本当の事
本当の事
七月中旬の午後、幼い男の子と女の子を連れた母親が来店した。
「これここでお薬もらえますか?」
春子は母親の差し出した処方箋を受け取ると内容を見て言った。
「ごめんなさい。今このお薬は置いてないのです。時間を頂ければ出来ますけど。」
そういって春子が処方箋を母親に返すと母親は眉間にしわを寄せて言った。
「娘がアトピーなんですけどお薬塗っても治らないのです。どうしたらいいかわからなくて。」と、途方に暮れている様子だった。
「何処ですか?」と、春子が聞くと、母親は娘さんの湿疹が出きている患部を見せた。手足の指、膝、肘、目の下などの皮膚が所々赤くただれていた。
「これ、お薬が合ってないのかもしれませんね。だから良くならないのだと思いますよ。」
春子が言うと母親は一相困った顔をして言った。
「どうしたら良いんでしょうか?もうどうしたらいいかわからないんです。夜になると,ボリボリ掻いて何度も起きるんです。この子も可哀そうだけど、私もそのたびに起きて薬を塗ってやるので、眠れなくて辛いんです。」
母親は、切羽詰まった様子で、もう一度同じ事を言った。
「そうですよね。痒いの辛いですよね。お風呂上がりや寝入り端は体温が上がって痒くなりますよね。お薬変えたら良くなるんじゃないですかね。」
春子の言葉に母親の表情が少し明るくなった。
「そのお薬売っているんですか?」
「売ってますよ。薬屋ですから。」
最近こういうお客さんが多い。咳をしているお客さんに「お薬飲みましたか?」と、聞くと飲んでいないと言うので、「早く飲んだ方が良いですよ。」と、言うと、「ここに、売っているんですか?」と言う。薬屋だから薬を売っているのは当たり前だが、最近、薬は病院で貰うかドラッグストアで購入するものだと思っている人が多い様だ。春子は薬を見繕って軟膏を娘さんの患部に塗ってもらった。
「どう?痒くない?しみたりしていない?」春子が聞くと娘さんは首をかしげて「わからん」と言った。
分からないという事は合っているという事だ。薬は合わないと即座に痒みが増したり、患部の色が赤くなったりする。春子は母親に言った。
「治らないという事は薬が違うって事だと思いませんか?」
母親は、春子の問いに困ったように答えた。
「そうかも知れませんけど、どうしたらいいかわからなくて。」
春子は女の子の少し日焼けした腕を触らせてもらった。娘さんの肌は乾燥していた。
「肌が乾燥してますよね。保湿した方がいいですよ。保湿するだけでも痒みは軽くなりますから。」春子がそう言うと母親は堰を切ったように訴え始めた。
「そうなんですよ。スキンケアした方が良いと思うんですけど、何を選んだら良いのかわからないんですよ。カサカサしているから何か塗ってやりたいけど、私が使っている大人の化粧水なんかは止めた方が良いでしょ?」
「そうですね。大人の化粧水は香料などが入っていますからね。こういう状態では日焼け止めにも被れますからね。」
「そうなんです。私の使っている日焼け止め塗ってやったら被れたので、恐ろしくなって。」
春子は。親子の前に刺激の少ない保湿剤を並べて試しに肌に塗ってもらった。春子は娘さんに問いかけた。
「どれがいい?」
娘さんは痒みが治まったのか目の前に並べられたジェルやローション、泡状の保湿剤やオイルなどを見つめて、その中のジェルを指さして「これがいい。」と言った。娘さんの選んだ保湿剤は界面活性剤や流動パラフィンの入っていないナノ粒子でできたジェルで値段は三千円だった。母親は相当悩んでいたらしく、春子の説明を熱心に聞いてくれた。子供が苦しんでいるのを見るのはとても辛い。
「保湿するのも大切なのですけどね。アトピー体質は中から肌をしっとりさせるビタミンやミネラルを摂ると良いですよ。」
春子が説明しようとして資料を出すと母親はつかさず言った。
「それ下さい。実は私何年か前に二人目の子供が出来なくて相談に来たことがあるんです。そのときに勧められた滋養強壮剤を続けたら、この子が出来たので、それで此処に来れば何とかして貰えると思って来たのです。」
「そうですか。それはありがとうございます。お子さんも滋養強壮剤飲んだら、肌も体も元気になりますよ。」
一緒に来ていた弟が三歳くらいだから以前来店したのは三年以上前になるのだろうが、春子はこの女性をあまり覚えていなかった。最近の薬屋は昔のように医薬品だけを買いにくるお客さんは少なくなった。どこの町にも雨後の筍のようにドラッグストアが林立し、風邪薬や痛み止めなど一般医薬品は売れなくなったのだ。その代り、病院へ行ってもなかなか良くならないアトピー性皮膚炎や高血圧、動脈硬化などの体質改善が必要なお客さんが訪れるようになった。そこで、個店の薬局は、得意分野で店をアピールする必要があった。
春子は母房子が皮膚病を勉強していたので、春子も母の意思に沿って皮膚病を学びアピールしていた。世の中は不妊に悩んでいる夫婦が多いようで、子宝相談をメインにしている薬局も多かった。不妊治療は現代では当たり前になり、病院で子宝に恵まれる人もいるがそうでない人も多い。薬局でできる不妊相談は、漢方薬や滋養強壮剤などで体質改善が大切なのだと感じる。以前、三十五歳の女性が姑と実母に連れられて「こまち薬局」に来店した。結婚して五年になるが子供ができないので、病院へ通って、ホルモン剤の自己注射を腹部に打っているという。それでも妊娠しないので相談に来たのだと言った。春子は広告にも店の看板やポスターにも子宝相談は入れていなかった。子宝相談はとてもデリケートだからだ。お客さんに排卵日を聞いてそれに合わせて性交したかどうかを確認しなければならない。そのような夫婦の秘め事を根掘り葉掘り聞くのは気が引けた。それにお客さんは本当の事を言言いたがらない。子宝相談をしている同業者が以前言っていた.色々聞いていたら、旦那さんがたくさん薬を飲んでいてびっくりした。」と。だが、相談に来てくれたお客さんには子宝のアドバイスをする事にしている。この女性は身長百五十センチ、体重四十二キロと細身で色白の華奢な美人だった。
「お食事は三回されていますか?」
「はい。」
「どのようなものを食べていますか?」
「朝は、シリアルに牛乳、昼は大抵おうどん、かラーメン、夜は主人と一緒にきちんとしたもの食べてます。」
春子はあきれた。不妊の原因は栄養不足ではないか。いくらホルモン注射を打っても妊娠しない訳である。人間は、食物から栄養を得て血液を造り臓器を動かしている。栄養が足りていないと、赤ちゃんを授かる準備が出来ないのだ。春子は店の中央に置いてある長椅子に座っている付き添いの二人の母と娘に言った。
「栄養不足だと思いますよ。栄養がないと子宮の絨毛組織が出来ないのですよ。お食事ももっと栄養価の高いものを食べるか、それが無理なら、栄養を吸収できる滋養強壮剤を飲むと良いと思いますよ。」
春子の言葉を三人の女性は納得したのかしないのかわからないような顔をして聞いていた。「長い時間とお金をかけて不妊治療をしているのに原因は栄養不足?」と、言いたそうな顔をして春子を見つめていた。結局この女性は春子の勧める滋養強壮剤を買って帰ったがそれっきり来なかった。今日、来店している女性にも不妊だと言うことで、血液を造る力を増やして血行を良くするような滋養協壮剤を勧めたのだろう。不妊治療が格段に進化しても不妊に悩んでいる人が多くいるというのは根本の食生活や生活習慣、体力、血行血流に問題があるのだ。待ち望んで生まれたと言う店の中を元気に走り回る息子さんを見て、生まれて来てくれて良かったなと思った。春子の母が「こまち薬局」を始めた五十年年程前は、不妊の相談より避妊の相談が多かった。時代は変わったものだ。「どうしたら良いかわからない。」と、何度も訴えるこの女性を見て「こういう人が沢山いるのだろうな。」デリケートな相談も気軽にできる町の薬局の必要性を改めて実感するのだった。




