第2話 誠太郎の画策
新年が始まって四日目。
学校が始まるまではまだ少しあったが、誠司は朝から忙しく動き回っていた。
本当は冬休みの間は、ひかりとゆっくり過ごす予定だった。
しかし正月早々帰って来た祖父、誠太郎の登場で誠司の冬休みはたちまち慌ただしいものとなってしまった。
もともと誠司と絡みたくて帰って来た誠太郎は、誠司が今誰かと恋愛中だと知って、あのスケート場でのデート中に、引き留める信一郎を押し切って覗きに来た。
そしてそれを皮切りに、あれから誠太郎は二人の事が気になって仕方ないのか、何とか誠司達カップルに絡もうと画策していた。
そして誠太郎の行動力は人並外れていた。
何を思いついたのか、全く予定していなかった演武会を開催すると言い出したのだった。
恐らく誠太郎は久しぶりの帰国で、懐かしい顔ぶれに会いたいというのもあったに違いない。
そしてどうせ弟子を集めるのなら、いっそ演武会にしてしまって、ひかりを招待しようと思いついたのだろう。
善は急げと、早速、渋る信一郎を説得し、門弟を集めろと召集をかけさせ、五日に大島誠太郎帰国記念演武会が開催されることになった。
そして誠司は明日の演武大会のために、朝早くから道場で準備をさせられ、当たり前のように大勢集まる食事の段取りなどを大急ぎで手配していたのだった。
今日もひかりと出掛けようと思っていた誠司は、予定を潰されて相当不機嫌になっていた。
ただ一つ良かったのは誠太郎に言われたとおり、ひかりを誘うと、勿論ひかりは誠司の誘いを断る訳もなく、むしろ喜んでくれたことだった。
一月五日、演武会当日。
いきなりな上に正月明けということもあって、今通っている道場生はあまり参加していなかった。
しかし、昔誠太郎に世話になった内弟子たちは、ほぼ全員集まった。
断れないと分っていて召集をかけたのであろうと、仕方なしに集まった顔ぶれを見て、誠司は気の毒だなと思っていた。
次々と高木家に門弟が集まる中、誠司は冷え込んだ朝の空気に白い吐息を漂わせつつ、ひかりが来るのを玄関先で待っていた。
そうしているうちにひかりは、予め誘っていた楓と勇磨を連れて高木家に顔を出した。
ひかりと楓はこれからの演武を楽しみにしていそうな雰囲気だが、勇磨は暗い顔をして二人の後に付いてきた。
まだ過去のトラウマから脱しきれていないらしい。
「おはよう、ひかりちゃん。橘さん。それと勇磨も」
「おはよう誠司君」
白いコートに身を包んだひかりは今日も眩しく輝いていた。
その横で楓が手を振る。
「あ、高木君おはよう。ね。ひかりから聞いたわよ。高木君も演武に出るって」
「まあ、そうなんだけど。あんまし期待しないでね」
「そりゃするなって言われても期待するわよ。合気道の演武を観れる機会なんて滅多にないし、高木君も出るし。それとあの伝説の三人が恐れおののくおじいさまもいるんでしょ」
楓の中で誠太郎がどんなふうにイメージされているのか、そちらの方に誠司は興味をそそられた。
「橘さんはどんな想像をしてるのか知らないけど、ひかりちゃんから聞いてない? ごく普通のおじいちゃんだよ」
「へえ、そうなんだ」
軽くそう言った楓の後ろで、勇磨は蒼ざめて震えあがっていた。
「いいや、絶対嘘だ。あの伝説の三人が恐れるじいさんだ。鬼か悪魔かそんな感じに違いない」
「何ビビってんのよ。だらしないわね」
楓は今すぐ帰りたそうな勇磨の尻をバシッと叩いた。
「おじいさまの演武も観れるんだよね」
楓は勇磨と対照的にノリノリだ。
「まあ、そうだね。おじいちゃんは演武の大トリを務めるよ。橘さんの言うとおり滅多に観れないから値打ちはあると思うよ」
「期待しとこ。ね、ひかりも楽しみなんだよね」
「うん。何だか期待しちゃう。おじいさまもそうだけど、誠司君が演武している姿ってどんなのかな」
ひかりはさっきから誠司のいで立ちを頬を染めてじっと見ていた。
既に誠司は道着に身を包み、合気道の有段者が正装として身に着けている袴を穿いていた。
普段の見慣れた誠司と違い、白い道着と濃紺の袴で正装した凛々しい姿にひかりはやられてしまっているみたいだった。
「高木君、ひかりったら今、惚れ直してるみたいだよ」
「えっ?」
誠司はどういうことなのかと聞き返した。
「ね、ひかり。図星でしょ」
「もう、楓、からかわないで」
そう言ったひかりの頬がさっきよりも紅く染まってゆく。
「誠司君、すごく似合ってるよ……」
「ホントに? ありがとう……」
二人はもじもじしながらお互いに目のやり場に困っている。
その時、奥の方から誠司の父信一郎の声が聴こえてきた。
「おーい、誠司、そろそろ始めようかって」
「分かった。今行く」
誠司は家の中には三人を通さず、そのまま庭を抜けて道場へと案内した。
「ごめんね。なんだかおじいちゃんが急にやるって言いだして」
「ううん。誘ってくれてありがとう。でも私達みたいな部外者がいいのかなってちょっと思ってて……」
そうやって遠慮しているひかりには、これら全てがひかりを誘いだすための画策だとはとても言えなかった。
「いや、何にも気にしなくていいからね。楽に寛いで観ててね」
「うん。演武がんばってね」
「うん。がんばるよ。でもひかりちゃんが観てくれてると思うと緊張しちゃうな」
そう言ってから誠司は道場に三人を通した。
道場内で体をほぐしていた三十名ほどの者が一斉に誠司達に注目した。
誠司は慣れた所作でスッと正座をして、まず正面に向かって手を合わせ礼をする。
同じ動作を二度ほどした誠司に倣い、三人とも同じように礼を終えた。
顔を上げた誠司は、やはりなといった感じで苦笑いを浮かべた。
全員が全員、ひかりに注目している。
父の信一郎か、あの伝説の残りの二人か、ひょっとすると誠太郎かも知れないが、誰かがひかりの前評判を流しているのは間違いないようだった。
流石に注目され過ぎて居心地が悪いのか、ひかりもそわそわしていた。
「ごめん。きっと父さんだ。またひかりちゃんの自慢したんだと思う」
「すごく恥ずかしいんですけど……」
頬を少し染めてうつむく可憐な姿に誠司もやられてしまいそうだった。
「すげえな時任の人気は。それに比べて……」
勇磨はボソリと余計なことを言ってしまった。
「あんた、後で覚えときなさいよ」
楓は鋭い目つきで勇磨をひと睨みしてから、道場の一角で手を振っている松田謙三と相馬太一に向かって手を振り返した。
「やあ、あけましておめでとう。君達も正月早々大変だね」
松田がごつい顔に満面の笑みを浮かべて近づいてきた。
「いえ、呼んで頂けて光栄です。皆さんの演武を観られるって聞いて楽しみにしてたんです」
「それは嬉しいね。じゃあ、おじさん達も頑張っちゃおうかな。なあ太一」
「ああ、頑張るよ。この間先生にしごかれたのがまだこたえてるんだがな。なあ、健三もだろ」
「ああ、俺もだよ。全く困った人だよ大先生は」
松田が大先生と言ったのは、今現在の誠真館の道場長である信一郎と区別するためだった。
誰がそう呼びだしたのかは不明だが、皆誠太郎のことを自然とそう呼んでいた。
その輪の中へ、ニコニコしてあの斎藤が入ってきた。
「よく来たね。みんな君たちが来るのを楽しみにしてたんだ。ざっと見てもらって分かるように、いい年したおじさんばかりだろ。二人が来てくれてずいぶん華やかになったよ」
「あの、斎藤さん、勇磨も来てますよ」
誠司が補足すると、斎藤は勇磨の肩をポンと叩いた。
「ああ、よく来たな。勿論君も大歓迎だよ。ゆっくりしてってくれ」
「はあ、ありがとうございます……」
出来るだけ目立ちたくないのか、勇磨はいつもの元気がまるで無かった。
斎藤は松田と相馬に向き直り演武の流れを確認し始めた。
「松田、相馬、お前たちは一番手だったな」
「はい。ウケ、トリ、途中で交代してやります」
「ずいぶん稽古してなかったんだろ。いきなり出来そうか?」
「それが、大先生が帰ってきた日に、ここにたまたま居合わせてしまって、そのまましごかれたんでちょっとは感覚を思い出しました」
「ハハハ、そうだったのか。大方二日酔いだったんだろ」
「そのとおりです。酷い二日酔いで、いやというほど受けを取らされえて正月早々地獄を味わいましたよ」
「まあ、いいじゃないか。大先生もお前たちがいたお陰で退屈せずに楽しかっただろう。今日も演舞大会の後、ちょっと稽古しようかって言ってたぞ」
「いやだなあ」
松田と相馬は渋い顔をしながら口を揃えてそう口にした。
「どうだ、少年。道着貸してやるから君も参加しろよ」
そう斎藤に振られて、勇磨は蒼白な顔で首を横にブンブン振った。
「さあ、そろそろだぞ」
斎藤が道場の時計を見上げてそう言うと、松田と相馬は正面に向かい、等間隔を開けて正座した。
誠司はひかりたちを連れて一番後ろに回り正座をする。
各々、懐かしい顔ぶれとおしゃべりしていた声はぴたりと止んで、道場の中にまるで誰もいないかのような静寂が訪れる。
そこへ道場の入り口から高木信一郎が道着に濃紺の袴姿で現れた。
丁寧な所作で道場の正面に正座で礼をした後、立ちあがって前にスッと出ていく。
そして皆の前で正座をし、一礼した。
「よろしくお願いします」
信一郎の後に続いて皆が一斉に正面に一礼する。
「よろしくお願いします」
誠司や他の道場生たちには見慣れた光景だが、ひかりたち三人には新鮮だった。
「皆さん遠方の方もおられるのに、わざわざお越しくださってありがとうございます。急で申し訳なかったのですが、大先生の帰国に合わせて懐かしい顔ぶれで演武大会を開催することとなりました。普段稽古をされている方もそうでない方も、各々自分の今持っているものを演武で出して頂ければと思います」
信一郎は簡単な前置きの後、ひかりたちの方に目を向けた。
「今日は特別に息子誠司の友人がこの演武大会を観に来てくれてます。高校生の子たちの印象に残るような良い演武をしましょう。では私の話はこれぐらいにして、あとは大先生に任せます」
信一郎の前置きの後、独特な緊張感の中、スッと道場に誠太郎は姿を見せたのだった。