①異母姉妹
初夏の強い陽射しが心地好く和らぐ、昼下がり。田舎だからこそ、夜に向けて街が活気づく……そんな時間帯。
街から少し離れたトリヤーニ家の邸宅は静かなものだった。
皆出払っており、使用人が仕事をしている音だけが僅かに邸内に響く。
執務室にいるベアトリーチェに聞こえるのはその音よりも、自分が発する紙を捲る音やペンを走らす音。
亡き母から次期領主として厳しい教育を施された彼女は、書類仕事くらいは一通りできる。それをいいことに父は彼女に仕事を押し付け、別の事業に勤しんでいた。
広大な葡萄園とワイナリー。それを中心とした、似たようないくつかの街──ここメランドリ伯爵領は、この国ほぼ全てのワインを賄っていると言っていい。
メランドリ伯爵領の統治方法は、葡萄園とワイナリー、そこから派生する街を領として区分け、地主領主を立てて管理させるやり方。よって、領主の爵位は問題ではない。
伯爵領領主の多くは所謂『貴族でない支配階級』である。
ベアトリーチェの生家、トリヤーニ家もそのひとつだ。
不正がなければ、契約の元に割り当てられた分は彼等のモノ。どう使おうと問題は無いし、納めるモノさえキッチリ納めれば、彼女の父のように副業を営んでも、勿論構わない。
仕事はできるものの、ベアトリーチェに次期領主としての矜恃や責任感などはない。
貴族程に血筋を慮るわけではない次期領主の立場なんてモノ、そのうち誰かにいいように取って代わられるとわかっている。今も父にとって都合よく任せられるから、自分がやっているだけに過ぎなかった。
それでも亡き母を思うとミスは許されない。
それは思慕からではなく、些細なミスすら許さない母のヒステリックな声が未だに、ベアトリーチェの耳に残っているから。
書類の数字に眉根を寄せながら、ベアトリーチェは小さく首を振り、暫し瞑目する。
(どう考えてもおかしい……でも)
考えを遮るように、喧騒。それは徐々に近づいてきた。家の者達が帰ってきたのだ。
無意識に、溜息をひとつ。
既に間近に感じられる騒々しい声と足音。程なくして不躾に扉が開いた。
「あら姉さん、相変わらず地味ね」
「……なんの用?」
不機嫌に答えた先にいたのは、美しい異母妹であるロザリンダ。ベアトリーチェとはひとつしか歳が違わない。
普段は話し掛けてすら来ない妹の来襲に、ベアトリーチェの意識は完全に数字から逸れた。
「あら、怒ったの? ごめんなさい、地味なのが好きだとばかり思っていたものだから。 そうそう、パパからいいドレスを買って貰ったそうじゃない? ……見せてよ、いいでしょ?」
「……」
「ロザリンダ、なにをやっているの?」
「ママ」
「邪魔をするんじゃありません、お嬢様はお仕事中なのよ。 私達がこうしてお買い物やお茶を楽しめるのも、お仕事をしている人達がいるおかげなのだから」
トリヤーニ家の後妻である女は、ベアトリーチェを『お嬢様』と呼ぶ。
そこにあるのは貴族のやんごとなき血を引くという元妻への当て擦りと、ベアトリーチェの拒絶だ。
父はベアトリーチェの母が死ぬと、妾であった女と異母妹をトリヤーニ家に迎えた。
派手な容貌の父と、美しい妾から生まれたロザリンダ。彼女は両親の良い部分を合わせたようにそれぞれに似ていて、下町育ちの奔放な愛嬌もある。
そんな『自分に似て』愛らしい娘を両親が可愛がらないわけがない。
それに比べ、地味な容貌の母にのみ似たベアトリーチェ。
彼女は虐げられることはなかったが、冷遇はされた。
彼女を虐げなかったのは情からではなく『前妻を殺したのでは』という噂に真実味を持たせない為だろう。
不穏な噂はあるが、母が殺されていないのはベアトリーチェが一番よく知っている──母は目の前で死んだ。
服毒による、自死だった。
義母は陰険で、気遣うフリをしながら団欒の場に引き摺りこんだり、ベアトリーチェに似合わないロザリンダと揃いの服を着せて連れ回したりしていた。
ベアトリーチェが断れないような、立場が悪くなるような言葉で追い込んで。
今日は、感謝するフリをして遠ざけるつもりのようだ。楽しかった娘との買い物の余韻に、水を差されたくないのだろう。
「邪魔なんかしてないわ、姉妹間の親睦を図っているだけよ。 ね?」
「……ええ」
「そう、ならいいけれど」
「さあ! 早く早く!!」
ロザリンダは姉を強引に連れ出し、キャラキャラと笑いながらベアトリーチェの部屋に向かう。
扉を閉めて暫くは騒々しくしていたが、ベアトリーチェが出したドレスを見て、ロザリンダは急に黙った。
それは、貴族のような煌びやかなドレス。
沢山のドレスを与えている愛娘・ロザリンダにすら、滅多に買い与えることのない高級品だ。
たまにこういうことがあると、しばしばロザリンダはベアトリーチェのドレスを奪ったり、着られないように鋏を入れたりしてくる。
「……駄目よロザリンダ。 これは流石に」
義妹を見ながら、ベアトリーチェは不安気にドレスを抱えた。