プラス・マイナス
英語教師の菅野監督から雑学として"Battery"の言葉の由来について聞かされたことがある。何でも砲台や砲兵中隊という意味があって、投手たちがボールを投げる様子を砲になぞらえて「バッテリー」と呼び、後に投手と捕手の組み合わせを意味する語に転じたそうだ。
大抵、バッテリーといえば電池の方を思い浮かべる人が多いかもしれない。とあるプロ野球の伝説的捕手曰く「投手はプラス思考、捕手はマイナス思考であるのが良い。だからバッテリーと呼ぶんだ」と。砲台なんかよりもこっちの理由付けの方がしっくり来る。
その一方でプラスとプラスをかけたらマイナスになってしまい、マイナスとマイナスをかけてもプラスにならないことだってあるものだ。
「今日の試合はさんざんだったなー……」
帰りの電車の中で圭子がぼやいた。
「加治屋が相手だと、何だか投げづらいんだよね」
今日の練習試合では、後輩の加治屋帆乃花さんマスクをかぶった。チームの盛り上げ役で、マイナス思考とは程遠い子なのだけれど、皮肉にもその明るい性格が圭子との相性を悪くさせているようだ。有り体に言ってしまえば、どんな状況でも真っ向勝負を挑みたがる圭子にブレーキをかけるのが下手なのだ。
それに引き替え、圭子の後に登板した同じく後輩の有原はじめさんは良いピッチングをした。得意のチェンジアップがハマって、面白いように相手のバットが空を切っていた。
だけど有原さんには実は「ノミの心臓」という欠点がある。素質はあるのに打たれたらどうしよう、というネガティブな気持ちが働いて力を存分に発揮できていないのだ。今日はもう勝ち目が無い場面での登板だったから良かったものの、僅差の接戦だったら圭子と同じ運命を辿っていたかもしれない。
私もどちらかと言えばマイナス思考で、打たれた場合のことを考えていることが多いが、有原さんと組むときは圭子以上に気を使ってしまう。圭子は打たれても勝負、勝負で、その勝負にはやる気持ちを捕手側がちゃんと制御してやれば良い方向に作用することがある。だけど有原さんは一旦崩れるとなかなか立ち直れず、釣瓶撃ちを喰らってしまう。
私の態度は有原さんにもそれとなく伝わっているようで、試合中は私に対していつも怯えたような表情を見せている。でも、今日は加治屋さんがうまく扱っていたからか、そんな表情は一切見せなかった。マイナス思考の投手とプラス思考の捕手でもうまくいくらしい。
「加治屋さんは有原さんと組ませたらいい感じになるんじゃない?」
私は言った。
「知子もそう思ってた? 私もそうじゃないかと思ってた」
圭子はわずかに笑みを浮かべた。エースの座をおびやかしかねない後輩の話だったけど、考えていることが一緒とわかって、少し安堵する自分がいた。
「あの二人は伸び代がいっぱいありそうだから、とことん実戦で使っていくと化けるかもね」
監督ならきっとそうするだろう。ちょうど三年生が引退したばかりで、新チーム作りに試行錯誤している最中だし。
*
電車を降りて向かったところは、家の近くを走る高速道路の高架下の空き地。私はミットを、圭子はグローブとボールを取り出して、キャッチボールを始めた。ここは昔から私たちが遊び場として利用しているところだった。日は落ちかけているものの、そばに照明があっていい具合に高架下を照らしてくれるから、夜でもキャッチボールができる。
高架下でのキャッチボールはいわば言葉を使わないコミュニケーションで、練習のそれとは違う意味合いを持つ。私が橋立市に引っ越してきて圭子と友達になってからずっと続けている習慣である。同じ小学校に通っていた頃はもちろん、一時期中学校で離れ離れになったときも、星花女子で再び同じ学び舎に通うようになったときも。
「知子」
圭子が手で「座れ」という仕草をした。
「投げ過ぎると監督に怒られるわよ」
「十球だけ頼む」
「わかった、十球だけよ」
私はキャッチングの姿勢を取った。
圭子が左足を引いて身をかがめて、投球モーションに入る。左足を踏み込むと同時に右腕を一回転させ、ボールを投じた。
構えたところより高めにきて、私は腕を伸ばして捕球した。速さだけはあったから、衝撃がビリッと伝わってきた。
「結構イラ立ってるわね」
「そりゃそうよ。だからこうやって憂さ晴らししてんの」
圭子はグローブをクイッと動かして返球を催促した。この子は気が短く、それが投球テンポにも表れている。投げ返したボールを受け取るとすぐに、また投球モーションに入った。
今度はど真ん中。気持ちいい音が高架下に響く。
「ナイスボール!」
「やっぱり知子が相手だと投げやすいや」
圭子が白い歯を見せた。
こうやって圭子の球を受けたのは何球目かわからない。だけど実戦でバッテリーを組んだのは、私が星花女子に入学してからだった。
小学校三年生の頃に橋立市に引っ越してきて、そのとき私はソフトボールではなく少年野球のチームに入っていた。チームは弱かったものの、一番楽しく野球が出来ていた時期だった。一方の圭子は星花女子中等部卒業までソフトボールのクラブチームにいて、そこそこ良い成績を叩き出していた。お互い違う道を歩んでいたが、一緒に遊ぶときはいつもここでキャッチボールをしていたものだ。
私は中学校では公立を選んだ。圭子を追いかけて星花女子に行きたいとも思っていなかったし、もっと野球がしたかったというのもあった。だけど男子とのフィジカルな差が顕著に表れはじめて、試合に使ってもらうことは全くなくなった。何度かマネージャー転向を打診されつつも拒否して、腐らず三年間やり遂げられたのは圭子の励ましのおかげだった。
野球部を引退した後に、圭子から星花女子に来ないか、と誘いを受けた。高等部でソフトボール部に入るから、知子も一緒にプレイしよう、と。
急な話でその場でウン、と返事できるものではなかったけれど、圭子はさらにこう言った。
「私の『女房』になって欲しい」
自分で言って恥ずかしかったのだろう、顔が真っ赤だったのを今でもはっきりと覚えている。
圭子から「求婚」を受けたのは、ちょうど二年前の今日だった。
*
「さ、帰りましょ」
私たちは高架下を後にした。
圭子はすぐ近くにあった自販機の前に足を止めて、お金を入れた。
「飲みなよ」
「ありがとう、いただくわ」
私はスポーツドリンクを選んで、圭子も同じものを選んだ。
まだ残暑厳しい九月の夕暮れに、冷えたドリンクは心地よい。
「ねえ圭子」
「なにー?」
「二年前、あなたが私に言ったこと覚えてる?」
「二年前? そんな昔のこと覚えてないよ」
はぐらかしているのではなく、本気で覚えていないようだ。私ははっきり覚えているのに。私の進路を決めた一言なのに。
何だかちょこっと腹が立ったので、思い出させてやることにした。
「『私の女房になって欲しい』って、圭子らしいド直球な告白をしてくれたじゃない」
「ブッ!」
圭子がスポーツドリンクを吹き出した。何て汚い。でもはっきりと思い出したようだ。
「あ、あれはキャッチャーっていう意味で……」
「わかってる。あれ、顔が赤いわよ。何で?」
「知るかっ!」
圭子はぶんむくれた。ちょっとからかいが過ぎたかもしれない。
でも数歩歩いて、圭子はすぐ機嫌を直した。
「私の球は知子だけに受けて欲しい。この気持ちは本気だからね」
「ありがとう。私も加治屋さんに正捕手の座を奪われないように頑張るから」
「ああ。私も有原にエースの座を奪われないように頑張るよ」
私たちはグータッチを交わした。
戸梶圭子と穂苅知子は果たして有原はじめと加治屋帆乃花に勝てるのか。それは結局、努力次第ということになるだろう。