154 流れる血と暴かれる名
「サイ!ほっぺに傷出来とる!」
「あ?!気にするな!」
「んなわけいかん!あんぱ………サイ、新しいか……回復薬よ!」
「あんぱ?あんぱってなんだ!?」
「甘い美味しいパンや!俺も食べたい!」
「後で詳しく聞かせろよ!?」
主様男からの鋭い風がサイに襲いかかり、ザクリとサイの頬に一本の傷が出来た。結構深い。それと同時にミッツが回復薬を後ろからビシャリとぶっかける。
あんぱんを食べると超人的な力を得る特殊能力を持つ平凡な少年、そして少年が働く美味しいパン屋の仲間たちが凶悪な細菌ウイルスを自在に操り世界征服と独裁政治を企むテロリスト集団と戦うアニメは大人気の御長寿アニメである。
主人公たちのパンを食べると発動する能力が実はテロリスト集団の開発した特異的細菌を更にパン屋が改良したものを適合者に強制接種させたこと、攫われた挙げ句に強制接種させられたことの記憶を消されていたこと、そのパン屋のオーナー夫妻が実は元テロリスト集団の幹部だったことが判明した回は、SNSでも騒がれて社会現象にもなった。
ミッツはテロリスト集団のボスとパン屋の同僚の青年が生き別れの双子だった回までしか観ていないので、もし戻れるなら続きから観るつもりである。
決して動くパンのヒーローとパン工房と細菌とのではない。ほんとに。これ以上はいけない。
尚、今のところミッツは米はもちろん、小豆も見つけていない。砂糖は魔道具化した無限砂糖があるのに。学校帰りに異世界転移してきたミッツも流石に小豆は持ち歩いていなかった。
見つけていたらさっさとぜんざいをミチェリアに流行らせているところである。
せめて地球の義実家である松島家の近所に住むお婆さんが数日前に「最近お手玉を孫に作ってあげたんやぁ。ミツルちゃんもお手玉するかえ?」と手渡してきてくれたお手玉を学校で流行らせていたら、ミッツの鞄の中にお手玉が入ったままで、お手玉の中身に使われていた小豆も無限小豆袋になっていたかもしれないのに。
あんぱんを食べられる可能性は現状皆無である。
食べられないパンはさておき、主様男の攻撃を皮切りに凄まじい勢いでサイに風が叩きつけられ始める。ラロロイたちが結界を元に戻そうとしているが、向こうの攻撃と侵食の方が早く修復が追い付いていない。
サイは攻撃が後方へ行かないよう結界を張って受け止め続けている。サイ自身も今度はきちんと結界を張り、ミッツが回復薬をぶちまける隙はもう無い。
とはいえサイは結界を張るのはそこまで得意としておらず、8割以上の強度を自分以外の結界へと費やしている。
そうすると必然的にサイ自身の結界は薄く脆くなるわけで、パキパキと割られて攻撃を食らってしまう。ミッツはまた回復薬のフタを開けてぶちまける準備をした。
服や肌をスパスパと切られながらもサイは自分の身を瞬時に癒しつつ攻防戦を展開していたが、とうとう癒しきれなかった頬からどろりと液体が出てきた。それと同時に豪風で体が後ろに押し倒される。
切り傷から血が流れるのは不思議なことではない。ミッツは部屋の内側に顔を向けて倒れたサイに回復薬をぶっかけようとした。
が、しかし。
「また血が出て………え…?」
「何、?」
「血の色じゃ、ない?でも傷口から流れて…?」
サイの頬を伝う液体は、銀の液体。
人間族であれば、いやエルフ族でもドワーフ族でも獣人でも血は赤い。魔物であっても赤い血がほとんどで、稀に赤黒い血や青い血はある。そんな血は薬の材料になったりもする。
しかし、銀の血を持つのは神々だけだ。少なくともユラ大陸に住む者の常識では。
「あ!やっぱり!僕、キミのこと知ってる!」
「主様、知り合い?味方?」
「ううん、ずっと敵だと思う。僕は結構気に入ってるんたけど」
知り合い認定を再度してきた主様男と大男の会話を無視して、顰めっ面をして舌打ちをしたサイが指で頬をなぞると、傷はすうっと消えた。銀色の液体もいつの間にか消えている。
よく見ると回復魔法を使った様子はなかった。
「銀の血!神の血!キミ、サイードでしょ?」
「サイード……、まさか!」
「陛下、どうされました?何か心当たりでも?!」
「サイード?」「…なんか…聞いたことがあるような…ないような?」
「父上、誰ですか?そのサイードというのは…」
「お前たち、本当に分からぬのか?!」
もしもの時のための退避をする隙を伺っていたエルバート国王が大きく叫んだ。しかし動揺しているのは王族のみ、いやエルバート国王のみだった。
騎士たちも冒険者たちも、知らない名前なのに聞いたことのあるような、妙な違和感が生まれた。
「んん?あ、気配を隠してるの?サイード」
「そもそもが違う…俺はサイ。サイ・セルディーゾだ」
「ううん、その変な魔法が隠してるけど…えいっ」
主様男が風魔法と共に別の魔法を放つ。
避けようとしたサイは、捌き切れずにその魔法を受け止めてしまった。
「え!?」「はっ!?」
抜け道の時からサイの気配が曖昧だのはっきりしないだのとぼやいていた、斥候職のフルッタとエルフのチャトラが突然何かに気付いた。
サイの阻害されていた気配というか存在が、急にはっきりと感じ取れたのだ。
「ほらやっぱり!」
「なんと…!」
姿かたちは変わらないが、部屋にいた数人が思わずどよめく。どよめかなかった人々も何かが変わったのをなんとなく感じ取ることが出来た。
それと同時にそのほとんどがフルッタたちと同じく、何かに気付き始めた。
「やっぱり、キミ、サイード・シャグラスじゃないか!」
「サイード…シャグラス…?」
「確かこの国の王子さまでしょ?あれ?そういえば、なんで冒険者みたいな格好してるの?」
「なんか…見たことあるぞ…?いや、サイさんとしてではなく…あっ?」
「シャグラスって、まさか…」
「ちょっと待て、なんで俺、忘れてたんだ!?俺はずっとこの城勤めなのに!!」
「第一王子のサイード殿下…?」
誰かの呟きが静かに部屋に響き、冒険者たちや騎士たちは顔を見合わせてざわざわと言い合う。
若い騎士や兵士は何のことか分からず、顔を見合わせていたが『第一王子』の単語には各々反応を見せた。
「サイードだぁ!じゃあ本当に久しぶりだよ、僕たち会ったことあるもん、ほら!」
「は?」
主様男はおもむろにフードを外した。
フードを取るために俯き加減だった顔を上げ、血のような赤と視線が合う寸前、ミッツが今までにない大声で叫ぶ。
「みんな!早く目ぇ瞑れ!!」
「え?」
主様男がフードを外して目線を合わせた全員が、その視線と合った途端に動けなくなった。指先も動かず、呼吸と瞬きだけは出来るようだ。
全員とは言ったが正確には目を瞑ったサイとミッツ、ラロロイだけは動くことが出来ていた。ラロロイは結界に集中するために最初から目を瞑っていただけだが。
主様男は燻ぶる灰のように仄暗く肩にかかるぐらいの髪を揺らし、端正な顔はにこにこと笑っている。
危険はなさそうに見えるが、3人以外が動けないことから何かしらをしているらしい。
サイはその素顔を見ると、これまで以上に殺気を放った。
「その不快な魔物のごとき赤い目…人の動作を縛りつける不快な能力…不快な軽い言動!貴様、エサイアスか!」
「全部不快なんやということは分かった」
「そう!そうだよ!久しぶりだねぇサイード!」
主様男、改めエサイアスは嬉しそうに微笑む。
やっと分かってもらえたのが余程嬉しいらしく、くすくすと上機嫌に笑っている。
「サイ、やっぱり知り合いなん?」
「…なるほど、ああ、確かに知り合いではある。次に会うことになったら確実に切り刻んで仕留めようと思っていた知り合いだがな」
サイは殺気の籠もった目で睨みつけると、手元の短剣を握りなおして身構える。
その様子からミッツも、特に役立てるかは分からないが気を引き締めなおした。
向こうが朗らかな一方でこちらが殺気を増す中、1人の叫び声が全員の耳に届いた。
「エサイアス?今、エサイアスと言うたか…?!」
「陛下、どうされましたか?」
「父上…?」
動けなくなっていた内の1人のエルバート国王が叫び、顔を青褪めさせていた。動けなくなっているが話すことは出来るらしい。
護衛騎士や王子たちはエルバート国王が叫んだ理由が分からない。サイが『第一王子のサイード』だったらしいということが分からなかった理由も分からない。ややこしい。もちろん冒険者たちも分かっていない。
ともかく、エサイアスという男の顔と名前に反応しているのはサイとエルバート国王だけだった。