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堕天  作者: 霜山透香
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許されざる出会い 1

この作品を選んでくださりありがとうございます。

少しでも面白いと思っていただけたら幸いです。

 死んだらどこにいくのだろう。誰しも、一度は考えたことがあることだと思う。金のゴンドラに乗って天国へ、どこまでも落ちて真っ逆さまに地獄へ、それともすぐに生まれ変わるのか?死後の世界などない、死んだ後は何も残らず、ただ無に帰すだけ、そう考える人も今は多いと聞く。まあこの際、正直に言おう。死後の世界は確かに存在する。かといって、多くの人が考えているほど理想的な場所ではないし、悲鳴に溢れる無秩序な場所でもない。俺が暮らす世界、この世界は生者たちの世界とそう大して変わることない、極めて規律だった場所であるのだ。


 「もうこんな時間か」

 そろそろ仕事に向かわなければいけない。食事を取ることはできるが、この体には必要ない。朝の楽しみとして一杯のコーヒーを流し込み、スーツを着込み、家から出て行く。ここ最近の忙しさに凝り固まった肩をほぐすように何度か腕を回してから、蝙蝠(こうもり)にも似た黒い翼をばさりと広げ、地上を見据えて飛び上がる。ここまで言えばわかるだろう。そう、俺はれっきとした悪魔なのだ。黒く光沢のある肌に山羊の角、尖った耳に矢印の形をした尾、そんなものは絵の中の世界だけのもので、実際は悪魔と聞いて人々が想像するほど醜悪な姿ではない。見た目はほとんど生きている人間と変わらず、大きな黒い翼以外の差異はない。天使だって似たようなものだ。白鳥のような大きな羽根と、頭上に浮かぶ金色の輪、人間との違いなんてそんなものだ。


 俺たち悪魔の仕事は、地獄で暮らす死者たちの監督、それから生前悪行を重ねた人間の魂を地獄へと運んで、その罪を償わせることだ。難しいことはない、善人の魂と悪人の魂とを見分けるのは簡単だ。人間は、悪事を働けば働くほど、膿のようにその罪が溜まって魂が重くなっていき、しまいには地に落ちてしまう。善人は逆だ。良いことをすればするほど、魂の重さは軽くなり、死んだ人間の体から抜け出して、宙を漂い始める。要は、その人間が生前に重ねた良いことと悪いことが相殺されて魂の重さが決まり、その死後の行き先を決める、ということだ。俺たち悪魔は落ちた魂を拾い集めて地獄へと連れて行き、天使たちは宙に浮かんだ魂を掬い上げて天国へと導く。俺は天国に行ったことこそないが、天国へ行くことを許された魂は、心ゆくまで天国でくつろぎ、気の向くままに生まれ変わりができると聞く。一方、地獄行きの魂には、その罪の重さに従って定められた期間、天の川に橋をかける工事や、地震や火山が無闇に大災害を起こさないための管理など、辛い労役が課されている。逃げ出すことは叶わず、何十年もの間懸命に働いてやっと、生まれ変わる権利を与えられる。信じ難いほど凄惨な罪を重ねた者であっても、何十年何百年と労働を強いられるうちに、来世では二度と罪を犯さない、などと泣きながらいうのだから、相当辛い時間なのだろう。まあ俺の知ったことではないし、自らが招いた結末なのだから、同情の余地などないだろうが。


 かく言う俺も、気が狂いそう、と言うほどでもないが、仕事をして家に帰るだけの、変わり映えのしない毎日には正直辟易している。悪魔として生まれ、10年ほど魂の回収や労働の監督といった悪魔の役目について学び、5年は先輩の悪魔の供をして実践を積み、いつしか一人で仕事をするようになった。一人で魂を集めるようになって、もう4年になる。いつまでも変わることのない、単調な業務をこなしていくだけ。この先もずっと、そうして機械的に過ぎていく毎日。家族、などというものはない。悪魔は地の底から、天使は雲の中から独りでに生まれてくる。ごくごく稀に、罪を犯した天使が堕天して悪魔となることもあるというが、俺は文献の中でしかその例を知らない。罪を忌み嫌う天使が堕ちるなんてことは滅多になく、ここ2000年の間そのようなことは起きていない。とまあそんなわけで、悪魔にも、もちろん天使にも両親はいない。恋人を作る悪魔もいるようだが、生憎俺にはそのような願望がない。こちらの世界にも死、と言う概念は存在するが、死んでしまった途端、俺たちは別の人格を持ってまた生まれてくるのだという。つまりは、俺が死んでもまた悪魔として生まれなおすということだし、なんなら俺もどこかの悪魔の生まれ変わりだということになるのだ。生まれ変わりと言っても記憶などないし、実感はない。ただ、そうやって天使と悪魔の数は変わらないままでいられるらしい。代わりなどいくらでもいる、どこまでも機械じみた世界だ。


 「今日は一段と眩しいな」

 暗い地底から地上へと昇ってしばらくの間は、光が目に染みて少し痛い。恨めしく思って空を見上げると、照りつける太陽の奥から、灰色の雲がじわじわと近づいてきているのが見える。周囲を歩く人々もそれに気づいているのか、少し急ぎ足だ。人間に悪魔だとばれないのか、そう思うかもしれないが、俺たちの姿が人間に見られることはない。天使もそう、人間からは俺たちの姿は見えないし、触れることもできない。通りを歩く人間たちは皆、ぶつかることなく俺の体をすり抜けていく。昔々、大昔はお互いが見えていたそうだが、ある一人の天使が人間と恋に落ちるいう大罪を犯し、天の神は再びそのようなことが起きるのを恐れて、俺たちの姿を人間から隠したのだ。恋に溺れた天使、名前はアザゼルと言ったらしい、彼は歴史上でも数少ない堕ちた天使の一人であり、堕天して悪魔へと姿を変えたという。それ以来、悪魔は悪魔、天使は天使以外との恋を禁じられている。その禁忌が破られたことは未だない。破る必要もないのだ。なぜなら天使たちは、俺たち悪魔を毛嫌いしているから。天使の本性は善、それに対して悪魔の本性は悪、彼らは俺たちと関わることで自らが汚染され、悪に染まると信じて疑わないのだ。現に今も、すれ違う天使たちは、絶対に俺との距離を3m以下に縮めることなく、遠巻きに侮蔑を込めて睨みつける。自分たちが回収しなくてはならない宙に浮かんだ魂だけを、慈しむようにその手で包み込み、地に落ちた魂には見向きもしない。俺の姿を捉えた天使がふいと目を逸らし、来た道を引き返していくのを見て、わかりやすく避けられていることに少し面白くなる。悪魔の本性は悪、そう言われてはいるが、俺たちが生まれてから何かしたわけではない。俺たちの始祖、今となってはただの称号だが、サタンは確かに許されない罪を犯したのだろう。罪にまみれた彼を源流に持つということすら、許されることではないと天使たちは考えるらしい。まあこの迫害も何千年と続いてきたことだ。友人たちの中には、気に食わない、と不平を言う奴もいるが、俺が今更とやかく言ったところで変わるわけでもないし、特段困ることもないから、これでいいのだろうと思う。


 ぽつぽつと雨が降り出した。周囲の人間は皆駆け出していき、あたりには人間がいなくなる。俺の体が雨に濡れることはない。雨が降っているのは生者の世界のことで、俺たちはそこに干渉できない。雨も、建物も、人間の体さえも、俺の体をすり抜けていく。静かに響く雨音は心地よいが、なんとなく俺を憂鬱にさせる。ここ最近疲れが溜まっているせいだろう、早く必要最低限の数だけ集めて、家に帰ろう。雨の厄介なところは、飛びながら探していると、雨粒に紛れて魂が見つかりづらくなるところだ。仕方なく地面に降り立ち、歩きながら周囲を見回して、落ちている魂を集めていく。人間が死ぬと、その魂は生前持っていた人格を消された状態になる。天国か地獄、そのどちらかに着いてやっと、人格を戻してもらえるらしい。悪人の魂が地獄に行くことを拒んで天国へと逃げるのを防ぐ、という理由からだ。そうは言っても、魂はただその人間が死んだ場所に留まっているわけではない。たいした意思もなく、赴くままに転がっていってしまうから、集めるのも一苦労だ。出世を狙う奴らは躍起になって魂を探し、時間外労働も厭わずに働いているが、俺にそんな野心はない。俺たちの生きる地獄は、生者の世界に似て極めて企業的なところだ。この世界で、死ぬこともなく永久に世を治め続けることを許されたのは、天の神ただ一人。許された、と言うのも変な話だ。天の神が、そうなるようにこの世界を作ったのだから。とはいえ、天国も地獄も、現世も全て天の神が治めるというのはどだい無理な話だ。だからこの地獄は、かつての悪魔の王・サタンをはじめとして、ベルゼブル、リヴァイアサン、アスモデウスなど過去に存在した名だたる10人の悪魔たちの名前を称号、肩書きとして残し、それらに優秀な悪魔を任命することで運営されている。この称号には、さっきのアザゼル、という悪魔も含まれている。現世でいうところの社長、副社長、部長というようなものと同じだろう。天国も似たようなシステムをとっていると聞くが、詳細はよくわからない。広大な天国と地獄、あくせくと働いた結果がその管理だなんて、やっていられない。偉くなったところで、たいして楽しい生活を送れるわけでもない。成り上がろうと努力する奴らの気持ちなど、俺にはよくわからない。どれだけ出世したって、悪魔だと忌み嫌われ、蔑まれることに変わりなどないというのに。


 珍しく考え事をしながらも、一つ、二つと魂を集め、あと一つというところまで来た。その一つがどうにも見つからず、軽くいらいらとしながら早足でその場を歩いて回る。雨足は激しくなるばかり、さっきよりも大きくなった雨の音が、頭の中で響いている。足元を見ていても、一向に見つかることがなく、場所を変えたほうがいいのだろうか、なんて考え出す。おかしい、いくらなんでももう少し落ちているものだが…昨日は死者が少なかった、なんて話も聞かないし、探せばまだまだ見つかるはずだ。思わず舌打ちをして、振り向いた先に、彼女はいた。

「あれは…」

 どこからどう見ても、天使に違いなかった。腰まで届きそうな波打つ金色の髪、身に纏うのは純白のワンピース。その頭上にはきらきらと光る輪が浮かんでいて、その大きな羽は、何かを守るように、包み込むように広げられている。その裸足の足元、天使が雨から守っていたのは、地に落ちた、一つの魂。近寄ったら逃げられるだろうか、そう思いはしたが、せっかく見つけた魂を回収しないのは変な話だ。そもそも、逃げられることなど日常茶飯事なのだから、今更気にしたところで仕方がないだろう。そう自分の中で結論づけ、俺はゆっくりと歩き出し、天使の前に立ち止まった。

「その魂、地獄行きだろう」

 目の前に立っても気づく様子がないから、なんと声をかけたらいいかわからず、ただそう言う。

「天使が何をしている?」

 俺が続けると、天使は慌てたように顔を上げた。翡翠をはめ込んだような、茶色みのない浅緑の目が、驚きを湛えて俺を見上げている。怖がっているのか、しばらく待っても天使は黙ったままだ。ああ、めんどくさいことになった。天使たちが俺たちの声に応えるわけなんてないのに、なんでわざわざ話しかけに行ったんだ。数秒前の自分の判断を恨み、いっそ声なんてかけない方がよかっただろうか、そんなことを思って軽く息を吐く。

「お前たちは俺たちとは話せないんだったな」

 思いの外自分の声に呆れたような響きが入っていることに、少し驚く。避けられるなんて今更気にするまでもないことだと思っていたから、自分がまだ天使たちに期待を持っていたことに否応なく気付かされて、余計にいらつく。もう早く仕事を終わらせて、帰ったらこの天使のことはさっさと忘れよう。かがみ込んで落ちている魂を拾い上げ、ポケットに入れる。地獄へと降りて行こうと翼を広げたその時、引っ張られるような違和感を、足元に感じた。

「待って、違うの」

 見下ろすと、依然として俺の足元にしゃがんだ天使が、スーツの裾を掴んでいた。話しかけてきたことにひどく驚いて、右の眉がぴくりと震えるのがわかった。天使の声を聞いたのは初めてだ、その軽やかな響きは降りしきる雨にはひどく不似合いで、心がざわめく。あからさまに反応するのも癪で、こちらを見上げる目から、ふい、と視線を外してしまう。

「やめとけやめとけ、俺と話すと汚れるぞ」

 皮肉を口にすると、遠くで雷の音がした。大きな音に怯えたのか、天使はぴくりと体を震わせる。スーツを掴む手を払うようにして脚を後ろに引くと、その手はあっけなく離れたけれど、帰ろうとした俺が翼を広げきるより先に、天使が立ち上がって、驚いたことに俺の両手をひしと握った。

「何を…」

「ごめんなさい」

 唐突な謝罪に戸惑い、無意識のうちに眉間に皺がよる。天使の顔を覗き込むと、明るい緑色の目が揺らいで、一筋の涙が、つう、とその形のいい頬を伝った。雨足は少し弱まって、雷の音も遠のいてゆく。この天使が何に謝っているのかが分からず、答えることができない。涙を流して謝る少女を前にして少々きまり悪く、途方に暮れていると、天使は静かに続けた。

「昔から、あなたたち悪魔とは話しちゃいけないって言われて育ってきたの。一人で地上に降りて魂を集めるようになったのはつい最近のことで、先輩との研修では、多分私が悪魔と会わないようにって先輩が避けてたんだと思うの。だから今日、あなたみたいな悪魔に会うの、初めてのことで」

 話の脈絡がつかめず、ただ黙ってその話を聞いていると、天使は俺の手を握る力をぐっと強くした。緊張からか、その声は弱々しく、微かに揺れている。

「でもやっぱり、悪い人たちだって決めつけてあなたたちを避けるのって、私、間違ってると思って」

 雨が上がる。日の光が、雲の隙間をぬって柔らかく差し込んでくる。彼女の目からは、もう涙はこぼれ落ちてこない。柔らかく、でもその奥底に強い意志を秘めるその瞳に気圧されて、体が動かなくなる。その感覚に、どこかで聞いた、気にも留めずに忘れてしまっていた話を、今更ながらぼんやりと思い出す。


『時間外労働の積み重ねとか、とにかくそういう努力を認められて役職を得る悪魔もいるが、そういうやつは、本当に優れた悪魔とは言わない。本当に優れた悪魔、天使もそう、天の神に選ばれた者たちは、生まれ持つ力も、才覚も、全くもって他の者たちとは違っている』


 さっきまでの大雨が嘘のように、太陽の光が世界を包み込んでいた。握られた手、このままここにいたらいけない、そう思って振り解こうと思っても、思うように力が入らない。彼女の声はひどく静かで、でも少し震えていて、年相応の危うさが垣間見える。

「私一人がこう思ったところで、数千年続くこの世界の常識は、簡単には覆せないわ。そんなことはわかってる。それでもね、」

 逆光を受けて、白い服を纏う彼女は淡く儚く、照り映えて見える。眩しさに目を逸らそうとしても、体が言うことを聞いてくれない。訴えかけるように、心から祈り願うように、切々と言葉を紡ぐ姿に、俺の憶測は、確信になった。ああ、間違いない、彼女が、彼女こそがそうなのだ。


『天候をも左右する強大な力、世界を変える力、数百年に一度現れるそういう者たちを、本物の悪魔、天使と呼ぶのだ』


「誰も傷つかないでいい世界があればいいのにって、願ってしまうの」

 天候すらも、そしてきっと、いつかは世界のありようも変えてしまうような、強烈な魅力。それこそが本物。そして、彼女こそが、本物なのだ。


 ずっと俺の手を握り続けていたことに気がついたのか、彼女はひどく恥ずかしそうに俺の手を離した。その様子が、彼女がまだ一人で魂を集めるようになったばかりの少女であったことを、俺に思い出させる。悪魔と天使で、どこまでその生態が似通っているのかは分からないが、見た目から判断すると、歳は俺と4、5年ほどしか変わらないように見える。さっきまでの、圧倒的な力に飲み込まれていくような空気は霧散し、彼女は少し躊躇うようにして、もう一度、今度は右手だけを差し出してくる。

「私、ユーニスって言うの。私、あなたのこともっと知りたくて…だから、あなたの名前も、教えてもらえないかな」

 この手を取ってはいけない。悪魔と天使の必要以上の交流は、禁じられているのだ。そうわかっている、わかっていても、彼女が無意識に纏うその大きな力に魅了された俺に、正常な判断などできるはずもなかった。差し出された手を取り、こちらを見上げる瞳を、見返してしまった。

「俺はサイラス」

 彼女が描く世界に、一瞬でも夢を見てしまった。それが、禁じられた願いだと、わかっていながら。彼女は、ユーニスは笑って、もう片方の手も添え、俺の手を包み込んだ。こうして見ていると、その辺の人間とも、悪魔とも変わらない、ごく普通の少女に見える。聖母のような慈愛に満ちた先ほどの彼女の姿と、今の姿との間で印象がゆらめき、ひどく混乱する。それでも、今更この手を振り解くことなんて、もうできないのだった。

最後まで読んでくださりありがとうございます。

天使と悪魔の出会いとその恋の行末を描いていくシリーズにしていくつもりです。

ゆっくりの投稿になりますが、今後とも読んでいただけたら嬉しいです。

ここまで読んでくださりありがとうございました。

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