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さよならは突然に その2

 ボランティアが休みのある日。

 スマートフォンに知らない番号から電話がかかってきた。


 営業の仕事で色んなところに名刺を置いてきたことがあったので、クビになってからもたまにそういったことがあった。


「……もしもし」

 今はニートです、と切るわけにもいかずに通話を始めた。


「こんにちは、村上くんの電話であってるかい?」

 それは聞き覚えのある声だった。


「……小宮さんですか」


「突然の電話ですまない。どうしても伝えなければと思ってね」

 小宮さんの声は真剣な調子に聞こえた。


「はい、それで……監査のことですか?」


「おやっ、どこでそれを?」

 小宮さんは率直に驚いた様子だった。


「いえ、なんというか、古い知り合いからです。クリニック以外の」

 うかつに松井の名前を出すべきではないと思った。


「そうか、まあそれなら話が早い」

 小宮さんは少しの間をおいた。


「監査が入る日程が決まってね。遅くとも来週中には向こうへ通達が行く」


「……それで」


「普通なら知るはずのない君の電話番号を知っているように、必要な材料は全て揃った。カッコつけた言い方をするなら、賽は投げられたってやつだね」

 小宮さんは淡々とした口調で話していた。


「よしおクリニックは、その……どうなるんでしょうか」


「……ふむっ、ここまできて隠す必要はないか。はっきり言って、状況的に積んでいるね。だからこそ、村上くんには巻きこまれてほしくない。ボランティアがそこまで調べられることはまずないだろう。ただ、監査が入った時にその場にいるとなると話は別になってくる」


 小宮さんの言葉は一つ一つが明解で、その意味をすぐに理解できた。


「……どうして、そこまで親切にしてくれるんですか?」

 それは率直な疑問だった。


「私のような仕事に私情を挟むべきじゃないのは分かってるが……君と同じ年頃の息子がいてね」


「なるほど、そうなんですか」


「恥ずかしい話なんだが、息子が引きこもりになっているのに親として力になってやれてない。だからこれは、私の自己満足で罪滅ぼしなんだ」

 小宮さんの口調が少し弱々しくなった気がした。


「……そうですか」

 どう返すべきか、言葉が浮かばなかった。


「とにかく、できる限り早くあそこから離れてほしい」

 それはとても強い言葉だった。


「小宮さん、あとは自分で決めなければいけないことなので……自分なりに考えて結論を出します。連絡ありがとうございます」


「ああっ、突然驚かしてすまなかった。どうか賢明な判断をしてくれ」


「……はい」


 そこで通話が途切れた。


 俺は電話が終わると、頭の整理が追いつかないことに気づいた。


 いきなり行かないのは不自然だし、どうすればいいんだ。

 市川さんや仲良くしてくれた利用者の人たちの顔が浮かぶ。


 彼らにこのことを話すわけにはいかないだろう。

 ただ、監査が入るとなった場合、一体どうなるのか。


 この状況は自分の身に余るものだと痛感した。



 そして、次のボランティアの日がおとずれた。


 俺は悩んだ末に行くことにした。

 いつものようにリワークルームに入り、市川さんにあいさつをした。


「おはようございます」


「村上くん、おはよう」


 水面下では監査が行われようとしているというのに、市川さんは普段と変わらない様子だった。そんな彼のことを見ていると、言うべきか言うべきでないかという葛藤が生まれた。


「あれ、どうした、今日はあんまり元気ない?」


「いや、そんなことないですよ。寝不足なだけです」


「ああっ、そうなんだ」


 今日の午前中は脳トレなので、すでに準備が終わっていた。

 市川さんは暇そうに雑誌を読んでいる。


「市川さん、実は話したいことがあるんですけど……」


「えっ、何なに?」

 彼は雑誌から顔を上げた。


「実は仕事が決まったので、ここに来るのは今日で最後になりました」


「なんだか突然だね、まあとにかくおめでとう」

 市川さんは満面の笑みを浮かべた。


「……あっ、はい。ありがとうございます」

 嘘をついたことで胸の中に鉛が沈んでいくような苦しさを感じた。


「どんな仕事なの? 村上くんならどこでも勤まりそうだけど」


「いや、まあ、知り合いの紹介で……前と似たような仕事です」


「ふーん、とにかくよかったじゃん」

 市川さんはそれから雑誌に顔を戻した。


 勇気を出して言えたものの、これでよかったのか分からなかった。

 上手く表現できない複雑な感情が胸を占めていた。


 松井や小宮さんの話通りなら、近いうちに監査が入るのだろう。

 その時、市川さんはどうなってしまうのか。


 彼はここの職員だから、何も知らなかったでは済まない気がする。


 ふと、俺は最後に確認しておきたかったことを思いだした。

 

「市川さん、そういえば黒い三連星って呼んでる三人組なんですけど……」


「うん、あの三人がどうかした?」

 市川さんは少し引きつった表情をしていた。


「なんか、素人目にはだいぶ元気そうに見えるんですけど、あの人たちも調子が悪くて通ってるんですよね?」

 自然と慎重な言い方になっていた。


「うーん、そうだねえ。僕の口からは何とも……」

 彼はこの話題を避けたいように見える。


「……そうですか、分かりました」

 それが答えだと受け取った。


 都合の悪いことは見ないふりをしなければいけない立場だと理解した。

 三人のことが監査を招いたとは判断できないものの、何かしら不都合なことがありそうな気配を感じることができた。


 それから利用者の人たちがやってきて、朝礼やラジオ体操が行われた。

 脳トレの時間に何人かの利用者に話しかけられたけど、どんなことを話したのかほとんど思い出せなかった。


「それでは、お世話になりました」

 帰る時間になって市川さんにあいさつをした。

 いつもどおり他の人たちは給食の準備をしている。


「……あっ、そうだ。ちょっと待ってて」

 部屋から出ようとしたところで呼び止められた。


「ボランティアの村上さんは今日が最後です。お世話になった人もいると思うので、お疲れさまでしたと言いましょう」


「――お疲れさまでした!」

 全員ではないものの、ほとんどの人がこちらを向いて別れのあいさつをしてくれた。俺は少し戸惑いながら、一礼して部屋を後にした。


 状況が状況とはいえ、クリニックの責任者である院長にあいさつをしておいた方がいいと思った。


 俺は一階に下りてから受付で院長の場所をたずねた。

 ちょうどそこへ、外出しようとする院長が通り過ぎようとしていた。


「……あの、ボランティアの村上です。今日で最後なのでご挨拶をと思いまして、短い間ですが、お世話になりました」

 一礼して伝えると、ああっごくろうさんと短くいって院長は歩き去った。


「……失礼します。お世話になりました」

 受付の女性に軽く会釈をしてからクリニックを出た。

 

 バス停まで歩く間、ここでの日々が頭の中を通り過ぎていった。


 特別、役に立つことはできたと思わないものの、なかなか得ることのできない経験ができた気がする。

 社会勉強という言葉を使うような年齢ではないかもしれないけれど、ここに来ることがなければ精神的な病気への理解は深まらなかったと思う。


 バス停の周辺は建物が少ないので秋晴れの澄んだ青空が広く見える。

 さわやかな風が道端の草を揺らし、涼しげな空気を運んできた。


 きっといつか、これで良かったと思える日が来るだろう。

 松井や小宮さんの親切を無駄にはしたくない。


 

 最後にボランティアへ行った日から一ヶ月近くが経ったある日。

 新聞を読んでいたら、地方欄に大きめの枠で気になることが書かれていた。

 

 それはよしおクリニックの院長が絡んだ不正についてだった。


 院長は同じ会社に勤めていた三人に対して、一律に休職期間が長くなるように診断書を書いていたようだ。それによって三人は休業手当を長く受け取ることができるようになったらしい。


 そして、三人のうちの一人が院長なら診断書を都合よく書いてくれると二人に声をかけ、病状を重く見せかけていたという。

 不信に思った彼らの勤務先が産業医と協力して、診断書の信憑性や休職に当たるだけの状態なのかを調査した結果、極めて疑わしいと結論づけたことが今回の発端だったそうだ。


 院長は以前からマークされていたらしく、三人の件は監査が入るための口実にすぎなくて、他にも同様なケースがないか調べられているようだ。


「……うーん、闇が深い」

 記事を読み終えると目まいがしそうだった。


 職員の人たちへの処罰がなかったのはよかったといえばよかった。ただ、市川さんも含めて見ないふりをしていたことに関しては否定的な感情を抱いてしまう。

 結局のところ、院長=経営者だから逆らえなかったのだろう。


 俺は何となく松井に会いたい気持ちになって連絡をした。











 

最後まで読んでいただきありがとうございます。

残すはエピローグのみとなりました。

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