その婚約破棄された令嬢最強につき──
パサパサと紙をめくる音が定期的に鳴る。この部屋では性別問わず少人数の人間が、書類を整理していた。
疲れからため息や深呼吸が漏れるが、部屋は緊張感が張り詰めている。
彼らが手にしているのは、重要な国の書類。不備がないか一つ一つを精査しているのだ。
そのような緊張感の中、1人の若い男性が向かいに座っていた女性の目を見て口を開いた。
「おい、ティア」
名前を呼んだだけなのに、この部屋にはよく響いた。ティアと呼ばれた女性は彼と目線を合わせる。
「……なんでございますか。殿下」
「お前とは婚約を破棄させてもらう」
その場で一緒に仕事をしていた数人が、驚愕の表情で顔を一気に上げた。シン…と部屋が静寂に包まれる。天使が通るというのはこういう事だろうか?そんな生易しい空気感ではなかった。
「殿下……頭がおかしくなられたのでしょうか?私との婚約破棄で国益の事をお考えになられたことは?」
「だからその態度が嫌いなんだ。俺にはもっと相応しい女性がいる」
「好き嫌いでは国は運営できませんが?」
ティアは眉根を寄せた。怒りで彼女自身に内包された強い力がフツフツと煮えたぎるのが自分で感じ取れた。
「殿下!!お考えを!」
「宰相は黙ってろ。島流しにされたいか?」
「ハンマー公爵家を蔑ろにするということは、王家が衰退します!その事をお分かりですか!?しかし、それよりも…………」
宰相は冷や汗を流しながらティアと殿下を交互に見る。なによりも彼は分かっているのだ。これから起こることが想像がついている。
「全く……こんな可愛げのない、何を考えているかも、俺を褒めたたえない所も嫌いだ。なにより、俺の大事なリーシアを虐げているというのも腹ただしい」
「……リーシア?その人は一体誰でございましょう」
「ちょうどいい。入ってこいリーシア」
ノックも挨拶も無しに入ってきたのは、緑の髪のふわふわしてそうな可愛らしいという印象が残る女性。
彼女は差し出された手にすぐ抱きつくと、ニヤリとティアの顔を見た。
「お前にはない可愛らしさだろう?」
「はぁ……そうですか」
「それにお前には無いものがある」
「……私がその方に劣る部分が明確にあると」
「そうだこれだ」
「でっ、殿下ぁ~」
彼が持ち上げたのは、その胸。それを見た瞬間ティアの表情は目は見開かれ、憤怒の表情で固まった。
宰相はそんな彼女を見て、なだめようとするが身体が動かない。溢れんばかりとする魔力を見せられて動けないのだ。
「貴様の、断崖絶ぺぶるしゆゎぁぁあ」
その言葉の途中で王子は壁にめり込んだ。
ティアが殴ったのだ。
「貴様ッッッ!!!私を愚弄するかッッッ!!!」
「ティア様、どうかお静まりを……」
「喧しいッッッ!!」
鬼の形相で喋るティア。それを宥める宰相。壁にめり込んだ男。震える緑髪の女。普通では有り得ない状況が出来上がっていた。
「一体……なにがどうなっ……て。宰相……説明しろ」
「殿下!!あたなは、あの武闘派ハンマー公爵家を怒らせたのです。しかもよりによってティア様をいちばん怒らせる方法で!!」
「ぶ……武闘派?ただの一介の公爵家だろ?」
「あなたは何も知らないのですか?武力で1国を制圧できる一族ですぞ!ああ、最悪だ!ティア様、ご慈悲をご慈悲を~」
宰相は頭を地面に擦り付ける。髪が摩擦で溶けるくらいに擦り付けていた。
「殿下……いや、テオドールッッッ!!明日、王家が無事だと思うなッッッ!!」
「一体……なにを……」
ニチャァ……とティアの顔が笑顔に変わる。
「こちらからは正々堂々王都の門から入場してくれるわ。せいぜい騎士団でもかき集めて守護しておけいッッッ!!」
そのまま彼女はハハハハ!!と高笑いをしながら窓を割り、5階であるこの部屋から飛び降り目にも止まらぬ速さで駆けて行った。
「一体何事だ!尋常ではない魔力反応があったぞ!?」
「父う……いえ、陛下」
「宰相、貴様という奴が居ながら、何があった。部屋にめり込んだ息子、知らん緑髪の娘、割れた窓、貴様のその額の縮れた髪の毛、尋常では無い魔力、一体なにが」
「殿下が…………」
「テオドールがどうしたというのだ。自身の魔力が暴発でもしたか?」
「ティア様をマジ怒りさせました」
「今…………なんと?」
「ティア様をマジ怒りさせました」
「もう1回」
「ティア様がマジ怒りしました」
「整理できん」
「ティアさまマジおこ」
「終わりだ……」
その部屋の空気はお通夜と化し、王はこれから生きていくための資金を別に移し降伏の準備をした。
宰相は今日付けでその職を辞職し雲隠れした。緑髪の女性リーシアは怖すぎて逃げた。
王子はなぜか自信に満ち溢れていた。
その夜は満月だった。月明かりに照らされた女性は、月見に1杯のおチョコにつがれた酒を煽った。森で狩ってきた極太の肉を思うがままに齧り付く。
溢れ出る魔力から森は怯え、空気を唸らせる。
明日、王家がどうなってるかは神しか知らない。
翌朝7時。ティアは王都の門の前に立っていた。その後ろには、ハンマー公爵家の面々。ハンマー公爵家が指導する武闘派の会、心身会の門徒がずらっと並んでいた。
「これは私の戦。邪魔することは何人も、たとえお父様でもお母様でも兄様でさえも許しません」
「ワシも怒っておる」
「それでもだめです。後ろで応援してください。王家をぶっ飛ばしたあとはお願いします」
「あいわかった」
「久しぶりの滾る闘いです。血が滾りますねぇ。邪ッッッッッ!!」
掛け声と共に、ティアの鋭利な回し蹴りが門を切り飛ばした。真っ二つに割れた門を見た衛兵及び兵士は顔を真っ青にする。
「貴様ら!住民な困らんような手っ取り早く門を直すぞッッッ!!」
「応ッッッ!!」
ティアの父親の号令の元、心身会の門徒が大急ぎで門の修復にかかる。それは前のものよりもずっと堅牢な物に生まれ変わる。より強く、それがモットーのハンマー公爵家たる所以なのだ。
ティアが王都に入ると、そこに居たのはがらんした街並みと何百もの騎士兵士が見えた。
それを見てニヤリと顔が笑顔で歪む。
私に遊びを用意してくれたのだと。
「ティア様~がんばれ~。ハンマー公爵家にこの国は救われてるんだ。あなたらを馬鹿にした王家なんか許すな~」
住民が窓から顔を出し声援をティアへ送る。この国ではハンマー公爵家は住民の支持が高い。それ程の民は助けられてるのだ。
1人の兵士がティア二向かって動く。
槍の一突きは彼女を掠めることなく、すれ違いざまに顎に拳を軽く当てられ失神した。脳震盪が起こったのだ。
失神する前に、兵士が、あなたに傷を付けなくて良かったと安堵の声を出す。
「全力でかかって来てくれて嬉しいわ~。手を緩められたら……逆に殺しちゃうかも」
その言葉を聞いた兵士と騎士は震え上がり、一斉に襲いかかってくる。ハンマー公爵家はやると言ったらやる。ここに居る人はそれを知っているのだ。そして、ハンマー公爵家の教えも浸透しているので、それを抜きにしても、純粋に闘いが好きな人も多いのだ。
1秒事に相手がティアに迫る。飛びかり、剣で切り、突進する。
轟ッッッと大きな音が響いた。
─────────
「そこから先は私が話そう」
第2騎士団2部隊副長官36歳。
「大きな音が響きましたね。いや─ドンッ!とかボンッ!とかそういう生易しい音じゃ無いンですよ。めこめこ─いやこれも違うな。ともかく異様な大きい音が鳴ったんですよね」
「そしたらね、吹っ飛んだんですよ。人間の束が。人間ってこんな一斉に飛べるんだぁ~って思いましたね」
「凄いんですよ。ティア様は。魔力を使ってない拳で地面を数メートル抉るなんて。でも、まるで書類作業するかのように涼しい顔で言うんですよ。次の攻撃いきますよッて。いやぁ、怖かったですね」
「それでいて彼女の闘いは優雅で静かで──」
─────────
時は少し経ち王城。
後ろには息はあるが死屍累々の騎士兵士。
城の前に立つとティアの怒りが込み上げてくる。それと同時に彼女の言葉も野蛮になるのだ。
「ハハハハハハッッ!待っていろテオドールッッッ!!」
全速力で階段を駆け上がる。これはもはや駆けるどころか蹴っているに近い。
彼女が目指すは玉座の間。そこにはテオドールの魔力反応があるのだ。
「テオドールゥゥゥッッッ!!」
「よく来たな断崖絶壁」
「貴様ッッッ!!まだ言うかッッッ!!」
「ここでお前を俺が滅ぼしてやる」
「貴様が……?その実力で血迷うたかッッッ!」
「確かにお前よりは身体という力は弱い。しかし俺にはこの無限の魔力がある」
「なるほど……その心意気やよしッッッ!!」
テオドールが魔力を込める。その力で周囲が歪む。これこそが彼の自信である。
対なるティアは、腕を熊のように上に上げ魔力を纏わせた。
ティアを追いかけてきた騎士が玉座の間に到着する。彼が目にしたものは恐るべき2つの魔力──いやティアの恐ろしい魔力だった。
「鬼魔族……」
そう形容するほど、ティアの魔力が鬼魔族の顔に見えた。
そのまま挙げた腕を真っ直ぐに上に伸ばす。
「鬼魔族が……泣いている」
少しの動作で歪められた魔力が泣いている鬼魔族の顔に変化したのだ。
行くぞっ、とテオドールが巨大な魔法を解き放つ。それはティアにぶつかり大きな煙を引き起こす。
立っているのは2つの影。肩で息をするテオドールと無傷のティア。
「無傷だと……!?」
「ククク……いつのも不敵な笑みはどうした。テオドール。無限の魔力があるのだろうッッッ?」
「ッッッ!!」
「笑わねぇのかいミスター王太子殿下!笑えねぇのかいミスター王太子殿下!!!」
「う、うるさい」
「しまいにしようか」
「待ってください!!!」
鬼魔族の魔力を放とうとした時、声が響いた。
後ろから出てきたのは、テオドールの弟、ルイ。
「貴方の手をそんな奴で汚す必要はありません」
「ならどう落とし前をつける」
「私は、あなたに出会った瞬間一目惚れをし、しかし兄上が婚約者なのでその心を封印しました。兄上が王になったら、私があなたのサポートをしようと。そして、あなたの隣を守れるよう鍛錬もしてきました。あなたの父親ハンマー公爵のお墨付きの鍛錬を」
「あら、それは面白いですわね~」
今から起こる面白そうなことに、一気に溜飲が下がる。それはもう言葉遣いが令嬢モードに直るくらいに。
「ティア嬢」
「はい」
「私が勝ったら妃になってください」
そうして、三日三晩に及ぶ闘いが始まった。攻防はどちらも拮抗している。王城がみるみる破壊されていく。2人の本気に耐えられないのだ。そして──決着の瞬間
「私の勝ち……ですね」
「久しぶりに……はぁ……はぁ……負けましたわ~」
「私の妃に……なってくれますか?」
「ええ、二言はありません」
こうして王家は陥落し、ハンマー公爵家が国の実権を握り、ルイを王に据えハンマー公爵家とともに新しい国が成った。
その国は、最強の武闘派国家になり、世界でも有数の国へと変貌する。
「ティア……好きだよ」
「やっ、やめてください……恥ずかしいですわ~」
割とストレートな愛情表現にはたじたじのティアもそこに居て。けっこう平和な国へとなりましたとさ。
後日談
ティアの父親が、迂闊に胸のことを言ってしまい、史上最強の親子喧嘩が始まったことはこの国でも有名な事件が起こったとさ!