。なるべく手短にする」
ヴァイセンは一度うつむき、言葉に迷うように視線をも彷徨わせた。




