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アニメ

虚淵氏とまどマギ

作者: とびうお君

 虚淵氏という作家はとても男性的だと思う。女が描けないと作家として致命的と別の脚本家に強く否定されたらしい。まどマギという作品は大半女性しか出てこない。ナノに傑作とされる作品になってる。これは矛盾なのじゃないか?その指摘した作家が見る目がなかった?いや違う私も的確だと思った。


 女性と男性の性差のある部分として女性的と言うのは悲劇の共感だと思う。男性も無いわけじゃないが、涙腺が緩いとあるがあれと似たもので、女性の方が平均的に悲劇の共感を楽しみとして享受できると私は見ている。まどマギは悲劇の共感で楽しむものじゃない、これとルビンのつぼの様に絡み合ってる衝撃展開の驚きで楽しむものだからになる。


 物語の構造としては全く同じつくりで効果が異なるものを創る事が可能で、それは虚淵氏だけに限ったものじゃなくて、大半の物語はこうやって作ってあって、たまたま虚淵氏だけが性差ってものに偏った能力を示すので乖離してしまってるだけだと見ている。


 じゃまどマギで泣いたとかは?これはキャラ萌えと深く関係する。物語で泣かせるより面白いと思った物語の異性キャラが不幸に合うと悲しくなるちょっと歪な感情の動きになってる。これでピンと来た人は多いかと思うが、物語がつまらないとは言わないがKEY作品にとても類似している。やはりエロゲ業界と言う事で多分共通した作劇パターンと言うのが私はアルト見ている。


 アニメに置いて話数以外は特別な事を何もして無いと虚淵氏は言われている。元ネタを知ってる人はいつもの虚淵氏だとまどマギを見ていたらしい。これは私は元ネタを知らないので分からない。


 まどマギは女性的な悲劇の共感ではない。男性が好む衝撃展開の驚きで構成されたもので、虚淵氏が作家として成長したという事は多分全く無い。有るとすればアニメ用に話数を考慮に入れてより効果的に驚きを作った点だろう。


 通常はこれら2つは乖離するものじゃない。そりゃ女性作家の方が女性を上手く描くだろう。だがある程度なら作家ならそこまでは苦手とし無い。同業者に女が描けないと否定されるほどの人はそう居ない。私もまどマギを見ていると感じる違和感から多分その指摘は正しいと見ている。


 物語としては感動する部分があるのだが、キャラクターに対してリアルな人物への共感から来る悲しみみたいなものがまるで無いんだ。私がまどマギの評価がもう1つ高くならないのはここにある。


 いつもと言ってる事が違うじゃないか?それは違う。私は最高の物を求めてアニメも漫画もなろうもみないんだ。そういうのは卒業したとなる。今の作品に失望してるのか?ならそれはある。成熟した表現にフロンティアから来る刺激など無いと私はどこかで今のアニメを馬鹿にしてるんだ。


 老害だといわれても全く気にならない。これは作品数と言う数字的な成熟と言う分かりやすい指標で事実とする事が可能だろう。だから今の物を駄目だと言うのは別に主観的なきめつけじゃない。何故駄目なのか?フロンティアじゃないからだ。創作の本当に面白いツボは成熟による停滞を向かえる前だけの一過性で不可逆な時期の刺激だと見ている。


 これは脱線なのだが、だからって私は今のアニメは面白くないとは思ってないんだ。逆に私は原点回帰した。子供の頃そんな最高の体験を求めていたのか?と考えると私はアニメのせいで目が曇っていたが漫画はそんなもの求めてなかった。ただ楽しい心地良い時間でしか無い。それが溜まってきて、最高を求めるようになってしまったとなる。


 漫画とアニメじゃ漫画の方が創作としての成熟が早いと思う。だからベースを漫画に戻すことで最高の感動とかそういうのをやめた。


 脱線は置いておいて、まどマギで泣けるって人の評価を私はあまり信用し無いね。衝撃展開の驚きが男性的なわけじゃない。悲劇の共感で強い面白さを女性感じるほど男性は面白くない。だから同じ構造を持つ作品の無性とも言える部分に偏ってしまうんだと見ている。ただし、こういった驚きの刺激ってのは男性的な部分が強いとは思ってる。


 それを単純に性差で両者を分けるのをするほどじゃないと見てるだけ。悲劇の共感が明らかに女性の方が楽しさになってると分かるが、衝撃展開の驚きが男性の方が強く求めてるとは断言できないからになる。おそらく男性的刺激だとは思ってる。


 世の中の多くの作品が男女共に楽しめていても、私はそれを単純に性差が無いとは思ってない。構造的にこの2つは全く同じようにすっぽり作品に収まるからで、かつ普通はそれを分けて考えてるような物語になってない。


 それを強く感じさせたのが虚淵氏という作家だと見ている。彼の登場まではこの乖離について強くは感じなかった。これらの事を強く意識したのは、物語全般と深夜アニメなろうになる。だが、それを意識して逆に過去に振り返ったとき、ふとまどマギで感じた違和感の正体が分かったとなったわけだ。


 女性的な悲劇の共感をベースに作らなくても全く同じ構造の物語で衝撃展開の驚きで似た作品が作れるんだと。私はまどマギと言う作品を、泣けるというのはオタを刺激したと言うより、オタ男以外あれを泣けるとストレートに感じる集団は居ないのじゃないか?と見てしまうんだ。まどマギは最後に悲劇にキャラに対して泣けるが足りないと多分最高点までの刺激は受けないと思ってる。


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