162 去り名の男
ラウールが記憶を書き換えられてから3年が過ぎた。
書き換えられたからといって特に何も変わるわけでなく、アメリア王妃は相変わらず少し体調を崩し気味ではあるものの慣れてしまって少しずつ公務をこなしている。
サイードは18歳、ラウールは13歳、メノーラは10歳になり、ガルーダは5歳となった。
4兄妹は程々に仲良く、主にガルーダの相手をしつつ日々を過ごしている。
10歳になったメノーラは魔水晶診断を行い、『天遣い』とされた。まだ天使と契約書は結んでいないが、本人はとても楽しみにしている。
少し困ったのが、もし敬愛する兄より先に契約することになったらどうしよう、と思って「サイードお兄さまも契約されていないのに、私が契約を結ぶわけにもいきませんわ!」と泣きながら溢していたことだった。ギャン泣きである。
それを人伝に聞いたサイードは「契約とはその場でビビッと来るものらしいから、その時が来るのはいつになるか分からない。メノーラはメノーラのタイミングがあるからね、お兄さまはメノーラが先に契約しても誇らしいよ?」と諭し、メノーラ的にも納得したのでこの件は落ち着いた。
それから1ヶ月も経たないとある日、ちょっとした事件が起きた。
まだ10歳に至っていないガルーダ王子が、王城の庭園にいた野良精霊のガーゴイルと契約を交わしたのだ。兄姉が習い事や公務でいない内に、庭園で花を摘んでプレゼントして喜ばせようとした一瞬の間の出来事だった。
幼子が魔水晶診断前に『良き隣人』と仲良くなることは多々あるが、契約まで成されることはほとんど無い。過去に全く無いとはいえないが極めて希少な出来事に王族含め、皆が驚いた。あとガルーダの精一杯の行動に感動もした。
ちょっとした事件じゃなかった。割と大きな事件だったと訂正する。
「あのね、お庭にいたからね、あそんだの。『またあそぼー』って約束したの。そしたらお腹がぶわぁってあったかくなって、ぐっくんと仲良しになったの」
「うーん、子供によくある典型的な契約方法」
本人はただ遊び友達が増えて喜んでいた。王子王女の中で初契約がまさか異例の事態になると思ってもみなかったが、ガルーダ自身に害があるわけでもないので和やかに見守られた。
その数日後、アメリア王妃が自分の周りから一定の騎士や兵士を遠ざけるようになる。前々から少し距離はあったが、あからさまに避けるようになったのはこれが初めてだった。
共通するのは全員が『獣使い』であること。専属メイドの1人も強制異動になり、更には庭園に遊びに来る野良幻獣や神獣も嫌うようになっていき、公務中であろうが叫んで遠ざけるように命令するようになった。
流石に問題になるとエルバート国王がアメリア王妃を説得、もとい話を聞こうとした矢先に別の問題が発生した。原因不明の下半身麻痺に陥って動けなくなったのだ。ついでに発熱もある。
医師や魔法使い、薬師、様々な分野のエキスパートがエルバート国王を診て解熱は出来たが、下半身麻痺の原因は掴めなかった。完全に治らないと分かったら癒神ローロアに頼もうと誰もが思っている。
動けないエルバート国王は念のために私室で療養し、その間はアメリア王妃が国王代理となる。最近の王妃の様子から見て任命するのは避けたかったが、王太子もまだ決まっていない以上は王妃が代理になるのが筋だろう。
アメリア王妃にしてみたらこれがチャンスだった。
まず公務として主要貴族たちを謁見の間に集め、独断で王国内に生息、または『良き隣人』世界から遊びに来ている幻獣や神獣たちを、契約しているしていない関わらず殺すようにお触れを出そうとしたのだ。
ほとんどの貴族と大臣は止めようとし、警備の騎士たちは慌てて他の王族を呼びに飛び出た。
たまたま近くにいたのが、サイードだった。サイードは他の王子たちと、念のために国王へも急ぎ報告をするように命令してからアメリア王妃に向き合う。
「義母上っ何事ですか!よりによって『良き隣人』の一部である幻獣たちに害を及ぼすなどと、いくら何でも戯れが過ぎます!」
「サイード…!お前がここにいるからいけないのよ!」
「……私の何がいけないと仰るのですか、義母上」
「お前がいる限り!ラウールが次期国王になるとは限らないじゃない!お前は優秀で陛下と同じ『獣使い』!おまけに神の愛し子!お前が次期国王だと噂する者もいる始末!王族の血を一滴たりとも流さぬお前が、次の国王などと!」
サイードは浅くため息を吐くとアメリア王妃を説得にかかる。
「私は王位継承権を放棄すると義父上にずっと宣言しています。この国を継ぐべきは純然たる王族であるラウールであるべき…いやラウールでなくとも『獣使い』として早くも契約してみせたガルーダもいるし、メノーラが女王になるという手もある。私はずっとそう言っています」
「ですが陛下は!お前の王位継承権放棄をいつまでも受け入れないじゃないの!」
「それは私にも分かりかねます。しかし、私は国王になるつもりなど無い。そもそも私が気に食わないだけならまだ良いです!何故『獣使い』ごと嫌いになられたのですか!」
「あぁうるさい!うるさい!」
だんだんと苛立ちを抑えることがなくなったアメリア王妃は、少し離れた場所にいた騎士の契約獣に魔法を放とうとする。警備の都合で最低限喚び出していた獣たちの中の一匹であった。
貴族たちが悲鳴を上げる中、サイードが咄嗟に結界魔法で騎士と契約獣を守った。
その時、騒ぎを聞きつけたエルバート国王と他の王子たちが兵士に担がれながらやってきた。
「どうしたというのだ!アメリア!」
「ああ陛下!私は!私はあなたのためを思ってあの害獣どもをこの国から排除しようと!」
「アメリア!『良き隣人』たちのことをそのように呼ぶなど…」
「陛下っ、陛下!!ワタシは…国を…!ガアッ!」
「アメリア…?」
「義父上、下がってください!」
興奮のあまり口内を噛んだのか血を吐きながら、それでも叫ぶことをやめないアメリア王妃。
何かおかしいと感じたエルバート国王が周囲に命じ、取り押さえさせる。舌を噛まないようにラウール王子がハンカチを咥えさせ、それでもバタバタともがく王妃を皆が困惑した様子で見守る。
更に異変は続く。
「あーあ、王妃さまもなかなか抵抗が激しいなぁ。もう限界が来ちゃったよ」
「誰だ!!」
見知らぬ少年がいつの間にか謁見の間にいた。扉が開けられた様子も窓が割れた様子もない。まるでそこにずっといたかのように、自然に存在していた。
灰の髪を揺らしながら少年は玉座途中の階段に佇んで微笑んでいる。
「何か知るその口ぶり、お前が義母上を狂わせていたのか…!」
「狂わせてはないよ。ソレは正真正銘、王妃さまの感情だよ。もっとも…その微々たる感情を膨らませたのは僕だけど」
「騎士!兵士!こいつを捕らえよ!生死は問わぬ!」
「「はっ!」」
エルバート国王は鋭く命令し、騎士たちは素早く行動する。国王自身も加勢したいが、満足に動けない以上かえって足手まといになる可能性が高い。契約獣の不死鳥も謁見の間では大きくて喚ぶのは憚れる。
少年が何かを唱えると騎士たちはバタバタと倒れていった。
「遊んでくれるのはいいけどもっと骨のあるやつがいいなぁ」
「貴様っ!」
「うふふ、王さまはしっかり動けないもんね?どう?憩いの時間に王妃さまが長年直々に淹れてくれた毒のお茶は美味しかった?」
「何…?」
「毒?お前らが仕込んだのか?」
「うん。まあその毒は僕の仲間が王妃さまに渡したんだけど、流石に抵抗してたから、その作業だけは僕が意識を操ってあげたんだよ。王妃さまはすごく嫌がって、自分の意識もないのに泣いちゃってさぁ」
「……!」
「お前、何が目的でこんなことをした?」
絶句するエルバート国王を背にサイードは静かに問いかける。
「目的はぁ…、今のところ特に無いかな。強いて言えば今後この国で遊ぶ時に亀裂が入りやすいかなって」
「……」
「ふふ、怒ってる怒ってる!この負の感情!いいね!楽しいね!」
その瞬間、少年の胴体を無数の針が貫く。針は床から生え、確実に内臓があると思われる箇所を突き刺していた。
少年は針によって空中に縫い留められながら、不思議そうな顔をしている。
「ぉ、あ?」
「その程度のことで、我らがシャグラス王国を軽んじて人を操っただと…?ふざけるなよ、クソガキが」
「う…?」
「まだ足りぬと見た。次は頭を貫いてやる」
「ギッ…!」
「これでも死なないか。次は心臓だ。お前に心臓はあるのか確かめねばな」
サイードは無表情で驚異なる銀を放ち続ける。謁見の間の後方に退避している貴族はその壮絶な攻撃にざわめき、騎士たちも畏怖の感情を持って様子を伺っている。
少年もやられっぱなしではなく、反撃の風魔法がサイードの首を掠り、薄皮一枚だけ皮膚が切れて血が出た。
銀色の血が首筋を流れ、サイードはすぐに回復魔法をかける。
「お、おい…サイード殿下から今…」
「見たぞ!あれは人の血じゃなかった!銀色だ!」
「では…サイード殿下は神の子か?!」
外野が騒いでサイードが気を取られた隙に少年は風魔法で針を切断し、自立で脱出した。
「いやー強い強い!王子さま、サイードって言うの?覚えた!」
「覚えて死ね…!」
「やだよ、まだ遊び足りないからね!そうだ教えてあげる!僕はエサイアス。種族は…なんだろう?」
「…赤い目をした種族なぞ、俺は知らぬ」
「まあいいや、何でも。僕ここにこれ以上いたら流石にやばそうかも?今日は帰るね!」
「逃がすか!」
少年、エサイアスは針を避けるとアメリア王妃の元へ降り立つ。いつの間にか気を失っていたアメリア王妃に危害を加えるのかと身構えた周囲に反し、何かを回収する素振りをしただけで、そのままフッと消えてしまった。
エサイアスの消えた現場はもちろん混乱しきっていた。
目の前で消えた襲撃者、それを蹂躙したサイードに向けられる目は怯えが多い。加えて銀色の血を流したところも見られた。この後の騒動は目に見える。
アメリア王妃は変わらず気を失っているが、目覚めてしまったらまた錯乱状態になるかもしれない。
エルバート国王が鎮まるように命じようとした時、一瞬早くサイードがダンッと足を床に打ち付けて全員の注目集めた。
すかさずサイードが深く呼吸をし、覚悟を決めた目で謁見の間によく響く声を出した。
【ここにいる者は皆、今日この件の記憶を無くす。アメリア王妃は正気に戻る】
【非承認。言霊の魔力だけでは対価が足りぬ。】
「チッ…【対価:このサイードが名を捨て、ただの神の子へ戻る。サイードに関する記憶を一時奪い、王妃の感情を抑える】
「何を言っておるのだ、サイード!」
【承認。この場の状況を正常に戻す。引き換えにサイード・シャグラスに関する全ての記憶を一時的に忘却。】
知らない声も響いた謁見の間は一瞬誰もが呆け、ふと、名も知らぬ青年が立っていることに気付いた。
不法侵入者は騎士や兵士が取り押さえようと動く前に窓を破壊し、あっという間に外へと飛び出して行った。
「あっくそっ!何者だあいつ!おい、あの御方を…いや…知らないやつのことを御方ってなんで言った?」
「いや知らんし。兵士!さっさと追跡だ!」
「ひぇー!なんで誰も気付かなかったんだよぅ!」
「陛下!殿下!ご無事ですか!」
「……あ、ああ…」
「…お前たち、待て」
「はい?」
「…あの男は追わなくていい」
「はい!?いやしかし、ここまで侵入していた輩を放置するわけには…」
「良い!捨て置け!その代わり警備を強化するのだ」
「は、はっ!」
「あなた、何故そのようなことを…?」
「わからぬ。わからぬが、何か…追ってはいけない気がしてな…」
「直感かしら?それより、あなたはなんでここにいるのですか!寝てなきゃダメではないですか!」
「それは…そうだ、何故ここにいるんだろうな?」
何故か集まっていた貴族たちは解散し、誰もが覚えていない不思議な事件だったと一同は後に語ることになる。
王都シャグラードの路地裏を男は走る。騎士も兵士も王城エリア内でとっくに撒いているが、少しでも遠くに行こうとスラム街を抜け、べべロス鉱石で出来た壁ギリギリの王都の端までやってきた。
この辺りはスラム街の住民もあまり来ない、闇に生きる者たちのエリアである。男は全く無関係であるが。
「…誰も見てないか。神前への帰還」
そう呟いた男は誰にも見られることなく、一瞬の光と共に消えていった。
「あら、おかえ…り……?」
「きゃー!?お名前どこに落としたの!?探さなきゃ…!でもお名前ってどう探せば?!」
「落ち着いてね。でも本当にどうしたの?いつもなら一報入れてから帰るのに…」
「あ?お前、本当に名前が無くなっているぞ、どうした?」
「そのことも話さなきゃなんだけどさ」
「帰るところが無くなっちゃった。だから、まあ、実家帰りってやつだよ。父さん、母さん。ただいま」
サイルは、そう笑って神ノ島へと帰ってきた。
「というわけで一時的にサイードの名は忘却され、実家に帰ったわけだ。あっこの場合実島か?」
「それはどうでもええねんけど、エサイアスの戦闘んとこ短ない?」
「いや話纏めるために省いただけだ。そもそも今回の戦闘ほど戦っていない。前回は不意打ちの形で俺が滅多刺しのグッサグサにしたし」
「…皆が思い出したタイミングで一部の騎士さんらがサイ見てちょっと青褪めたん…もしかして…」
「…はい、続き話すぞ!」