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好色伯爵は森の中  作者: 砂臥 環
第一章:加護と血
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③光と影

 

 加護を受けている、と聞いてもピンとこない様子の彼女に、アウグストは重い口を開く。


「ベアトリーチェ」

「はい」

「加護を受けている君の傍にいるだけで、私は健やかにいられる」

「そうなのですね……」


 ベアトリーチェはガッカリする以上に納得いった。

 そして納得以上に不可解なのが、彼から伝わってくるモノ。哀しみと煩悶。

 こんなに解るのも加護の力故だろうか、と不思議なくらいに伝わってくるのに、その理由がよくわからないのだ。


「君をできる限り愛したいと思う……」

「……はい」


 再びあの夜と同じ言葉を言われ、ベアトリーチェは息を飲むように返事をした。


 やはりどこか妙な言葉だ──哀しみ悩む理由がわからない。それと同様に、哀しみ悩みんでいる様子なのに、拒絶の響きは微塵も感じられないのが。


「ここでの生活はどうだろう。 不自由はない?」

「ええ、お陰様でよくして頂いてます。 旦那様には感謝しかありません」


 安堵の溜息と共に「そう」とだけ言って微笑む。どこか窺うようなアウグストの瞳は、以前にも増してとても(いとけな)く感じる。


(ああ……この人は)


『できる限り、愛したい』──ベアトリーチェはようやくその意を察した気がした。


 きっと、愛がなにかすらよくわからないのだ。

 自分と同じように。





 それからのベアトリーチェは以前とは比べようもない程、堂々と振る舞えるようになった。


 アウグストへの気持ちは、簡単に割り切って『これだ』と言えるようなものでもない。だが少なくとも恩義は感じている。

 自分がいることでアウグストの『身体が楽になる』という直接的な理由は、ベアトリーチェが抱く強い引け目を打ち破るには充分だった。


 堂々とさえできれば、もともと身に付いている所作。磨きをかけるのにそう時間は要らない。


「──奥様」

「はい、先生」

「よろしいですか? 伯爵様の伴侶たるもの既に貴族の一員。 侮られてはなりません」


 その言葉にベアトリーチェは、動じてはいけないと思い深く頷くも、身体を僅かに強ばらせる。


 ──『侮られてはなりません!』


 家庭教師のノーラは厳しかったが、彼女は常に真っ当な指摘やアドバイスしかしない。ベアトリーチェの身体に緊張を(もたら)したのは彼女ではなく、脳内で重なったヒステリックな母の声だ。


 ──『貴女は人と違う、尊き娘なのですよ!』

 ──『なのにどうして、こんなことも出来ないのですか!』


 だが、それは一瞬だけ。

 かつての母の言葉を思い出し萎縮しかけたベアトリーチェだったが、そんな言葉は続かなかった。


「どんなにちゃんとしようとも、身分や出自で貴女様を侮る人は必ずいます。 ですが、それを気にする必要はありません」


 代わりに続いたのは彼女を気遣うもの。ノーラは上品なチェーンのついた片眼鏡(モノクル)の奥の瞳に、柔らかく淑女らしい微笑みを浮かべている。そして、


「もう充分に奥様は、メランドリ伯爵夫人として伯爵様の隣に立てますわ」

「あ……」


 母と違う、ベアトリーチェを認める言葉。


「……奥様?」

「あっ……ありが」


 胸がいっぱいで、お礼を言おうとして声を詰まらせる。ベアトリーチェは湧き上がる気持ちに言葉が追い付かないまま、どんどん上がる体温を感じながら赤くなる顔を両手で覆った。

 そのあどけない仕草にノーラは「あら、まだ所作だけですよ?」とわざと意地悪く言う。


「社交の話術はいらないにせよ、ダンスは必要ですからね!」

「は……はい……!」


 その光景を微笑ましく見守っていた家令と妻は、そっと部屋を出た。


「アダルジーザ」

「ええ。 お茶の時間ですわね」


 小さな給湯室へ向かうと、既にお茶の準備は整っていた。アダルジーザは奥様(ベアトリーチェ)先生(ノーラ)に、セルジョは旦那様(アウグスト)へ持っていく。


 お茶と共に一連の流れを報告すると、アウグストは柔らかい気持ちに合わせて口元を綻ばせた。




 

 ──なにもかも上手くいっている。

 しかし、同時に不安が付いて回る。光と影が切り離せないように、色濃く。


「……セルジョ」

「はい」

「ベアトリーチェは君からどう見える? 私は上手くやれているのかな」

「旦那様。 僭越ながら私の意見など確認せずとも、お感じになった通りかと。 誰の目から見ても、おそらく」


 セルジョはそう言った。言い方はやや遠回しだが、念を押すように……『ベアトリーチェは貴方に娶られて幸福だ』と伝える為に。


 それは事実だろう──少なくとも以前よりは、間違いなく。だが、主の不安がセルジョには痛い程解る。アウグストはこの地から逃げられないのだ。

 それは、彼が伯爵だからだけではない。


 セルジョはアウグストにダンスの練習を一緒にするよう勧めた。無理に接触をする必要などはないし、ゆっくり歩み寄るのは互いに大事なことだ。だがもう少し積極的でもいい──そんな老婆心から。


 アウグストにベアトリーチェが必要でそれが身体の問題だとしても、心が惹かれることを否定する理由などないのだから。


「……すまない」

「なにを仰います……ああ、雨が降って参りましたな」


 セルジョは誤魔化すようにそう言って、窓を閉める。彼の言う通り、いつの間にか外にはパラパラと雨。夕立の近付く気配に、木々がさざめき立つ。


 セルジョの言うことは正しい。

 ベアトリーチェは穏やかに好意を抱いてくれ、自分(アウグスト)も彼女に好意を抱いている。愛し方などわからないが、手探りのままゆっくりと、互いに距離を近付けていけたらいい。


(父のようにはなりたくない。 でも──)


 ベアトリーチェ。大切な思い出の少女。


 アウグストのベアトリーチェへの想いは彼女よりやや複雑で、彼女と同様にやはり分類しかねる。だが、それはまぎれもなく好意だ。


 だからこそ向ける言動で、それが伝わるように気を付けてはいる。けれど、彼女にはもっと別の幸福を与えることもできたのに、それを選ばなかったのは事実だ。


 加護の為に不本意な妻を娶った父と、同じになるのは嫌だ。それなのに、あまりに身勝手ではないのか。


(──結局私が今彼女にしていることは、父のしていたことと変わらないんじゃないか?)


 セルジョにそう尋ねたところで強く否定されるだけだろう。ただの弱音だと、自分でも解ってはいた。


(やめよう……詮無きことだ)


 そう思った通り、あまりに無意味だ。

 どう足掻いたところで、過去は消えないのだから。





 少し前まで晴れていた空を、黒い雲が覆う。

 パラパラという音はもうバチバチと窓や壁を叩く強い音に変わっていた。


「セルジョ」

「はい」

「誘ってみるよ、夕餉の後にでも。……ありがとう」


 セルジョは覆う皺で細くなった目を更に細くして、ゆっくりと頭を下げる。


 ベアトリーチェとの仲を深めて欲しい、と彼が切に願っているのも、若き主の傷を誰より知っているからこそ。

 月並みな表現だが、謝られるより礼を言われる方が遥かに嬉しかった。


 静かにセルジョが部屋から出ていくと、ひとりになったアウグストはぼんやりと窓の外を眺め、小さく呟く。


「……夕立で終わるならいいが」


 強い雨は嫌いだ。

 特に──夜の強い雨は。


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