魔術師ダミアンの事情 前編
御用聞きの男の隣で、ダミアンはふてくされていた。どうして天才魔術師ダミアンさまとあろうものが、昼日中からしょぼくれたおっさんと一緒にお茶をせねばならないのか。それもこれも、リリスがぎっくり腰なんかになるのが悪いのだ。大人用の椅子に腰掛け、両足を大きく前後に揺らしながら唇をとがらせる。
「ああ、早くリリスから『歳』を返してもらって酒でも飲みたい」
「手に入れたいのは、魔女さまがお持ちの『歳』だけですか」
すかさず合いの手を入れれば、冷たい反応がかえってくる。
「何が言いたい。俺がリリスと一緒にやりたい、あんなことやこんなことを根掘り葉掘り聞きたいのか。変態だな、お前」
「ダミアンさま、天使みたいなお綺麗な顔で屑発言をするのはやめてもらえますか?」
心底軽蔑した目をするダミアンを前に、御用聞きの男が涙目になった。もちろん、ダミアンが男の涙ごときで態度を改めるはずがない。
「そういう性格だから、『歳』を取り上げられたあげく、子どもの姿に変えられる呪いなんてかけられたりするんですよ」
「その上、お前みたいな面倒くさいお目付役をつけられたりな」
「だってダミアンさま、僕がいないとその姿のままで魔力全開の術式を展開するでしょう」
当然と言わんばかりの男の指摘を、ダミアンはつまらなさそうにスルーした。
「それがどうした。子どもの姿になっているせいでかなりの制限がかけられているが、ゴリ押しできないこともない。代償で町のひとつやふたつは吹き飛ぶだろうが、それはこんな枷をつけた聖女の責任だろう」
「そんな発言をすると、また呪いの負荷が上がりますよ!」
「脳内に聖女から警告が来たのか。使い魔というのも大変だな」
「大変だと思うなら、少しはおとなしくしてください!」
顔を青くしたり赤くしたり、男はまったく忙しい。雑貨屋の御用聞き、もとい天界とこの世界の連絡係は、カモフラージュのために町から仕入れて来た商品をテーブルの上に並べながら、ため息をついた。
「聖女の声は、別に俺には聞こえないから問題ない。そもそも聖女も俺に文句が言いたければ、間に使い魔など挟まずに現世に『降臨』すればいいだろう。天界でふんぞり返っているやつにいろいろ言われる筋合いはないな」
「ダミアンさま、わかっていて煽らないでください。聖女さまも落ち着いてっ」
「いい歳して元気だよなあ、聖女も。あいつも相当な歳だろう。よお、ババア元気か?」
「うおおお、頭が、頭がわれるっ」
「タイムラグなしで、俺たちの会話を受信しているのだから、たいしたもんだ」
「ハウリングが酷くて、ぎ、ぎもぢわるいっ」
悶絶する御用聞きをよそに、ダミアンは行儀悪く音を立ててお茶をすすってみせた。
***
魔術師ダミアンと聖女は、犬猿の中である。もともとお互いに気にくわない相手だったが、かつて聖女が魔術師ダミアンの「歳」を奪い去り、それを魔道具に封じ込めたことでふたりの間の溝は決定的なものになった。
実行した聖女としては、多少ダミアンを懲らしめることができればよいという軽い気持ちであったらしい。
話がそれで終わらなかったのは、少しばかりおっちょこちょいなところがある聖女が、「歳」を封じ込めた魔道具――美しいペンダントだった――をうっかり川に落としてしまったからだ。しかも素直に白状すればよかったものを、聖女はそれを言い出せないうちに、天界の神さまとの結婚が決まり人間界から天界に移動してしまったのである。
神というのは、意外と制約が多く、そう簡単に現世には手が出せない。子どもが砂山に手を加えるようなものだろうか。むやみやたらに手を出そうものなら、形を整える前に山自体を潰しかねないのだという。
そのためダミアンは、子どもの姿のままで長い時を過ごすことになってしまった。聖女に言わせると、いろいろとダミアンの見えないところで働きかけはしていたらしい。ダミアンからすれば、それは当然の行為であって、自分のケツは自分で拭けというところなのだが。
その後、結婚相手の神さまにおねだりをして、ペンダントとダミアンが引き合うような仕掛けを施してもらったから感謝しろと使い魔を通して言われたときには、さすがのダミアンも怒りを通り越して笑いが出てきてしまった。
『おい、教会本部を滅ぼそうと思うが、何か遺言はあるか?』
『教会本部を滅ぼすと、どうして僕が遺言を言うことに?』
『そりゃあ、聖女の遣いだからな。一緒に始末してやるよ』
『いや、意味不明です!』
『もう忘れたのか。前に、あの美しい教会が破壊されたら一緒に死んでしまいたいと言っていただろうが。俺は優しいから、一緒に天に還してやろうと思ってな』
『そんな優しさ、今すぐ捨ててください!』
使い魔に必死で土下座されて、結局我慢したのだったか。
それからいく年月。ようやくペンダントが手元に届いて無事に解決かと思いきや、話はさらにややこしいことになっていた。ペンダントの持ち主が、中に封じられていた「歳」を身につけ、すっかり老婆になってしまっていたのだ。
どういうことだと、御用聞きの男を間にはさみ、ダミアンと聖女の言い争いが勃発したことはまだ記憶に新しい。
無理矢理にリリスから「歳」を奪い取れば、リリスの肉体がどうなるかわからない。器であるリリスが壊れれば、「歳」もどこへ行くか正直保障できない。そう警告され、しぶしぶリリスとの同居を決めたときには、ここまでリリスとの暮らしが穏やかなものになるとは、ダミアンも想像できなかった。
***
突然現れたリリスは、いつの間にかダミアンの暮らしにすっかり馴染んでしまった。
『おはよう、ダミアン。よく眠れた?』
『さあ。召し上がれ。今日のご飯は、ダミアンの好きなものがいっぱいよ』
『いってらっしゃい。あんまり森の奥まで行っちゃダメよ』
『おかえりなさい。まあ、泥だらけ。さあ、お風呂に入らなきゃね』
『大丈夫? 怪我はない?』
『大好きよ、ダミアン』
『おやすみなさい。よい夢を』
昔のダミアンなら、他人が自分の生活にかかわることすら許せなかったはずだ。おはようから、おやすみまで。常に自分の隣にリリスがいることを過去の自分に伝えても、きっと信じはしないだろう。
あるいは、そんな腑抜けた自分に怒りを抱きなんとか未来に干渉して、リリスの存在を消し去ろうとしたかもしれない。それくらいには不安定な状態であったことを、初めてダミアンは認識した。
リリスが知っている魔術師ダミアンの伝説は、おおむね事実に近い。倫理観とともに、執着が薄かったとでも言えばよいのか。
あの頃のダミアンにとって、食事もまた生命維持に必要な行為でしかなかった。食べなくては餓死してしまうから定期的に摂取していただけで、食事以外に肉体を維持する方法があれば喜んでそちらを選択したに違いない。
それがどうだ、今ではリリスの起床が遅ければ、自分から起こしに行くほど彼女に依存している。それは果たして、リリスの食事が美味しいからという理由だけなのだろうか。
リリスはダミアンに媚びることもなければ、上から目線で語ることもない。けれど確かに彼女は、自分を大切にしてくれている。それは不思議な感覚だった。生まれたときから強大すぎる魔力を持っていたダミアンは、恐れられこそすれ、庇護すべき子どもとして扱われたことはなかったから。
リリスのそばは心地よかった。ついうっかり、もうしばらく「歳」が返ってこなくても構わないのではいかと考えるくらいには。
「いやあ、でも本当に良かったです。これで最悪の事態は避けられますね!」
「最悪の事態?」
「そうですよ。聖女さまは、ずっと心配してらっしゃったんです。あなたが道を踏み外して、魔王になるのではないかと」
「ほほう」
とはいえである。この状況を聖女は喜んでいるのだろうと思うと、やはりどうにも忌々しい。
聖女は、確かにダミアンの心のあり方を危惧していた。ダミアン自身について、魔王の再来かのように大袈裟に語られたことも一度や二度の話ではない。
「誰が『魔王』になんてなるか。面倒くさい」
「あのですね、普通は『面倒だから魔王にならない』とか言いませんからね!」
ダミアンにしてみれば、世界が滅ぶなら滅んでも別に構わないのだが。まあそんなことを言ってしまうから、反省が見られないと「歳」を奪われたことを思い出し、ダミアンは小さく舌打ちする。目の前の御用聞きが小さく震えていることは、無視することにした。
***
「ところでダミアンさま、今日はえらく不機嫌じゃないですか。どうしたんです」
「リリスがぎっくり腰になった」
「へええ、魔女さまが魔女の一撃を食らうとか面白いですね」
リリス自身は否定しているが、彼女には「魔女」としての素養があった。そのため、御用聞きもとい使い魔の男は、リリスを「魔女さま」と呼ぶ。まあ、うっかり最初に「リリスさま」と呼び掛けたときに、ダミアンから逆さ吊りにされたせいかもしれないが。
くすりと笑った御用聞きの顔が見る見る青ざめていく。真顔のダミアンによって、御用聞きがなにもない空間に宙吊りになっていた。さらに変化の術が解けたのだろう、もふっとしたカラスが羽をばたつかせている。
「いつからそんなに偉くなった。お前がリリスを笑うとは」
御用聞きの男が家を訪ねてくるまで、散々リリスをからかった人間とは思えない発言をするダミアン。自分がリリスにちょっかいを出すのはいいが、他者がリリスをいじるのは許さない。完全にワガママである。
「カラスは雑食だから肉は食事に向かないが、その羽はまあ多少使いどころもあるだろう。俺がじきじきにむしってやる。光栄に思うがいい」
「す、すみませんっ。ほら、ダミアンさま。聖女さまも『降ろしてあげなさい』とおっしゃってくださっていますし」
「つくづく思うが、聖女の声が俺に届かないようになっていて正解だったな」
しょんぼりとなった御用聞きは、ダミアン特製のエリクサーに必要な希少な薬草を提供することで、ダミアンの怒りを解くことに成功した。
「ああ、また聖女さまに叱られます。これ、人間界にはあんまり生えていないんですよ。それをダミアンさまときたら、ばかすか使ってしまって!」
「つまりそれだけ、お前は俺の地雷を踏んでいるということだな」
「もういやです、この仕事! 転職したい」
えもいわれぬ甘い香りを放つ花をぞんざいに受け取りながら、ダミアンはそれはそれは美しい微笑みを浮かべてみせた。
***
「さて、保存食を買えと言われたが、どれを買えばいい」
「ああ、それなら堅パンや塩漬け肉でしょうかね。魔女さまは、ぎっくり腰になってもダミアンさまの食事の心配をしてくださっているんですね。もはや、聖女さまではないですか!」
「あいつと一緒にするな。リリスが汚れる」
「ダミアンさま、あなた本当に失礼ですからね!」
ぶつぶつ文句を言いながらダミアンに食品を渡していた御用聞きだが、途中で不意に動きを止めた。
「人間は弱っているときこそ、ちゃんとしたものを食べたほうがいいんですよ」
「ほう、そうなのか」
「何を初耳みたいな顔をしているんですか! ダミアンさまだって、今まさに保存食を買ったでしょうが」
「まあな。この堅パンをリリスに渡せば良いのではないのか」
「なんなの、このひと! 鬼! 悪魔!」
「ただの大魔術師だ」
「あんなおばあちゃんに、堅パンなんて食べさせたら、誤嚥で死んでしまいますよ!」
本気で怒る御用聞きの男に苛つきつつ、ダミアンが尋ねる。
「それでは、何を食べさせればいい」
「そうですね。具沢山のスープとかがいいかもしれませんね」
「なるほど。それは、どんな材料があればいい?」
目を見開いた使い魔が、恐る恐る聞き返した。
「まさか、ダミアンさまが作るのですか」
「当然だ。このダミアンさまにできないことなど、この世に存在しない」
「いやでも、今のダミアンさまは子どもですからね。台所にも手が届かないから、無茶はしないほうが……って、すでに台所に入ってる! ちょっ、やめてくださいっ、包丁をラフに持つのはやめて!」
何が問題があるのかわからないと言いたげな顔をしたダミアンが、速攻でトマトを破裂させる。
「ちょっと、何をやっているんですか!」
「いや、何もしていない。突然トマトが爆発したんだ」
「何もしていなくて、突然爆発するわけがないでしょうが!」
「だが、実際に爆発した。キラートマトが混じっていたのではないか」
「そんなわけあるか!」
このあと、ダミアンと御用聞きのわくわくドキドキクッキングは、「もう許してくれ」と御用聞きの男が泣き始めるまで3時間以上続いた。




