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大人の小学校

 ボランティア四日目。

 リワークルームの入り口に立つと、松井の言葉がよみがえった。


 ――入れ込みすぎない方がいいよ。

 気にかかる言葉ではあるものの、今のところはそんなつもりもない。

 

 臨床心理士の資格を取ろうとしているのに、患者や現場のことを知らなすぎることに気づいたので、時間があるうちは手伝いにきてもいいと思っていた。


 元をたどれば営業の仕事を続けるつもりだったので、これからどうするかを考える時間がもう少し必要でもあった。

 それに人と話す仕事をしていたのに、急に他人との接点が少ない生活になるのも好ましくない気がした。  

 

「おはようございます」

 扉を開けて中に入ると市川さんの姿が目に入った。


「村上くん、おはよう」

 彼はこちらに気がついて振り向いた。


「何か手伝うことあります?」


「大したことじゃないけど、この鉛筆をテキストが置いてあるところに配ってくれるかい」

 市川さんは鉛筆がたくさん入った筒状の容器を差し出した。


「わかりました」

 俺は言われた通りに鉛筆を配り始めた。


 ホワイトボードには、午前中:脳トレと書かれている。

 テーブルの上にクロスワードパズルが印刷された紙が置かれていた。


 脳トレという部分は間違っていないけど、これが仕事に復帰するための役に立つのか少し疑問が残った。あるいは、俺が考えるよりも奥が深いのかもしれない。


「そういえば、他の職員さんはいないんですか?」 

 俺は鉛筆を配り終えて椅子に腰かけた。


「そうだね、今は僕だけだねえ。矢上さんはいつも忙しいし、小野田さんは外来から解放されない限りはこっちに来ないし、中沢さんは事務作業しかしないから」

 市川さんは雑誌に目を通しながら、うんざりしたようにいった。


「ふーん、そうなんですね」


「……ほんとはこの状況は設置基準的にアウトなんだけど――ああっ、ごめん、村上くんには関係ない話だったね」

 彼は口が滑ったというふうに頭をかいた。

 

 それから少しして、徐々に利用者が集まり始めた。

 お決まりのパターンのように朝礼があり、その後にラジオ体操が行われた。


 脳トレの時間になると、皆思い思いの席についた。

 すぐに手伝うことはなさそうなので、遠目に様子を見守ることにした。


 鉛筆を配った時は気づかなかったけれど、クロスワードとは別に穴埋めの計算問題が用意してあることに気がついた。

 ほとんどが一桁や簡単な計算で、職場復帰というよりお年寄りのボケ防止が目的に思えるようなものだった。


 今日は六、七人きていて、年齢は二十代から四十代ぐらいの男女。

 彼らの身なりや風貌からは普通の社会人に見える。


 そんな人たちが子どもだましに見えてしまう脳トレに精を出している。

 ふと、俺は今まで疑問を抱かなかったことに思い至った。

 

 ――休職が必要なほど体調を崩すとそこまで思考能力が下がるのか?


 ――ケガ人のリハビリみたいに優しいことから始めないといけないのか?


 それは目まいを覚えるような自問自答だった。

 おまけに生きる意味やら何やらについて考えそうになっていた。

 

 こんなややこしいことは、市川さんや矢上さんに質問できないだろう。

 

 大学で心理学を勉強したといっても興味や関心があっただけで、それは薄っぺらい動機だったと思う。 

 入試に受かる可能性が高かった、あるいは大学が家から近かったとか。


 そして、今も薄っぺらい理由でここにいることに気づく。


 ――ああっ、イヤになるね。

 俺は会社をクビになったのがそんなにショックだったのか。


 柄になくしんみりした考えになっている自分に嫌気がさした。

 

「――おはようございます。見学の方が見えたので、案内お願いします」


 部屋に人が入ってきた気配で、自分が考えごとをしていたことに気づいた。

 看護師の小野田さんが患者らしき男性を連れてきていた。


「はい、了解です。村上くん、少し見ててもらっていい?」

 市川さんはそういって、男性にリワークルームの説明を始めた。

 彼の言葉に頷いてから、脳トレの様子に目を配った。


 皆一様に私語もなく、黙々と続けている。

 難しいことを考えると頭が痛くなる三田さん、パソコンのことでひと悶着起こしていた北野さんも何も言わずにクロスワードや計算問題に取り組んでいる。


 何分か経った後、市川さんが見学に来た男性と立ち止まった。


「今日は脳トレの日で、色んな問題を解いてるところです」

 彼の説明に対して、男性は薄い反応を見せていた。

 その様子からはあまり興味がないような印象を受けた。


 一通り見学が終わると、席について二人は話し始めた。

 チラチラ見るのもよくないだろうと思い、視線を向けないでおいた。


「他にはパソコン実習やレクリエーション、職場復帰に向けた講座もあります」


「……はあっ、そうっすか」

 離れたテーブルで話す二人の会話が聞こえてきた。


「どうですか、来てみようと思いませんか? 最初は半日でも可能ですし、午前と午後のどちらにするかはそちらで決めてもらって大丈夫です」

 仕事モードの市川さんは普段と少し違う印象だった。

 

「そうっすね。なんか閉鎖的なんで来づらいかも」

 俺はその言葉に軽い衝撃を受けた。


「そうですか、院長から勧められてるというわけでもあるので、できれば来て頂いた方がいいとは思いますが」

 市川さんも驚いたようで、声のトーンが少し変わっていた。


「いや、別に来たくないって言ってないっすよ。まあでも、いい大人があんなのやらされて、何ていうか大人の小学校みたいで恥ずかしいっていうか」

 遠回しな表現をしているものの、男性は来る気はないだろうと思った。


「あっ、もちろん強制ではないので、よかったら来てください」

 市川さんも同じような判断をしたみたいだ。


 彼の言葉に返事をしたのかしなかったのか、男性はこの部屋を後にした。

 少し心配になって、利用者たちの様子を眺めた。


 しかし、それはとりこし苦労だったみたいで、彼らは何事もなく脳トレに集中しているように見えた。

 俺はその様子を見て、少し悲しい気持ちになった。


 遠回しにディスられているのに無反応。

 君たち、さすがに大人の小学校は悪口なんじゃないかね。


 よく分からないけど、彼らに説教したい気分になっていた。


最後まで読んでいただきありがとうございます。

以前あるところで大人の幼稚園という痛烈なディスリを目にしたことがあり、今回はそちらから着想を得て大人の小学校としました。

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