104 ヘドロ草と予期せぬ開花
翌朝、モモチをカフェに預け、昼前にミチェリアを出た二人は北東にある森の中腹にある沼地を目指して歩いていた。
他にも近場で採取スポットはあるが、おそらく他の冒険者がもう採取しているということで少し遠くのスポットへと向かっているのだ。
「ヘドロ草は森の水場、もしくは日のあたらない水場に生える。川などの流れがある所では育たないので、必ず池や沼に生える。生息が始まった瞬間に、そこに住んでいた魚は息絶える。もしくは自力で別の池に移動する」
「こっわ」
「一応、本当に一応有益な植物だからな…根絶やしにはされない。不本意だが」
「はー。動物とか魔物も近付かなさそうやな」
「お、よく分かったな。嗅覚のしっかりした生物は近付くことはないぞ。なのでもし戦闘面で不安な状態…武器が壊れたとか魔力が心許ないとか、そういう時はヘドロ草の生息地に天幕を張るという方法もある」
「おお」
「まあ滅多にそんなことするやついないけどな!」
「ですよねー」
歩いていると異臭がしてきた。
「なんや、この、使い込まれた雑巾の絞った水に硫黄を混ぜてシェイクして甘ったるい何かに漬け込んだのを薄めた臭い」
「これがヘドロ草の臭いだ。これでもまだだいぶ遠いぞ」
「うそぉ…ってサイ何それ」
「これ?防臭魔法付与の口当て布。昨日買っただろうが」
「あーこれか!防臭布!」
「上級防臭布だ。生ゴミ処理とか魔物の解体であれば普通の防臭布でも十分だぞ」
ミッツも昨日買っていた灰色の布を口に当てた。当ててからふと考え、サイに時間を貰ってその場で裁縫を始めた。学生鞄から裁縫バサミと針と糸、柔らか過ぎて使えないからといっぱい貰っていたクズ金属、そしてある植物を取り出して作業を始める。
まず防臭布を重ね、手のひらぐらいに布を切る。ゆるく扇状になるようにカットした内の1枚の上側を折り、筒になるように縫ってから短く切ったクズ金属を入れる。
2枚の布を糸縫い合わせて二重布にする。これを2つ作る。
扇状の広く丸い辺を合わせて縫い、裏表をひっくり返すように『むいっ』として縫い目が見えないようにする。ミッツは大阪民なので擬音で説明することが多く、ミチェリアの主婦もすっかり慣れている。
縫い合わせていない方の狭い辺を少し折り返し、筒状になるようにまた縫う。
筒になった所にヒモのような植物を通し、適度な長さの輪になるように結ぶ。これ大事。
なんやかんやで体裁を整え、裁縫タイムは終わった。
サイが見守ること20分、簡単に付けられる布──布マスクがこの大陸に初めて誕生した。
ゴムらしい性能のヒモのような植物、ムゴ蔦をミチェリア近くで見つけた時から何かしらを作りたいと思っていたのでちょうど良かったのだ。
主婦向けに楽なゴムパンツなどを作る会を開く予定は既にある。予約はもう埋まっている。
ミッツはサイに試作品防臭マスクを渡し、付け方を教えて無事装着して貰った。
ズレにくく付けやすいマスクをサイは喜んでいるが、ミッツは今度ペストマスクをナルキス村で合同制作しようと考えた。職業マスクといえばあの形な気がするし、あとカッコいいし。サイの銀髪に烏フォルムがとても似合いそうだし。でも自分では流石に革製品を作ったことないし。
ミッツも思春期であった。
「おお、これは良いな!いちいち結んで解く手間がなくて楽だ。ズレることもなさそうだし、うっすら漂う臭いも感じない!」
「鼻のとこにちょっと固いのあるやろ、それを肌にしっかり押し付けて密着させてな。耳のヒモ緩かったら調整してな」
「なるほど、ミッツ。これも商業ギルドな」
「はーい」
歩いて30分、明らかに様子のおかしい沼地に到着した。
どう見ても生物のいない沼地の周り、いや沼にも草が生えていて、二重防臭マスク越しでも臭いが分かる。
「マスク越しでこんだけ臭うと、逆に外したらどないなるんや…」
「おい待て外すな」
「サイ、人間はな、やったらあかんって言われたらやりたくなる生き物やねんで。死ぬ訳でもないし一瞬、一瞬だけ…」
「あっこら」
マスクをほんの少しずらしたミッツの鼻と脳を、今まで嗅いだことのない臭いが襲った。
2秒程意識のトんだミッツはサイにマスクを戻されて揺り動かされ、ハッとした。
「ハッ!ここは!」
「ミッツ、分かるか?お前の今食べたいものは?」
「お好み焼きたこ焼きカツ丼」
「よし意識戻ったな」
「アンモニアに腐ったメロン漬けて醸した後に汚い雑巾の水にぶちこんでから男子野球部の更衣室の汗を全部流しこんで淀川の浄化しとらん水で洗ったみたいな香りがしたような…」
「何言ってるかほぼ分からないが、最悪というのだけは伝わったぞ」
「これがヘドロ草…」
「単体ならそこまでじゃない。せいぜい雑巾の絞り水に腐ったリンゴをぶちこんで2晩放置したぐらいの臭いしかしない。群生だからここまで酷いだけだ」
「最悪やないか」
「ともかく臭いに関しては分かったな?実際に見るぞ」
沼地にはまらないよう足元に気を付けながら歩く。
ぶよぶよとした感触の、一見すると海藻にも見えるどす黒い緑の草が辺りにちらほらと見えている。沼に浮かんでいるように見えるのは、根が絡まって沼の水面を全て覆って成長しているようだ。
「まあ、説明するのも面倒だ。こんな感じだ」
「なるほど鑑定」
◆ヘドロ草◆
非常に強烈な臭いのする草。信じられないことに歴とした薬草の一種であり、特定の治療薬に使われる。100年に一度、花が咲く個体がある。
臭いの成分は葉と茎の表面に付いているぬめりであるが、これを洗ってしまうとヘドロ草の効果が無くなってしまう。
「どう考えても厄介」
「そうだろう、俺も思う」
「どうやって採取するん…?ぬめってるんやろ?」
「採取用のシャベルは持って来てるだろ?それで根ごと掘る。根はぬめりがないから持てる。土は出来るだけ落としてカゴに入れてくれ。雑に放り込んで構わない」
「ああスコップな」
関西人であるミッツはこれだけは譲らない。関西では小さい方がスコップ、大きい方はシャベルなのだ。
「まあどちらでも良い、マスク越しでもここに滞在するのは出来るだけ少ない方が嬉しい。さっさと採るぞ。ノルマは採取カゴ3つだ」
「はーい」
「ああ、沼に浮いてるヘドロ草は採らなくて良い。放置しておけばまた周囲にヘドロ草が生えてくる」
「これ、稀~~~に花咲くってあったけどほんまに咲くん?」
「俺は見たことないが、目撃情報はあるな。最後は確か…70年前だったか」
「へー」
「信じられないことに綺麗な花らしい」
「信じへんぞ」
「俺もだ」
黙々と採取しているとミッツが違和感を感じた。
「んん…?」
「どうした?さっきから上質なヘドロ草を採ってるが、また何かあったか?」
「上質かどうかも分からんし、ヘドロ草に上質とかあんの?いや、それはええねんけど、サイ見てこれ」
「あ?」
何の変哲もないヘドロ草を指差した。強いて言えば他より背が少しだけ高い。
「何だ?」
「いや、なんとなく他とちゃうような気が、んん?」
とりあえず採取を再開、40分黙々と採取しているとカゴもどんどん埋まってきた。
「カゴは2つ埋まったか…あと少」
「サイー!!!」
「どうした!?」
指差しながらミッツがサイを呼んだ。
さっきのヘドロ草にいつの間にか蕾のようなものが出来、どんどん大きくなっているのがサイの目にも分かる。
「なっ!?まさか、咲くのか!?」
「なあ、心なしか臭い薄くなっとらん?!」
「は?……本当だ…」
マスク越しにも酷かった臭いが無くなっている。意を決してマスクを取ると臭いは無くなりかけているどころか、どこかスッとするような爽やかな香りが辺りに広がっていた。
「え、何!?なんだ!?」
「あっ花!」
「えっ」
蕾を付けたヘドロ草は茎と葉がみるみる内に暗い緑から若草色へと変わった。
次に変化があったのは蕾、目の前で花が早い速度で咲く。まるで神々の纏う衣のような美しい黄金色の花を咲かせ、辺りの酷い臭いは完全に消えていた。
「こ、これは…!」
「うわ、綺麗やな!写真撮ろ写真!」
「まさか、いやそんな…」
◆天の雫 (シャグラス)◆
シャグラス王国で咲いた天の雫。特殊変異したヘドロ草の中でも稀にしか咲くことのない奇跡の花。精霊の国アルテミリアに咲く天の雫とは同じ種ではあるが環境が違うので異なる・効能を持つ。
シャグラスの天の雫は身体欠損回復薬に使われることもある、かなり稀少な花。この花を巡って争いが起こったこともある。注意されたし。
この天の雫が咲いている間は周りのヘドロ草の臭いは究極的に抑えられる。あと40分で枯れるので採取はお早めに。
「やばいな!」
「アルテミリアのとは違うのか…良かった。いや、良かったのか?」
「サイ、これどうする?あっ今の内にヘドロ草採取する?」
「いや待て、俺が採取しておくからミッツはその花を根から……いや根の周りの土ごと全て採取だ。何か器持ってるか?食器でも良い。持ってるなら鉢代わりにしてストレージバッグだ。細心の注意を払って最優先でやれ」
「あ、はい」
こうしてシャグラス王国中でもお目にかかることがない天の雫の生花を手に入れた。
あと無事にヘドロ草もカゴ3つ分採取し、さっさとストレージバッグに入れた。
雑なマスクの作り方なので、作るなら調べてから作って下さいね