83 銀の針
「うわっ」
「ええー!!?」
ミチェリアに差した影は、大型のドラゴンだった。ミチェリアの市場を軽く覆える程の大きさだ。
しかもただのドラゴンではない。アンデッドドラゴンである。
肉が腐り溶けて骨が剥き出しになった翼を動かし、どういう原理か飛べているアンデッドドラゴンは、右目の周りの皮膚がどろどろに爛れ落ち、ぎょろりと目下を見渡している。体も爛れているのか腐りかけているのか、骨が所々に見えている。
時々、体から肉片がどろりと溶け落ち、ミチェリアのレンガ作りの建物にべちゃんと張り付く。屍肉の張り付いた箇所はジュッと音を立てて、レンガがざらりと崩れた。
どうやらアンデッドドラゴンの肉片に腐食の効果があるようだ。
「ミッツの嘘つき!これ絶対中規模じゃないじゃん!大規模じゃん!」
「いや待て、ちょっと前に無法帯側から赤火と黄火打ち上がったけどまさかこのことなんじゃ」
「失礼!クロルド殿はいますか!?前線防壁からの伝達です!」
アンデッドドラゴンが現れてまもなく、スレイプニルに乗った騎士が冒険者ギルド前にたどり着いて叫んだ。
「あ?!俺だがなんだ!」
「もう遅いかもしれませんが!渡り人のスマホに緊急速報!『パレード』中に異変が生じ、中規模から中規模プラスへと移行!しかし大規模ではない!だそうです!」
「プラスってなんだよもー!!これ大規模じゃないの!?アンデッドドラゴンだよ!?しかも大きい!」
「異変なんて見たら分かるわ!こうなると分かっていれば陛下にお願いしてキーラも呼べたのに!サイとギルバートはどこだ!?」
「あのお二人は別のドラゴンを仕留めるために森へ…」
「まさかそのドラゴンが囮になったわけじゃねえだろうな!?くそっ!」
「あと、『巨大な死の影が町を覆い厄災と成り得る』と書いてあったそう!浄化の最上級魔法が使えると吉!以上です!」
「んなもん使えるのキーラ・クリアノイズくらいだ!!」
「私も先ほど言いました!」
「つーか死の影ってまんまあのアンデッドドラゴンじゃねえかくそ!正確だな!」
クロルドが悪態をついていると、ちょうどサイが前線防壁から簡易契約のスレイプニルに乗って戻ってきた。首にはララスを巻いたままだ。
「お待たせ!あれ、ギルバートいない?」
「遅い!まだいない!」
「ごめん、ちょっと無法帯のドラゴンがでかくて手間取った。死体はとりあえず結界で包んでる!」
「終わったら取りに行かせる!ミッツのスマホに緊急速報が入ったそうだが、先にその緊急案件が来た!あれだ!」
「うーん見なくても分かる」
この場で一番強い魔力を感じたのか、アンデッドドラゴンが冒険者ギルド、正確には冒険者ギルド前にいるサイに目を定めた。
「でもミッツがいて良かったな」
「あ?なんでだよ、あんな大物来るって予知無かったんだぞ?」
「いや、あんなもん突然来たら俺がいたところでミチェリアの住民の6割は死ぬぞ」
「……そうだ、そうだったな。俺も混乱していたようだ」
「さて、聞こえてたがあれがスマホ予知の『死の影』さんか」
「ぐるるルるルルるゥ!」
「ありゃ、話は通じなさそうだな」
サイがスレイプニルの契約を解くと、再び簡易契約を行い今度は火の上級精霊サラマンダーを呼び出す。
ずいぶん前に呼んだ風の上級精霊シルフは人の形をしていたが、サラマンダーは赤い大きなトカゲの姿をしている。言葉は話せないタイプの精霊だが意志疎通はちゃんと出来る。
「サラマンダー、『アンデッドドラゴンを攪乱させよ』」
サラマンダーがこくりと頷くと、ドラゴンの気を引くためにまず口から火を噴く。空中に噴き出されたこの火は何百ものサラマンダーの分身となり、空中にいるアンデッドドラゴンに絡み付いた。
アンデッドドラゴンは鬱陶しそうに旋回してサラマンダーの分身たちを落とそうとしているが数が多く、火で出来た分身の体が屍肉を焼いていく。
「クロルド、俺今からちょっと全力でアレ使うから」
「えっ…待て待て待て1分待て!」
「30秒」
「…分かったよ!」
サイがその場で目を閉じ何か知らない言語を呟き始めるとサイの魔力が銀色の光を放ちながら体を包み、首のララスもぴきゅぴきゅ鳴きながら仄かな銀色に包まれていく。
その様子を見てクロルドは慌てて拡声魔法を町中に発動した。
「ミチェリア内の冒険者ぁ!騎士団に兵団!関係者全員死にたくなかったら20秒以内に建物に入れ!!軒下でも構わん!サイ・セルディーゾが全力を出すぞ!!」
ミチェリア中にいる魔物以外の全ての者にこの言葉が知らされると、全員が理解したと同時に空いている一番近くの家や補給拠点へと押し掛けた。
意味の分かっていない新人冒険者や新人騎士は先輩によって強制連行されていく。
ポーン級ドワーフ女子も補給用荷物を運んでいた所を先輩冒険者によって近くのカフェへと強制避難させられていった。
カフェにはこの数秒の間に避難した冒険者と騎士が数人いた。
「先輩!なんなんすか!あたしまだあの荷物届けなきゃいけないんすけど」
「あの荷物は諦めて構わない!それより聞こえてなかったのか?仲間内の攻撃で死にたくなけりゃおとなしくここにいろ」
「何が始まるんすか!皆も急に!」
「俺も新人だった頃は知らなかったし、今も見たことないんだけどな」
「私も見たことないが、騎士団養成所で話は聞いたことがある」
「だから何を!」
「ここから外を見てろ。直に分かるぞ」
カフェにいる冒険者と騎士は外の道を恐れ半分、好奇心半分で眺めていた。
「──、───」
「ぴきゅむ」
「──、示す大地を覆うはこの血に準ずる系譜の銀!驚異なる銀!」
王国で使われていない言語で何かを呟き終えたサイの魔力が一層銀の輝きを放った。ララスもそれに同調するように光ると、サイの魔法が発動した。
おそらくこの世界でサイだけが持つ特殊魔法『驚異なる銀』は、サイが自分の特殊体質に合わせて独自に編み出した魔法である。
ミチェリア中の地面の石畳を突き破り、銀色に鈍く光る針状の物質がミチェリアに点在する魔物ごとアンデッドドラゴンを貫いた。
建物を綺麗に避け、屋外にいる生命体全ての動きを止めている。大多数の魔物はこれによって死を迎えた。
だいぶ体力を削られたアンデッドドラゴンは市場から伸びた幾多の針に貫かれている。そのまま市場に落ちたが、店々を踏み締めながらサイを睨み付けている。
ドラゴンを倒し終えたギルバートたちが今飛んでミチェリアまで戻ってきたが、アンデッドドラゴンは依然としてこちらを睨み付けている。
「ちっ…!仕留めきれなかったか!俺浄化系は苦手なんだよな、ギルバート使えるか?」
「お前『悪魔憑き』にそれ聞くの間違ってんぞ」
「だよな。だがあれはあと浄化すれば終わりなんだがどうしたものか…」
新たな針でアンデッドドラゴンを押さえつけながら悩んでいると、冒険者と共にミッツが走ってやってきた。
「サイー!と誰!?」
「ミッツくん、あれ確かギルバートさんと契約悪魔が融合した姿だよ!」
「え、あれギルさんとヴェザバルド?融合!?うわアニメで見たことあるやつや!」
「え?ミッツ!お前なんでミチェリアの中に!」
「後で説明するさかい!ギルさーん!!!あのドラゴンの上運んでー!!!」
「あ?おう?」
「あと拡声魔法て使える?」
「一応使えるぞ」
ギルバートはひとまずミッツを抱えて飛び上がった。