第1話 ひかりと二人の冬休み
冷たい空気に頬を少し紅くして、白い吐息をふわりと舞わせるひかりを誠司はじっと見てしまっていた。
一月三日。
学校が始まるまでまだしばらくある冬休み。
誠司はひかりと過ごす初めての冬休みを満喫していた。
元旦に初詣をし、二日にはひかりの両親と食事し、その後二人でスケートにも行った。
新年三日目の今日は、待ち合わせをして一緒に昼食をとった後、映画を観た。
甘いキャラメル味のポップコーンを二人で食べながら、この冬話題になっていた洋画を観た。
ひかりは終わり際の感動的なシーンで、劇中のヒロインに負けないぐらい泣いてしまった。
誠司はそんなひかりが可愛くて愛おしくて、映画そっちのけでひかり見てしまったのだった。
そして今、モール内にある映画館を出た二人は、駅前通りを手を繋ぎながら歩いていた。
「ごめんね、誠司君。私ったら涙止まらなくなっちゃって」
「いいんだ。ひかりちゃんのそんなところを見れて得したっていうか」
「えっ。泣き顔だよ?」
「うん。だけど、見とれちゃったんだ。可愛くって」
誠司の恥ずかしそうなひと言に、ひかりは頬を染めてはにかむ。
「嬉しいけど恥ずかしい……」
お正月のせいか、あまりまだ人通りのない駅前通り。
誠司とひかりは通り掛かった白い扉の店の前で足を止めた。
「なんだか懐かしいね」
「うん、まだ半年も経っていないのにね」
誠司とひかりが多分初デートしたパンケーキのお店。
二人ともガチガチに緊張したまま、以前この扉を開けた。
「今日から営業だって、寄って行かない?」
「うん。入りたい」
誠司の誘いにひかりは嬉しそうに応えた。
「いらっしゃいませ」
扉を開けると以前と変わらない甘い匂い。
あの夏の午後、特別な時間を過ごし、名残惜しさを小さなテーブルに残したままこの店を出た。
きっともうこうして二人で来ることは無いのだろう。そう思っていた。
そんな二人はまたこうして白い扉を開け、手を繋いだまま甘い匂いのする店内に足を踏み入れた。
「こちらへどうぞ」
案内しようとした店員に、誠司はすみませんと声を掛けた。
「こっちの席でも構いませんか?」
「勿論です。どうぞ」
店員はニコリと笑顔を見せて、誠司の指さした窓側の席に案内してくれた。
あの日二人で向かい合った小さなテーブル。
お互いに同じ席に座り、照れたような笑みを浮かべ合う。
二人はあの暑かった夏の日とは違い、温かい飲み物を注文した。
そして最初の一口で感動した、あのフワフワのパンケーキ。
注文を終えて、運ばれてきたパンケーキにひかりは目を輝かせる。
「先に切っておくね」
ひかりは誠司の注文した皿に手を伸ばすと、食べやすい大きさにナイフを入れていく。
以前、ひかりが同じ様にしてくれたのを思い出し、誠司の胸の中が熱くなってきた。
「ありがとう」
そして二人ともカットしたパンケーキを口に含んで、幸せそうに目を細めた。
「やっぱり美味しい。魔法みたい」
「そうだね。ひかりちゃんの言うとおりだ」
二人は他愛のない話をしながらパンケーキを口に運ぶ。
時折、口どけの良いその柔らかさを味わいながら、二人とも何かを思い出しているかのようにフッと静かになる。
この口にしているものの甘さの中に、二人にとって大切な思い出が詰まっている。そんな風に見えた。
「こうして君といられるなんて……」
ふと口にした誠司のひと言にひかりは手を止めて頷いた。
「私もおんなじこと考えてた」
小さなテーブルで向かい合う二人は、あの日とは違い素直な気持ちを伝え合えていた。
お互いに視線を合わせられず、ぎこちなく他愛のない話をした大切な記憶。それは二人だけが共有する宝物だった。
そして、誠司はあの日の自分には言えなかったひかりへの想いを、今なら伝えることが出来るのだった。
「あの暑かった夏の日、俺はやっぱり君が好きだった」
恥ずかし気にそう言った誠司の言葉を、ひかりは頬を染めて受け止める。
「でも君の親切心に勘違いして自分の恋心を膨らませてはいけないと、あの時言い聞かせてたんだ。純真な君に対して少しでも下心を隠し持っていた自分が恥ずかしかったんだ」
「誠司君……」
「美味しかったって言ってくれた君にまた来ようよって、あの日、本当は言いたかったんだ」
ひかりはテーブルの上の誠司の手に自分の手を重ね合わせた。
ほんのりとひかりの目頭が紅くなる。
「私だってそうだった」
ひかりは重ねた手に少しだけ力を込める。
「あなたと過ごしたあの日は私にとっても特別だった。何時までも誠司君と、この甘い匂いのする店内で、こうしていたいと思ってた」
ひかりはあの日言葉に出来なかった胸の内を、やっと言えたのだった。
「きっとあの時、もう私は誠司君に恋をしていたんだ」
あの暑かった夏の午後。
頬を熱くさせ、二人で入ったクーラーの良く効いたこのお店。
ぎこちなく笑顔を見せ合ったあの日の二人は、今こうしてあの時の想いを告白し合ったのだった。
夕方、遅くなる前にひかりを送って帰宅した誠司を祖父、誠太郎がバタバタと出迎えた。
「誠司、首尾はどうだった?」
アメリカから正月に帰国した誠太郎は、まだしばらくここにいる予定だった。
元々この高木家は大島誠太郎が建てたものなので、当然のことながら何の遠慮もしていなかった。
誠太郎は子供の様に目を輝かせて、孫の誠司の今日一日を訊いてきた。
「いや、おじいちゃん、言わないといけない?」
「ああ、話してくれ。お前に会いに帰って来たのに置いてかれた俺の身になってくれてもいいだろ」
「ハー」
誠司は深くため息をつく。
「じゃあ後で話すよ。お風呂って沸いてるのかな?」
「おお。沸かしといた。一緒に入ろう」
「一緒に? ひょっとして待ってたの?」
「そうだぞ。誠司と風呂に入ろうと待ってたんだ」
高木家の風呂は少し変わっていた。
内弟子がいた時代に、まとめて入れる様にと造った風呂場は、四人ぐらいは入れる大きな檜造りの浴槽と広い洗い場があった。
誠太郎と誠司が入ってもまだ余裕があるぐらい広かった。
そして孫に絡めて嬉しそうな誠太郎と一緒に、誠司は風呂に入ったのだった。
「なあ、誠司。じいちゃんな、いいことを思いついたんだ」
「え? なにを?」
ゆったりとした湯船に浸かりながら、誠太郎はニコニコして誠司に話しかけてきた。
スケート場のことがあったので、誠司はまた良からぬことを思いついたのではないかと不安気だ。
「みんなを集めて演武大会をやろうかなと思ってな」
「ふーん。いいかもね。おじいちゃんに会いたい人も多いだろうし」
長年道場をしていた誠太郎には大勢の弟子がいた。
斎藤や木島のように今も道場に残っている門弟は僅かで、その殆どが何らかの理由で誠真館を出ていた。
忙しさの中で稽古に顔を出さなくなったものもいれば、転勤などで通えなくなり別の道場で合気道を続けている者もいた。
恐らく誠太郎が声を掛ければ、そこそこの人数が集まってくるだろう。
「それで何時やるんだい?」
「五日に決めたよ」
「明後日じゃないか!」
誠司は思わず大きな声をあげてしまった。
「いや、いくら何でも急すぎでしょ。正月明けでみんなそれどころじゃないと思うよ」
「俺を見くびっているのか? 召集をかけたらみんな集まるさ」
「いや、そうかも知れないけど……」
「それでな、お前の熱愛中の別嬪さんの彼女、ひかりさんといったな、あの子も演武大会に招待したいんだ。誘っといてくれ」
誠司はそこで祖父の意図に気付いた。
つまりこの大層な計画は、堂々と孫と孫の彼女に絡みたくて、立案したに違いなかった。
「で、今日のデートはどうだったんだ? 最初から詳しくじいちゃんに聞かせてくれ」
好奇心むき出しで迫ってくる誠太郎に、誠司はしぶしぶ今日の一日を話して聴かせたのだった。