第5話 武道家としての誠司
誠司は誠太郎と向かい合い、自分の間合いを作る。
誠太郎は誠司と向かい合ってから気迫が増したように感じられる。
そして誠太郎と対峙する誠司も、まるで中身だけが入れ替わってしまったかのように、いつもの穏やかさが消え、獲物を狙う鋭さを秘めた静かな威圧感をまとっていた。
祖父と孫が向かい合ってこのような張り詰めた空気になるというのは、まずなかなか無い事だろう。
誠太郎はそんな孫とのこれからのやり取りが楽しみで仕方ないのか、目を輝かせている。
「なんでもええ。誠司の好きなように打ち込んで来い」
「分かりました」
誠司は一気に間合いを詰めた。左の手刀が一閃し、誠太郎の頭部に振り下ろされる。
誠太郎は下がらず、間合いを自分から詰めて誠司の伸ばした腕の下に潜り込む。
そして自らも手刀を振り上げて、誠司の切り落とした腕を返した。
そしてそのまま抑え込もうとする。
誠司は足をスッと動かして誠太郎に一瞬だけ背を向けると、刹那、切り返した。
普段稽古ではあまり行わない返し技であった。
誠太郎は切り返して来た誠司の手刀を捌き、肘関節を取ると投げの態勢に入る。
円転の動きをなぞるように誠太郎は螺旋状の渦を描く。
誠司はその渦に巻き込まれていくかのように足を動かす。
そして誠太郎の円転は一瞬で反転し、誠司は動きと反対方向に切り返される。
誠司の体が宙に舞った。
「誠司君!」
ひかりは思わず叫んで立ち上がろうとした。
その肩に斎藤の手が置かれる。
「大丈夫だよ」
誠司の体は技の流れに巻き込まれたかのように見えた。
しかし、実際は極まった肘関節が持って行かれる方向に自分から跳んでいた。
支点にした肘に負荷をかけずに誠司はその場で一回転してふわりと受け身を取ったのだった。
投げられた途端にすぐに立ち上がった誠司は、もう次の打ち込みを仕掛けていた。
「大先生の技の切れ味は凄まじいけど、あいつはそのさらに上の受け身を取るんだ。久しぶりに本気で技を掛けれる相手と演武が出来て、先生も楽しそうだ」
斎藤が言ったように、誠太郎の技のキレは先ほどまでとは違っているように見えた。信一郎に掛けていた時よりもさらに厳しい技を誠司は連続で受け続ける。
「大丈夫、心配ないよ。あいつは特別なんだ」
「特別……ですか」
目を離す事の出来ない二人の演武に集中しつつ、ひかりはそう返した。
「そうだよ。あいつは俺たちがいくら望んでも手にする事の出来ない才能を生まれながらにして持っている。よく見ておくんだ本当の彼を」
そしてひかりたちが見守る中、とうとう大島の息が上がり始めた。
誠司も肩で息をしていたが、バランスの取れた姿勢は変わらず、静かに間合いを保っていた。
恐らく次が最後の技だろう。
その場にいた者全員が、対峙する二人の気迫を感じ取っていた。
誠司が仕掛けた。
あっという間に間合いに入り、誠太郎のこめかみに向かって斜めから手刀をはしらせる。
誠太郎は誠司の手刀を片手で捌きながら内側に入り、当身を喉元に入れに行く、ややのけぞり気味でその手を払いのけた時、手刀をはしらせていた誠司の伸びきった腕は誠太郎の両手に納まっていた。
誠太郎がそのまま投げ技に入る。
一足で技を完成させるというのはまさにこのことだった。
足が動いたときには誠太郎の体は反転しており、かつ切り降ろしも完成していた。
誠司は片腕を極められた状態で宙を舞っていた。
それを目にしたひかりは大きく目を見開いて息をのんだ。
パン!
誠司の体はあれほどの苛烈な技を受け流し、伸ばされた腕にかけられた力を逃がしつつ一回転し、フワリと畳に手をついて安全な受け身を完成させていたのだった。
技を極めた誠太郎が爽快な笑みを浮かべた。
「久しぶりに本気で人を投げたよ。誠司、ようやった」
誠司はスッと立ち上がってから、誠太郎と向かい合い正座した後、一礼した。
「ありがとうございました」
誠司はまたスッと立ち上がってひかりの元へと戻って来た。
ひかりはすかさず心配そうに尋ねる。
「誠司君、大丈夫? 何ともない?」
「うん。このとおりだよ。どこも痛くないよ」
「良かった……」
あまりに心配し過ぎていたひかりの目頭が紅くなる。
誠司はひかりの目に光る涙を見てしまい、おたおたし始めた。
さっきまでの堂々と落ち着いていた風格は消し飛んでしまっていた。
「ごめんね、心配させて。もう大丈夫だから。もう怖い事は無いからね」
「うん……」
何となく周りにいた者たちは二人の純情さに少し紅くなってしまっていた。
そんな二人を遠目に見ていた誠太郎も同じ様に少し紅くなっていた。
「う、うん、ではこれで演舞大会を終わります。みんなようやってくれた。ちょっと休憩してあとで少しだけ稽古をしよう」
誠太郎は一度皆を解散させてから誠司たちの元へ走って来た。
「すまんすまん。つい本気でやっちまった」
「やっぱり。受け身を取りながらそうじゃないかって思ってたんだ」
「おまえが悪いんだぞ。俺を本気にさせおって」
全く悪気など無い感じの誠太郎に誠司は苦笑してしまう。
「俺はいいけど、おじいちゃん腰痛いって言ってたよね。大丈夫なの?」
「あ、そうだった。忘れてた」
「なんだ、大したこと無さそうだね」
ついさっきまでぎりぎりのせめぎ合いをしていた二人が、間の抜けた会話をしているのを見て周囲の者もクスクス笑い始めた。
斎藤も可笑しかったのか誠太郎の手前、笑いをこらえながらさっきの演武を振り返った。
「大先生、もうやめて下さいよ。俺は誠ちゃんよりも先生の方を心配しましたよ」
「いいだろ。誠司と絡むのが俺の唯一の楽しみなんだ。年寄りの楽しみを奪うなよ」
ハハハと笑う誠太郎に、ひかりと楓の緊張も少しはましになったみたいだった。
「すみませんでしたね、ひかりさん。ひやひやさせてしまって」
「あ、いえ、私演武のことよく知らなくって勝手に心配してしまって」
「本当はもうちっと優しく投げるつもりだったんですよ、でも孫にスイッチを入れられてしまってこの有様です」
「なんだか俺が悪いみたいに聞こえるよ」
「悪かったよ。あんまし人前で謝らせるなよ」
その姿を見ていた弟子たちはニヤニヤしながら感心していた。
そして斎藤は皆を代表してニヤニヤの理由を聞かせた。
「そう言えば、長い間先生と一緒にいた俺でも、先生が誰かに謝ってるのは初めて見たな」
斎藤がちょっと遠慮がちに言ったのに対し、そこへ面白そうだと顔を出した松田が余計なことを言った。
「斎藤さんの言うとおりだ。俺には先生と言えば誰かを叱り飛ばしているのしか浮かんでこないもんな」
「何だと」
そのひと言で青筋を立てた誠太郎は松田をぎろりと睨んだ。
「おじいちゃん、おじいちゃん」
誠司がすかさず止めに入った。
折角和みかけた雰囲気が怪しくなりだして、ひかりがまた少し不安気な顔をしていたからだった。
誠太郎はすかさず取り繕う。
「ハハハ。松田君も冗談きついね」
誠太郎はこめかみをヒクつかせつつ笑みを浮かべた。
「松田君。君とは後でちょっと話があるから、終わったら俺の部屋に来なさい。いいね」
「はい……」
松田はげっそりとした顔で返事をすると、肩を落としてその場を去っていった。
誠太郎は気を取り直して誠司に向き直る。
「さあ誠司、この後ちょっとだけ稽古しような。良ければお友達もどうですかな、誠司が優しく教えてくれますよ」
ひかりと楓は少し興味が湧いたのか、その気になっているように見えた。
しかし勇磨は誠太郎と絶対に目を合わさない。
「私、ちょっとだけ体験してみようかな」
「じゃあ、私も高木君に教えてもらおう」
ひかりはむしろ、誠司に教えてもらいたそうにしていた。
そして、演武を目の当たりにして興奮気味の楓は、やってみたくて仕方ないという感じだった。
勇磨だけは下を向いたまま、俺には構わないでくれと無言で言っている様だった。
誠太郎は女子二人の反応に嬉しそうだ。
「道着なら新しいのを用意させますよ。空いている部屋で着替えて下さい」
「いえ、そんな、わざわざ用意して頂かなくても……」
「いいえ、折角来て頂いたんだ。そうしてください。道着は今日の記念に差し上げますので」
そのひと言に楓はすかさず反応した。
「えっ、いいんですか? もらっても」
「はい。差し上げます」
「やった。じゃあ遠慮なく頂きます」
楓がもうその気になっているので、ひかりも仕方なく誠太郎の厚意に甘えることにしたのだった。