155 エサイアス
ミッツは目を合わせなければ大丈夫だと判断し、一瞬だけ黒い霧で扉を覆うように精霊に頼んだ。
エサイアスと合っていた視線が途絶えたその間に、動けるようになった部屋の皆に首から下だけを見るように伝える。
すぐに霧は晴れ、全員が恐る恐る目を開いて俯き加減になると、律儀に待っていたエサイアスがエルバート国王に話しかける。
「王様も会ったことあるね?久しぶり、僕のこと覚えてる?」
「お前は…いや、だが…あの時…」
「陛下、思い出話は後でいくらでも思い出してください。今はこいつをどうにかするのが先です!」
「それもそうだった」
サイはそう言ってエルバート国王を落ち着かせると、攻撃魔法を一気に強める。攻撃魔法というか、主に驚異なる銀を繰り出している。
次々と繰り出される大小長短の銀針にエサイアスが応じるが、さっきまでよりも質も量も格段に増えた針にはさすがに対処しきれず、僅かな隙をほんの一瞬作り出せた。
さてどこを狙うか。考える時間は無い。やはり心臓を。さっき胸を攻撃しようとしたから警戒されていないか。相手はそもそも人間なのか。体の構造は同じなのか。周りの冒険者たちはエサイアスの威圧のような何かを警戒してすぐには動けないだろう。ラロロイは結界に集中。ミッツはなんとか大男に微々たる攻撃をしている。大男は動じず動かず。モモチは攻撃勢力にはならない。
サイが逡巡すること刹那、叫び声が耳に届く。
「サイ!右目、上!」
「!」
ミッツが徐ろに叫ぶとサイは反射的に言われた通りに右目上を狙う。
隙をついた攻撃はエサイアスの防御をすりぬけ、右目ごと指定箇所を貫いた。
ぐじゅりという柔らかなものを貫く音と、パキッという硬いものが割れるような音が聞こえた。
「ぐっ?!」
「主様!!!」
エサイアスの右目の瞼に銀の針が突き刺さった後、がくりと膝をつく。
大男が結界への侵食を止め、素早く駆け寄りエサイアスを支える。エサイアスの右目からはだくだくと赤黒い血が流れていた。そのエサイアスの血ですら赤いのをミッツは確かに見た。
「いったぁ……えーと、キミ、なんで分かったの?さっき胸の真ん中狙わせてなかった?」
「さっきのはバランス崩すために言うただけや。あんたの弱点は、右目上の瞼んとこ。何かしら埋まっとるな。あと…他もあるわな?足にドタマに、あと首もや」
「へぇ……よくぞこの短時間で気付いたね。よく考えたらキミも動けているし、特別な力でもある?」
「持っとるとしても教えるかいな」
「それもそうだ!」
ミッツは目をしっかりと見開いてエサイアスの全身を隈なく見定めている。
目が合うと動けなくなるはずだが、おそらく精霊の瞳の特異性か何かで効かないのだろう。たぶん。今は精霊王の隠蔽魔法で隠されているのでバレてはいないと思われる。
その精霊の瞳で弱点もなんとなく分かるらしい。実際、ミッツの視界に映るエサイアスの体にはポツポツと光が点滅していた。
今までどんな種族や犯罪者に会っても見えなかった点滅する光が、エサイアスだけでなく、その横にいる大男にも点滅する光が見えているので、この敵には共通する弱点があると思われたのだ。
目玉を潰されながらも笑っているエサイアスは立ち上がる。さっきまでよりふらついていた。心なしか息もあがり、魔力も安定していないように見える。未だに血の流れる右目を手で覆った。
「サイ、右目のんは今抉れよったから大丈夫。あとは…」
「おっと、これ以上見られるのはいけないね。トードルド、そろそろ帰ろう。この王城の中も見学したことだし、ね」
「主様、ふらふら」
「そうなんだよねぇ。『魔核』をやられたらさすがに僕もしんどいや。そもそも外にはまだ慣れてないし、普通に疲れた。早く帰ってみんなに会いたいし、トードルドも休もう」
「分かった」
駆け寄った大男はトードルドという名らしい。その名前に冒険者が1人微かに反応したが、この場では特に何も言わなかった。
エサイアスが押さえている手の下でボコリと皮膚が脈動し、右目はいつの間にか治っている。
ミッツはもう一度右目の上を見たが、そこにあった何かしら…『魔核』とやらはもう無かった。
エサイアスは改めて部屋に向き直ると、仰々しく礼を取った。完全に煽っているとしか思えない。
「改めて、僕はエサイアス。昏き海の王エサイアス」
「昏き海…?」
「キミたちが無法帯と呼ぶ、この大陸最大の地、その最奥にして中央にある海だ。そこに僕たちの城もあるんだよ。街も人間族の真似をして作ったんだ!」
「…真似た、ということはお前たちは人間族ではない、ということになるが?何者だ?」
「さてね。僕、いや僕たちも分かんないや。種族名は好きに呼んでよ。あっ、かっこいい種族名がいいな!名付けたら冒険者たちにでも周知させといてよ!そうしたら無法帯で会って狩るときにきっと教えてくれるよね!」
「…被害は既に出ているわけか。その種族名を聞く前にお前たちをここで滅ぼしてやるから覚悟しろ」
「あは、残念。向こうに僕たち以外にもいっぱいいるから滅ばないねぇ。ああ、僕たちの城まで来るなら歓迎するよ、………生きて来られるものなら、ね」
エサイアスはそう挨拶をすると背を向けて立ち去ろうとする。トードルドもそれに続こうとしていた。
「逃がすか!」
「待て!」
サイとギルバートが素早くその後ろ姿に攻撃を放とうとすると、エサイアスは片手のみを冒険者に向けて淡々と言葉を紡ぐ。
【この姿見える限り、命ある誰もが、我らを追いかけられぬ】
また不思議な響きのある言葉で部屋にいる全員が動けなくなる。今度はサイもミッツも動けない。
その間にエサイアスは「ばいばいー」と手を振り、トードルドと共に廊下の奥へと消えていった。その途端に体が動くようになる。
ラロロイが結界を一部解いたと同時にサイとギルバートが廊下へ飛び出した。
部屋に残った者は、警戒を怠ることはないがざわざわと言葉を交わしている。
「やはりあれは…昨日の詠唱の声!」
「今のも詠唱なのか?」
「何だったというのだ…!」
「色々と起こり過ぎて訳が分からん!」
「ダメだ、もうあいつら消えやがった!」
「すまない、取り逃がした…。いや、どう逃げたのかも分からない」
そんなざわめきの中、騎士と兵士によって安全を確認されているエルバート国王は呟いた。
「無法帯の王、エサイアス…か…」
王族談話室にいた皆は知らなかったが、エサイアスとトードルドが廊下へと姿を消したこの瞬間、王城エリアを囲んでいた黒い結界は突如として消えた。
消えたのを確認した、エリア外で中の様子を伺っていた冒険者や騎士と兵士の全員が王城などへと走り込むことになる。
騎士団本部と兵団本部の鍛錬場では多くの干からびた騎士と兵士の遺体と干からびた魔コウモリの遺体が見つかり、本部の建物にも魔コウモリが押し入ったようで干からびた遺体がいくつか転がっていた。しかし奥の部屋に立て籠もったことにより生き残っていた者も少なくはない。決して多くもない。
そんな騎士と兵士の総合被害は意外と壊滅的ではなく、半壊程度で済んでいた。
騎士と兵士は職務方針が違うとはいえ同じ王国に忠誠を誓う者同士である。つまり、この非常事態においてまず国民を守るということを遵守したのだ。
魔コウモリに襲われていた非戦闘職であるメイドや従者などと共にメイド寮や武器保管庫に分散して隠れ、魔コウモリが襲ってきたら撃退し、ひたすらに身を潜めることに集中していたらしい。戦闘職の多数がこちらで守りに入ったことにより、壊滅的被害は少し免れたとのこと。
守られていたメイドたち非戦闘職で被害が無かったわけではなく、逃げそびれたメイドと従者は数多く、騎士や兵士よりも数は減っていた。兵士に保護されて助かったメイドも、目の前で同僚や先輩が襲われて干からびた瞬間を見てしまい精神的に参っている者も少なくはない。
王城内は入口の門を咄嗟に閉め、その間に入り込んだ魔コウモリたちを城内の騎士たちが必死に倒していたようで遺体は少なかった。
王城を訪れていた貴族もそのほとんどが無事を確認され、普段平民を下に見るような貴族でさえもこの時は隣にいた従者たちと肩を組んで身の安全を喜んだそうだ。
庭園にいたガルーダ第三王子の契約精霊ガーゴイルのグングニールはその身を丸めた状態で発見された。
固い身体にもめげない魔コウモリにずっとコンコンと襲われていたらしく、騎士が駆け寄るとギギッと動き、その丸めた巨体の内側に出来た空洞に匿っていた貴族の子供と庭園の小動物たちを解放してあげた。
この貴族の子供から後々に噂が広がり、グングニールに『庭園の要塞』と渾名付けられることを、グングニールもガルーダ王子もまだ知らない。
こうして、王都シャグラードの約3割の住民が犠牲となった事件は終息を迎えることとなる。
これは王城エリアのみにエサイアスたちが集中攻撃をしかけたからの犠牲者数であり、王都全体にもし侵攻されていたら被害はもっと多かったと後に言われた。
結界が消えてしばらく経ってから安全を言い渡されたエリア外の人々はひとまずの安心と犠牲者への祈りと共に、これから先にまた起きるかもしれないという不安を心に抱えることとなる。